« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

2007年6月26日 (火)

田中克彦『「スターリン言語学」精読』

田中克彦『「スターリン言語学」精読』(岩波現代文庫、2000年)

 6月24日(日)のNHKスペシャルで「新シルクロード 激動の大地をゆく 第4集 荒野に響く声 祖国へ」を放映していた。社会主義イデオロギーのたががはずれ、民族的アイデンティティーへの渇求に時代状況を大きく揺るがす力が秘められていることを思い知らされてすでに久しい。父祖の地へ戻ろうとする中国のカザフ人。戦乱の中、誰にも頼ることの出来ないチェチェン人。帝政時代に先祖がえりするコサック。何よりも、中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の老人がハングルをびっしりと書きつめたノートを拠り所に生きてきたというのが非常に印象的だった。

 民族問題はすなわち言語問題でもある。本書は旧ソ連における言語政策の背景を教えてくれる。あのスターリン?と及び腰にならなくてもいい。グルジア語を母語とし、ロシア語という非母語を使いながら権力への階段を上った彼の政治的キャリアは民族問題担当人民委員から始まっている。当然ながら、言語問題にも敏感であった。

 ざっくり言って、本書の要点は二つ。第一に、民族自決をめぐる西欧マルクス主義とロシア・マルクス主義との態度の違い。第二に、言語の位置付けについてのマルクス主義理論における整合性(要するに、〈土台─上部構造〉論の図式において言語はどちらに位置するのかという問題。物質的な生産力の発展段階に応じて法制度や社会的意識や文化も変わるというのが唯物史観のアウトラインだが、言語=文化と考えれば上部構造。しかし、封建時代も革命後も言語は本質的に変わっていない、だから上部構造ではないし、階級性もないというのがスターリンの立場)。

 西欧において言語とはすなわち“論理”であると考える傾向が強いらしい。文法構造やボキャブラリーの異なるそれぞれの言語は、いわば“純粋論理”の外被に過ぎず、コミュニケーションの便宜を図るためには多様である必要はない。エンゲルスの表現を借りれば「民族のくず」の言語など消えたっていい。早くから国民国家が成立していた西欧の社会主義者たちは少数民族に対して意外と冷淡であった。

 しかし、少数民族を多く抱え込んだ中東欧では民族問題を軽視するわけにはいかない。オーストリア・マルクス主義のオットー・バウアーは民族問題を念頭に置いて社会主義の多様性を主張した。より深刻に現実問題に直面したのがソビエト連邦であり、その中でもスターリンは敏感な反応を示していた。

 言語という観点で西欧マルクス主義の立場をまとめると、発展の遅れた少数民族は「歴史を担う」大民族に融合することになる。対してスターリンは、少数民族も母語を使ってこそ「精神的能力の自由な発展」が期待できるという立場を取った。こうした考え方の違いに、著者は「搾取するヨーロッパ」と「搾取される非ヨーロッパ」という対比をすら読み取る。

 スターリンはこう記している。

少数民族は、民族的結合体のないことに不満なのではなく、母語をつかう権利がないことに不満なのである。彼らに母語をつかわせよ、──そうすれば不満はひとりでになくなるであろう。
少数民族は、人為的な結合体のないことに不満なのではなく、自分自身の学校をもたないことに不満なのである。彼らにその学校をあたえよ、──そうすれば、不満はあらゆる根底をうしなうであろう。(本書、63ページ)

 一国家・一民族・一言語という西欧的国民国家の原理(この事態そのものがフランス革命等で強制的に実施された同化政策の産物である。田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981年)を参照)に対し、スターリンは、一つの国家には複数の民族、複数の言語を含み得るという立場であった。これは民族自決権を踏まえた連邦制の根拠となる。同時期にウィルソンの十四か条でも民族自決の原則が謳われたが、あくまでもヨーロッパに限定されるというダブルスタンダードを露呈する結果となった。これに対してソ連は世界各地の民族主義運動を支持する立場を打ち出したが(民族の固有性を認めることはマルクス主義の公式的立場から外れるにも拘わらず)、それは単に戦略的に西欧資本主義と対抗するというだけでなく、こうしたスターリンの言語政策も背景にあったと言えるのだろうか?

