田中克彦『「スターリン言語学」精読』
田中克彦『「スターリン言語学」精読』(岩波現代文庫、2000年)
6月24日(日)のNHKスペシャルで「新シルクロード 激動の大地をゆく 第4集 荒野に響く声 祖国へ」を放映していた。社会主義イデオロギーのたががはずれ、民族的アイデンティティーへの渇求に時代状況を大きく揺るがす力が秘められていることを思い知らされてすでに久しい。父祖の地へ戻ろうとする中国のカザフ人。戦乱の中、誰にも頼ることの出来ないチェチェン人。帝政時代に先祖がえりするコサック。何よりも、中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の老人がハングルをびっしりと書きつめたノートを拠り所に生きてきたというのが非常に印象的だった。
民族問題はすなわち言語問題でもある。本書は旧ソ連における言語政策の背景を教えてくれる。あのスターリン?と及び腰にならなくてもいい。グルジア語を母語とし、ロシア語という非母語を使いながら権力への階段を上った彼の政治的キャリアは民族問題担当人民委員から始まっている。当然ながら、言語問題にも敏感であった。
ざっくり言って、本書の要点は二つ。第一に、民族自決をめぐる西欧マルクス主義とロシア・マルクス主義との態度の違い。第二に、言語の位置付けについてのマルクス主義理論における整合性(要するに、〈土台─上部構造〉論の図式において言語はどちらに位置するのかという問題。物質的な生産力の発展段階に応じて法制度や社会的意識や文化も変わるというのが唯物史観のアウトラインだが、言語=文化と考えれば上部構造。しかし、封建時代も革命後も言語は本質的に変わっていない、だから上部構造ではないし、階級性もないというのがスターリンの立場)。
西欧において言語とはすなわち“論理”であると考える傾向が強いらしい。文法構造やボキャブラリーの異なるそれぞれの言語は、いわば“純粋論理”の外被に過ぎず、コミュニケーションの便宜を図るためには多様である必要はない。エンゲルスの表現を借りれば「民族のくず」の言語など消えたっていい。早くから国民国家が成立していた西欧の社会主義者たちは少数民族に対して意外と冷淡であった。
しかし、少数民族を多く抱え込んだ中東欧では民族問題を軽視するわけにはいかない。オーストリア・マルクス主義のオットー・バウアーは民族問題を念頭に置いて社会主義の多様性を主張した。より深刻に現実問題に直面したのがソビエト連邦であり、その中でもスターリンは敏感な反応を示していた。
言語という観点で西欧マルクス主義の立場をまとめると、発展の遅れた少数民族は「歴史を担う」大民族に融合することになる。対してスターリンは、少数民族も母語を使ってこそ「精神的能力の自由な発展」が期待できるという立場を取った。こうした考え方の違いに、著者は「搾取するヨーロッパ」と「搾取される非ヨーロッパ」という対比をすら読み取る。
スターリンはこう記している。
少数民族は、民族的結合体のないことに不満なのではなく、母語をつかう権利がないことに不満なのである。彼らに母語をつかわせよ、──そうすれば不満はひとりでになくなるであろう。
少数民族は、人為的な結合体のないことに不満なのではなく、自分自身の学校をもたないことに不満なのである。彼らにその学校をあたえよ、──そうすれば、不満はあらゆる根底をうしなうであろう。(本書、63ページ)
一国家・一民族・一言語という西欧的国民国家の原理(この事態そのものがフランス革命等で強制的に実施された同化政策の産物である。田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981年)を参照)に対し、スターリンは、一つの国家には複数の民族、複数の言語を含み得るという立場であった。これは民族自決権を踏まえた連邦制の根拠となる。同時期にウィルソンの十四か条でも民族自決の原則が謳われたが、あくまでもヨーロッパに限定されるというダブルスタンダードを露呈する結果となった。これに対してソ連は世界各地の民族主義運動を支持する立場を打ち出したが(民族の固有性を認めることはマルクス主義の公式的立場から外れるにも拘わらず)、それは単に戦略的に西欧資本主義と対抗するというだけでなく、こうしたスターリンの言語政策も背景にあったと言えるのだろうか?
ただし、現実に起こったことを考えると、旧ソ連の体制において民族自決が原則通りに保証されたわけではない。はじめに書いた朝鮮族の老人は母語を使うのを禁じられたからこそ、人知れぬ所でノートを見ながら母国の歌を歌うしかなかった。また、複数の言語共同体をつくることは分割統治という政治的妙手の格好な手段ともなる。
田中克彦『言語からみた民族と国家』(私が読んだのはかなり前で、岩波書店・同時代ライブラリー、1991年。現在は岩波現代文庫に入っているようだ)では中央アジアのトルコ系共和国の成立事情が言語という観点から論じられていたように記憶している。カザフ人、ウズベク人、キルギス人、トルクメン人、アゼルバイジャン人はもともと同じトルコ系の言語を話す。ところが、革命後に成立した共和国ごとに別々に正書法が定められて、本来は方言的な差異に過ぎなかったものが公定言語としての違いとして際立たせることになり、それが国家的な帰属意識にもつながったという。
母語→国家を求める、というベクトルと同時に、国家→母語を求める、という方向へ進むベクトルもあり得る。言語的アイデンティティーと政治的アイデンティティーの双方向的なダイナミズムは、その置かれた状況的コンテクストに応じて全く違った役割を果たす。ここの機微を慎重に見極めないと民族問題を考えようとしても致命的な誤解をしてしまいそうで、途方にくれる。
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