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2007年6月 6日 (水)

後藤新平について適当に

 台湾の李登輝・前総統が来日している。後藤新平賞の第一回受賞者として招待を受けたというのが名目となっているようだ。

 後藤新平(1857~1929)は岩手県水沢の生まれ。遠縁に高野長英がいる。医学で身を立て、刺された板垣退助の手当てをしたというエピソードがある。相馬騒動に関わって入獄するという挫折もあったが、日清戦争のとき検疫事業で示した才覚が児玉源太郎に認められ、内務省衛生局長に復帰。さらに台湾総督府民政長官に抜擢され、児玉総督の下で手腕を振るった。その後も、満鉄初代総裁、逓信大臣(郵便ポストが赤くなったのは後藤の頃)、鉄道院初代総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長、東京放送局(現・NHK)初代総裁などを歴任。関東大震災直後の山本権兵衛内閣では内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の大規模な都市計画を立てたことは周知の通り。

 ふと思い立って後藤についての本をいくつか読み直してみたのだが、その存在感の大きさにはやはり魅了されてしまう。台湾、旧満洲、そして震災後の東京と舞台を変えながら、果てしなく追い求めてきた気宇壮大な国づくりのヴィジョン。それは、目前の政策課題達成というレベルをはるかに超えて、文明論的なスケールを持っている。植民地支配の是非についてはしばらくおこう。彼の残した実績、話が大きすぎて画餅に帰したプラン、その両方をトータルで振り返っていくと、あり得ない歴史のイフにもどかしさを抱きつつも、胸の奥底に高まる興奮を抑えきれない。

 「ヒラメの目をタイの目にはできんよ」──後藤の発想の基本には“生物学の原則”がある。ヒラメの目は片側に二つ、タイの目は両側に一つずつ。それぞれ生物学的な理由があってのことで、ヒラメの顔が変だからといってタイのように顔を作り変えるわけにはいかない。人間の社会制度や風俗習慣についてもまた同様。それぞれ長い歴史を通じた必要に応じて成立しているのだから、そうした理由をまったく無視して日本や欧米の制度を押し付けたところでうまくいくはずがない。

 このようなリアリズムに基づいて台湾や満鉄の経営を行なったわけだが、その前提として調査を重視した。それは、満鉄調査部、東亜経済調査局、満鮮歴史地理調査などの形で日本のアカデミズムにも大きく寄与した。

 後藤は“文装的武備”という表現を用いた。旧満洲は対ソ、対中政策の要だが、現地の人々の支持がないまま軍備一点張りで押し通したところでもろいものだ。現地の人々から頼られる施策を進める必要があるという考えがここに込められている。

 だが、そうした戦略的見地以上に、後藤は満鉄による満洲の文明化事業そのものに熱中していた。日本の中央政府からは財政上の理由から植民地を早く一人立ちさせるようせっつかれる。少ない投資で多くの利益をあげようという功利的な発想で植民地経営を行なうと苛斂誅求となってしまう。しかし、後藤の目指すものは違った。日本を島国としてではなく、海外領土を含めた大陸国家として再編成することを目論んでおり、台湾や旧満洲での大規模な社会資本整備は、植民地と日本本国と両方の経済発展を同時に図るものであった。“生物学の原則”からも分かるように、後藤の発想は、その後の日本が進めた苛酷な同化政策とは異なる。

 鉄道広軌化の試み(戦後になって新幹線として実現した)も、帝都復興における一大都市計画も、こうした壮大な大陸国家ヴィジョンと連動している。後藤の構想が全面的に採用されていたら日本はどんな姿を見せていたか、歴史のイフに想いを馳せると胸が高鳴る(ひょっとしたら、財政が破綻してとんでもない状況かもしれないが…)。

 藤原書店が後藤新平について数年がかりの大型企画を展開している。後藤の娘婿であった鶴見祐輔(和子・俊輔の父)による『正伝 後藤新平』(全八巻)が復刻されており、日記や書簡をはじめ関連文献も続々刊行予定。ただし、膨大な量となるため専門家でない限り読み通すことはまず不可能だろう。御厨貴・編『時代の先覚者・後藤新平』(2004年)は政治思想、公衆衛生、政党観、自治問題、対外政策、鉄道問題、逓信事業、教育問題、メディアなど様々な切り口から後藤の足跡を振り返り、周辺人物との関わりも紹介している。後藤の全体像を知るには本書が最適だ。藤原書店編集部編『後藤新平の〈仕事〉』(2007年)も取っ掛かりとして良いだろう。

 北岡伸一『後藤新平──外交とヴィジョン』(中公新書、1988年)は質・量ともにバランスがとれており、初めに読むとしたら本書がおすすめだ。著者の専門分野から、外交家としての後藤を論じているのが特徴だ。