 ただし、現実に起こったことを考えると、旧ソ連の体制において民族自決が原則通りに保証されたわけではない。はじめに書いた朝鮮族の老人は母語を使うのを禁じられたからこそ、人知れぬ所でノートを見ながら母国の歌を歌うしかなかった。また、複数の言語共同体をつくることは分割統治という政治的妙手の格好な手段ともなる。

 田中克彦『言語からみた民族と国家』(私が読んだのはかなり前で、岩波書店・同時代ライブラリー、1991年。現在は岩波現代文庫に入っているようだ)では中央アジアのトルコ系共和国の成立事情が言語という観点から論じられていたように記憶している。カザフ人、ウズベク人、キルギス人、トルクメン人、アゼルバイジャン人はもともと同じトルコ系の言語を話す。ところが、革命後に成立した共和国ごとに別々に正書法が定められて、本来は方言的な差異に過ぎなかったものが公定言語としての違いとして際立たせることになり、それが国家的な帰属意識にもつながったという。

 母語→国家を求める、というベクトルと同時に、国家→母語を求める、という方向へ進むベクトルもあり得る。言語的アイデンティティーと政治的アイデンティティーの双方向的なダイナミズムは、その置かれた状況的コンテクストに応じて全く違った役割を果たす。ここの機微を慎重に見極めないと民族問題を考えようとしても致命的な誤解をしてしまいそうで、途方にくれる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月25日 (月)

雑談を取りとめなく、音楽

 「サイドカーに犬」のエンディングにYUI「understand」という曲が流れた。映画そのものの余韻もあってしんみりと耳に残った。上映されていたアミューズCQNからエスカレーターで降りていくと、建物の壁面はガラス張りなので、夕方、渋谷の街の空にかかる雲のあかね色に染まった色合いが目に心地よくしみいってくる。さっき耳にしたばかりの曲にあった「夕暮れにのびる影──」というリフレインが何とはなしに思い返され、YUIのCDを探しにタワー・レコードに寄ることにした。

 「UNDERSTAND」「MY GENERATION」の収録されたシングルとデビューアルバムの「FROM ME TO YOU」を聴いてみた。中途半端に英単語まじりの歌詞はあまり好きではないし、編曲で聴かせているのかなという感じもするが、聴き心地はなかなか悪くない。ジャケットの写真を観ると、このYUIという子は凛々しくてカッコいいね。子供っぽいあどけなさと芯の強さがあやういバランスを取っている感じというか、そういう演出なんだろうけど、様になっている。

 サウンドトラックのフロアをふらついていたら、大野雄二のベストコレクションが試聴機にかかっていた。以前、このブログにも書いたが、岩井俊二監督「市川崑物語」を観たところ、大野の作曲した「犬神家の一族」のテーマ曲が流れていた。なめらかな弦楽合奏のメロディーを耳にして無性になつかしい気持ちをそそられ、市川崑の作り直し版「犬神家の一族」をついつい観に行ってしまった。残念ながら、大野のベストコレクションにこの曲は収録されていなかったが、「ルパンⅢ世」やNHKでやっていた「小さな旅」(最初は「関東甲信越小さな旅」というローカル番組だったが、いつの間にか「小さな旅」として全国版になっていた。割合と好きでたまに観ていた)のテーマ曲を聴くことができた。それぞれ雰囲気は全く違う。ただ、「犬神家の一族」のメロディーを意識しながら聴いていたら、メインテーマは違うのだが、伴奏に流れる弦楽の雰囲気がよく似ている。大野雄二の曲で私の気持ちに引っかかっていたのは、この弦楽のメロディーなんだなと改めて自覚された。

 ついでにタワー・レコード新宿店にも寄った。クラシックのフロアに行って試聴機を見ていたら、クラウス・テンシュテット指揮によるワーグナーの管弦楽曲集があった。以前にリヒャルト・シュトラウスが好きだと書いたので容易に想像されるだろうが、ワーグナーも好きだった。「ワルキューレ」はコッポラの「地獄の黙示録」以来、定番だな。私が一番好きなのは「ジークフリートの葬送行進曲」。荘重な旋律が体の奥にまでズシンと響いてくるのがすごくいい。かつてヒンデンブルクが死んだ時、ヒトラーが葬儀に演奏させ、文字通りワイマール共和政を葬送した曲でもあるが。

 「Barber's Adagio」も試聴機にかかっていた。バーバー「弦楽のためのアダージョ」は通常、弦楽合奏として演奏されるが、声楽やフルートなど別の楽器による様々な演奏も収録して、この曲の魅力を一層引き出したのがこのCDだ。私が買ったのはかれこれ十年くらい前のように思うが、復刻されたのだろうか。ジャケットもいい感じ。この曲はオリバー・ストーンの「プラトーン」で一躍有名となったが、哀愁が静かに胸にしみわたってくるメロディーに泣けてくる。

 タワレコ新宿店にはミニマリズムの熱烈なマニアがいるのだろうか。来るたびに、フィリップ・グラスやスティーヴ・ライヒの特集が目につく。今日もライヒが試聴機にかかっていた。「Tehillim」の聴きなれぬヘブライ語や「Different Trains」の不安をかき立てるようなリズムについつい聴きほれる。両方ともうちに帰ればあるのだが。ライヒで私が一番好きなのはやはり「十八人の音楽家のための音楽」だ。たゆたうような厚みのある音の重なりに身を委ねていると何とも言えず心地よい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月24日 (日)

「サイドカーに犬」

「サイドカーに犬」

 結論から言ってしまうと、この映画、とても好きだ。

 子供の頃、大人の世界は不可思議だった。大人たちはすぐ身近なところにいるのに別世界のロジックで動いている感じがあった。そのズレが、色々な面倒事から距離を置く防波堤となっていた一方で、背伸びして覗き込んでみたくなるもどかしさもあった。こうした距離感がなくなったのはいくつくらいの頃だったろうか。

 薫(松本花奈)の父(古田新太)が仕事を辞めていかがわしい中古車業を始め、母(鈴木砂羽)が家出した、ある夏のこと。ゴハンを作るよ、と言ってヨーコさん(竹内結子)が当たり前のような顔をして家にあがり込んできた。年齢不詳でマイペース、大人なんだか友達なんだか分からないヨーコさんに、薫は戸惑いつつもひかれていく。

 もちろん、母がいなくなってヨーコさんがやって来たということにはそれなりの大人の事情がある。薫の父の煮え切らない態度にヨーコさんは苛立ち、涙を流す。すっかり友達気分でいた薫は、そうしたヨーコさんの時折見せるいつもとは違った表情に驚く。手切れ金を渡されたヨーコさんは薫にこうささやいた。「あたしの夏休みに付き合ってくれないかな?」

 1980年代の東京、国立が舞台。今はなき三角屋根の駅舎がさり気なく映像をかすめる。ガンプラとかパックマンとかなつかしいが、私自身の記憶よりも微妙に古い雰囲気。竹内結子の演ずるヨーコさんが魅力的だ。無造作なようでいて、さり気なく自然に薫と接している姿がとても良い。大人の世界を垣間見せつつも、それが変にすねたりませたりしない印象を薫に与えているのがよくうかがわれ、どこかホッとした気持ちになった。