 後藤の外交ヴィジョンとしては“新旧大陸対峙論”というキーワードがあげられる。将来においてアジア大陸とアメリカ大陸とが対立するとの予測に基づき、日本は中国・ロシアと提携すべきと主張していた。この構想はロシア革命と引き続くシベリア出兵で頓挫したが、後藤はソ連の極東代表ヨッフェを招き、ソ連との国交回復のきっかけをつくった(同時期に、孫文はヨッフェと共同宣言を出して、第一次国共合作を成功させている)。

 アメリカ大陸との対立といっても敵対的なものにするつもりはなく、満鉄経営にアメリカも巻き込もうとしていた。対立関係を契機としながらも、共通の利益を見出し、統合関係にもっていこうとするのが後藤の発想の特徴だと北岡は指摘する。

 日本の大陸膨脹政策の背景には、とりわけ陸軍に根強いソ連に対する不信感があった。もし後藤のヴィジョンによって対ソ関係が改善されて満州権益について相互了解が得られていたならば、関東軍は満州事変を起すことはなく、従ってその後の泥沼も避けられたのではないか、そうした歴史のイフをやはり考えてしまう。

 ここまで紹介してきたのは主に学問的な後藤新平論であったが、山岡淳一郎『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社、2007年)はノンフィクション的で読みやすい。エピソードから後藤の人物像に入りたい人は本書を手に取るといいだろう。

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コメント

この時期に、隠れ台湾独立派と言われている李登輝・前総統を招待し、クリスチャンにも関わらず靖国参拝を促すきっかけを作った後藤新平賞の選考委員のメンバーはどのような勢力なのでしょうか?
 なるほど、後藤新平という人は、明治近代化の創成期に国家制度の基盤を作っただけでなく、欧米の植民地政策との一線を画す大陸国家ビジョンを抱き実行しようとしたのですね。
 ただ後藤の築いた満鉄調査部が、20年後には大川周明らによって、アジア主義・大東亜主義の理念の実証機関になる経緯はどうなっているのでしょうか?
 また後藤の生物学の原則は、優生学的価値観(ナチスのユダヤ人に対するような)にとらわれない文化人類学的視点であったと思われますが、支配の手段であることには変わらないのでしょうか?それとも、大陸よりもやや経済的に進歩していた当時の日本の産業でもってインフラなどを整備し、日本が大陸の国を牽引する役割を持つということだったのでしょうか?
 いずれにしても、とっても後藤新平は興味深い人ですね。上のような疑問を持ちつつ、ご推奨の本を読んでみます。

投稿: ミキ | 2007年6月 8日 (金) 09時43分

 李登輝は“隠れ”どころか、公然たる台湾独立派でしょう。このニュースには興味があって(政治的にというよりも、台湾人の精神史として)昨晩いくつかニュース番組を見比べていたのですが、いずれも扱いが小さいですね。北京の圧力があったのかなあなどと勘ぐっています。

 後藤新平賞を出した後藤新平の会(http://www.goto-shimpei.org/)は藤原書店に事務局が置かれています。選考委員は、粕谷一希、青山やすし(明大教授、元東京都副知事)、塩川正十郎、橋本五郎(読売新聞)、御厨貴(東大教授)、藤原良雄(藤原書店)です。イデオロギー的な偏りはない人たちで、靖国とは関係ありません。

 満鉄調査部=アジア主義のイデオロギー機関という捉え方は少々浅慮のように思います。治安維持法にひっかかって日本本国で食い詰めた左翼くずれもだいぶ吸収していますし。むしろ、ストレートな出世コースから足を踏み外した逸材に活躍の場を与えた特異なシンクタンクとして興味深く感じています。それに、大川周明についても世間一般の誤解はいまだに大きい。彼はアジア主義の鼓吹者であったと同時に、篤実な学者であった側面はまったく忘れられています。そもそも私自身、アジア主義については、様々な矛盾をはらんでいたことは理解しつつも、その錯綜した矛盾も含めて好意的です。

 植民地支配の是非については保留せざるを得ません。たとえば、ブローデルの『文明の文法』(みすず書房)というリセ用の歴史教科書を読んだことがありますが、植民地支配については負の側面と同時に文明の福音というプラスもあったというスタンスでした。こうした欧米の捉え方は近年になって再検討が進められてはいますが、いずれにせよ日本個別の問題ではなく、帝国主義一般の問題として考えるべきでしょう。問題が大きすぎて私には答える用意がありません。

 優生学の問題は確かにひっかかるところです。19世紀から20世紀初めにかけて、スペンサーの社会進化論はかなり流行しており、色々な亜流がありました。後藤もその影響の例外ではありません。当然ながら優生学も社会進化論の疑似科学的な分派なわけで、まったく切り離して考えるということはできないでしょうね。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年6月 8日 (金) 11時03分

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