【データ】
監督:根岸吉太郎
原作:長嶋有『猛スピードで母は』(文春文庫)から「サイドカーに犬」
出演:竹内結子、松本花奈、古田新太、鈴木砂羽、ミムラ、樹木希林、椎名桔平、トミーズ雅、温水洋一、寺田農、他。
主題歌:YUI「UNDERSTAND」
2007年/94分
(2007年6月23日、渋谷、アミューズCQNにて)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月23日 (土)

東京都美術館「サンクトペテルブルク ロシア国立美術館展」

東京都美術館「サンクトペテルブルク ロシア国立美術館展」

 十八世紀、とりわけ十九世紀ロシアといえば、文学でも音楽でも著名な名前はすぐにいくつか思い浮かぶ。しかし、絵画という分野は盲点だった。私の脳裏ではいきなりシャガールやカンディンスキーから始まり、続くのは清く正しくたくましい労働者男女を描いた“社会主義リアリズム”。このたび開催された「ロシア国立美術館展」では、これまで日本ではあまり知られていなかった帝政期ロシアの絢爛たる美術作品を目にすることができる。

 全般的に言って、私がロシアに対してイメージとして持っていた土俗性とは異なって、すっきりした雰囲気の作品が多いという印象がある。肖像画が多く描かれているが、イコン作家出身の画家が多いのはいかにもロシアらしい。カルル・ブリュローフ作「ウリヤナ・スミルノワの肖像」に描かれた清楚な美少女のおだやかな眼差しにはついつい見とれてしまった。風景画も多く、早期の作品群には都市を描いたものが目立つ。巨大建造物を遠景に配置して都市を大きく俯瞰するような構図。ロシア近代化のシンボルとして積極的に描かれたのだろうか。イメージ的に、ムソルグスキー「展覧会の絵」の最後をしめくくる「キエフの大きな門」のメロディーが頭の中で鳴り響いていた。イヴァン・アイヴァゾフスキーの描く海景画は、ドラマを感じさせる雄大な構図と光の色合いの美しさが相俟ってとてもカッコいい。十九世紀後半になると、中央ロシア、さらには中央アジアにかけての平原や針葉樹の目立つ荒々しい自然を題材とした風景画も描かれている。天地の大きく広がる大地に道が一本果てしなく続く様を見ながら、「展覧会の絵」の「ビドロ」やボロディン「中央アジアの草原にて」のメロディーを頭の中で反芻していた。

 先日、日本経済新聞の読書面で印刷博物館の樺山紘一館長も書いておられたが、展覧会の図録というのはなかなか素晴らしい。私は興味をそそられた展覧会の図録はできるだけ買うようにしているが、「ロシア国立美術館展」の図録も上質紙にフルカラー印刷、三百頁を超える大部なのに、税込みで二千百円という安価。普通の画集だったら五千円は軽く超えているだろう。しかも、今回のように邦語文献の少ないジャンルでは専門家による解説論文は貴重。とりわけ、沼野充義の解説は、ピョートル大帝の近代化改革以来ロシアを二分してきた西欧派とスラヴ派とのアイデンティティーの葛藤を軸に思想史・文化史の脈絡でロシア絵画の位置付けを簡潔にまとめてくれており、とても勉強になった。
(2007年7月8日まで開催)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』

宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ、2007年)

 十九世紀という時代背景を踏まえてトクヴィル(Charles Alexis Henri Clerel de Tocqueville、1805~1859)の思想を読み解きながら、デモクラシーをめぐる基本論点に踏み込んでおり、興味深く読んだ。

 デモクラシーの進展は平等化の徹底をも意味する。かつてのアリストクラシー(貴族的身分制度)では地位の不平等は自明なこと。誰も疑問に思うことはなかった。デモクラシーが進展するにつれて、これまでの支配・服従関係を正当化してきた権威は不自然なものとみなされ、否定される。しかし、これは単に身分上の格差がなくなったということではなく、人々の想像力が変質したからである。言い換えると、社会制度がかわっても不平等はなくならないが、不平等の性格が変化したと言える。デモクラシーの社会にあってはむしろ人々は他者との違い=個性に敏感となり、これを他の者に承認するよう求めるようになった。

 デモクラシーが進展するにつれて人々を結びつけていた紐帯はほどかれてしまう。個人として析出された孤立状態が“個人主義”と呼ばれる。これは、自分の利益だけをごり押しする利己主義を意味するのではなく、他者への関心が希薄となったところに特徴がある。個人主義という態度において自分自身は至上の存在である。だが、平等という原則によって他者の優越を認めないことは、同時に自分の優越も認められないこと。このようなアンバランスは政治的次元ではどのように表われるのか? 同等であるはずの誰かによって支配されるのはイヤだが、非人格的な“多数者”に従うことにはためらいを感じない。

 また、デモクラシーにおいては個々人の意見を何らかの形で反映させた上で政治運営を行なうのが原則となる。そこで、一人一人がすべて自分で判断せねばならないのが建前となるが、人に全知全能の判断など下せるだろうか? 無自覚のうちに何らかの根拠を求めてしまう。特定の権威に寄りかかることはない代わりに、“多数者の意見”を素直に受け入れるようになる。

 デモクラシーが “多数者の圧政”となりかねないところにブレーキをかける仕組みをトクヴィルはアメリカ社会に見出した。キーワードは“宗教”と“結社”。

 アメリカ大統領は就任にあたり聖書に手を置いて宣誓する。選挙でキリスト教右派が見せつける強大な集票力からも分かるように、アメリカ社会には今でもキリスト教が深く根を下ろしている。政教分離を近代社会の条件と考える我々にとって驚きだ。さすがに聖職者を政治に関与させたり宗教的マイノリティーを迫害するようなことは否定されるが、少なくとも宗教色を政治から排除することはない。政教分離の厳格化を特徴とするフランスからやって来たトクヴィルにとって、これはむしろ好意的に受け止められた。“個人主義”的な思考を文字通りに実践するなら「いま・ここ」という局限的な観点でしかものを考えることはできない。長期的観点で社会の運営を考えるためには、一人一人が「いま・ここ」から離れて想像力を働かせねばならない。熱狂的な献身までは求めないものの、デモクラシーを健全に運営するには、デモクラシーの外部に何らかの一貫した基準が必要である。そうした意味でトクヴィルはアメリカ社会の宗教的空気に好意的だったと言える。

 砂粒のようにバラバラとなった個人を放っておいたら、判断基準を失った彼らは“多数者の声”にあっと言う間に絡めとられてしまう。自己の殻の中に閉じこもりがちな彼らを具体的に目鼻の見える他者と結びつける“結社”は、そうした“多数者の声”への付和雷同に抵抗する砦となる。つまり、抽象化された世論とは違う価値観があり得ることを“結社”単位で示し、“多数者の声”を相対化することができる。

 平等化の進展によって、かえって自己の外部に根拠を見失ってしまった“個人主義”。そこにトクヴィルはデモクラシーの脆弱さを見出し、そうした欠点を補うものとしてアメリカ社会から“宗教”と“結社”という要素を汲み取った。その要点は、個人主義において人々が判断の根拠を見失ったがゆえに“多数者の声”に従属してかえって社会が画一化されかねないという逆説に対し、常に“多数者”を相対化していくダイナミズムがデモクラシーの健全な運営に必要なことを示すことにあった。ここで注意すべきなのは、トクヴィルは彼自身の祖国であるフランスが抱えた問題との対比の中でアメリカ社会を観察していたということであり、“アメリカ”的なものと“デモクラシー”とは分けて考える必要がある。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

『現代』七月号・『論座』七月号

 昨日に引き続き、最近読んだ雑誌から興味を持った論説をいくつか。まず、『現代』七月号

 ここのところ、日本現代史に関心を寄せる人々の間では富田メモを始め昭和天皇関連の新資料発掘で議論が熱くなっている。半藤一利・秦郁彦・保阪正康「昭和天皇の「怒り」をいかに鎮めるか」もやはり富田メモ、卜部日記を踏まえた鼎談。靖国神社へのA級戦犯合祀は、政府の意図というよりも、当時の旧厚生省援護局にいた旧軍人グループの政治的思惑が働いており、彼らの動きと靖国神社の松平永芳宮司の独特な歴史観とが結びついてこの騒動がややこしくなったという。松平の前任の宮司でA級戦犯合祀に慎重姿勢を取っていたという筑波藤麿という人物に興味を持った。

 合祀者の一人、東郷茂徳元外相の孫にあたる東郷和彦が、首相の靖国参拝一時停止を求める手記を発表して一部で話題となった。「「靖国問題」の思考停止を憂う」では、「国のために命を捧げた」人々の慰霊の問題について、国ではなく靖国神社という一宗教法人に委ねてしまっているねじれを指摘し、政教分離の原則論に戻って国民的なコンセンサスを得るべく議論を進める必要があると問題提起する。

 佐藤優が今号から「「名著」読み直し講座」の連載を開始。第一回は高橋和巳『我が心は石にあらず』を取り上げている。団塊世代の内在的論理を把握するためという趣旨だが、あまり関心をそそられず。なお、私は高橋和巳の作品では『邪宗門』に興味があるので、いずれ機会をみつけてこのブログで取り上げてみたい。

 次は、『論座』七月号。ここのところ、『論座』は筋の良い若手論客を積極的に起用しており、地味だけど良質な誌面構成をしているように思う。

 小林よしのりの発言を読むのは久しぶりだ。『戦争論』(幻冬舎、1998年)以来、妙なナショナリズムを随分とあおっているなあと違和感があったのでしばらく距離を置いていた。ところが、「わしが格差拡大に反対するワケ」を読んでみると、コミュニタリアニズム(彼はこういう言葉は使わないが)の立場ではっきりと筋を通しており、なかなかまともだなと感心した。雨宮処凛「ロストジェネレーションと『戦争論』」は、私自身と同世代の精神的軌跡としてリアルに共感できる。

 “保守”と“右翼”という言葉をゴチャゴチャにして杜撰な議論を展開する人をよく見かける。中島岳志「思想と物語を失った保守と右翼」では、歴史精神や妥協という智慧に基づくバランス感覚として“保守”、ネイションにおける一体性・平等性を求めるラディカリズムとして“右翼”を捉え、一定の見取り図に整理してくれる。

 不遇な労働環境に直面した若年世代に漂っている2ちゃんねる的なナショナリズムや、小泉支持の奇妙なねじれ(小泉改革は彼らにとって不利であるにも拘わらず)。彼らの抱える“怨念”を単純に断罪したところで無意味だろう。そうした中、萱野稔人「「承認格差」を生きる若者たち」の議論は非常に説得的に感じた。①フリーターなどの不安定な生き方をせざるを得ない彼らにとっては、経済的な問題ばかりでなく、仕事を通した承認が得られないという不満があること。②社会的な能力として“人あたりのよさ”という言語的・情動的コミュニケーション能力が重視されるようになり、不器用な人間は生きづらいという状況(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、2005年)でもこの論点は指摘されていた)という議論を踏まえ、こうした承認格差を直截的に解消する経路をナショナリズムに求める傾向があると指摘する。ただし、ナショナリズムを単純に否定して終わるのではなく、アイデンティティ不全を切り口として捉えなおす視点があって興味深い。

 高原基彰「「自由」と「不安」のジレンマ」では、同様に若年層の“怨念”について、組織に束縛されずに個人の力で競争する生き方としての“自由”、組織に属しつつ年功的な昇給を当てにする生き方としての“安定”という二つのキーワードを軸に議論を進め、前者の虚偽性に対する苛立ち、後者への志向を読み取る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

『中央公論』七月号

 昼休みに書店へ行ったら『中央公論』七月号を見かけた。今日は仕事ものんびりしていたのでざっと目を通した。

 社会格差論が急に盛り上がってきたのはほんの1、2年のことだ。新聞や国会論戦で取り上げられるようになって、今ではこの言葉を見かけない日がないくらいに人口に膾炙している。私は以前からこのテーマに関心を持っていたのだが、最近の流行ぶりにはちょっと戸惑っている。私は、“格差”は決して一過性のものではなく、良いか悪いかという価値判断の問題はとりあえずペンディングした上で、どんな場所でもどんな時代でもあり得ることと考えている。もちろん、そこで話を終わらせるわけにはいかない。それでは、そもそも“公正”とは一体何だろうか、みんなの納得できる社会システムとは一体どんなものなのか、という決して結論の出せないテーマを考え続けるきっかけとして関心を寄せていた。ところが、今の風潮としては、たとえば民主党の政策にも顕著なように、政府批判のための便法として何でもかんでも“格差”に結びつける傾向がある。あまりにお手軽にこの言葉を使いすぎるので、かえって問題の焦点がぼやけてしまう。同様の違和感を、『不平等社会日本』(中公新書、2000年)でこの議論の火付け役の一人となった佐藤俊樹がもらしている(「「格差」vs.「不平等」」)。

 「インテリジェンスという戦争」という特集が組まれていた。中西輝政はイギリスのインテリジェンス活動の歴史を簡潔にまとめた上で、力に抑制的でない国は情報活動に弱いと指摘する。日露戦争に至る明治日本と昭和の帝国日本との対比を見るとうなずける。また、機密情報の厳守と情報公開とがぶつかりあうことは最近の傾向として避けられないが、このせめぎあいをプラス・マイナスで考えるのではなく、議会からの情報機関への監視を強めることでむしろ与野党を問わず情報の扱いに習熟させるきっかけとなるはず、そこはイギリスの経験から学ぶべきという指摘が興味深い(「大英帝国、情報立国の近代史──民主主義国のインテリジェンス・リテラシーとは」)。元内閣情報調査室長で対外情報庁の設立を主張している大森義夫は、最近の情報問題がらみの不祥事を踏まえながら、幹部の情報管理責任やセキュリティ・クリアランスの問題を論ずる(「せめて、機密を守れる国になれ」)。佐藤優・手嶋龍一対談では、むしろ対外情報庁構想については生半可なことではできないとして懐疑的。当面は、公開情報を読み解く人材育成から始めるべきだと提言する(「情報機関を「権力の罠」から遠ざけよ」)。勝股秀通は情報軽視という自衛隊の組織文化を具体的に指摘する(「なぜイージス艦情報は漏れたのか 自衛隊──欠陥の組織文化」)。

 昨年、日本経済新聞が富田朝彦元宮内庁長官のメモをスクープしたのに続き、今年に入って『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞社)も刊行された。これらの資料には靖国神社にA級戦犯が祀られたことに昭和天皇が不快感を示していたという記述があり、様々な議論を呼び起こした。「昭和天皇が守ろうとした歴史と宮中」で対談する保阪正康御厨貴は、昭和天皇のこうした気持ちは『徳川義寛終戦日記』(朝日新聞社、1999年)ですでに明らかとなっており、今回の二つの資料を通して明確になったという立場を取る。天皇制をめぐっては様々な問題があったが、それが育んできた知恵の良質な部分は、日本社会の約束事として通じるもので、これを一連の資料から読み取ることも必要という保阪の指摘に興味を持った。昭和天皇という人自身は基本的にリベラルで穏健な思考の持ち主だったという印象を私は持っている。様々な政治的バイアスから議論が複雑を極めているが、彼自身の内在的論理と戦前・戦後政治との関わりをバランスよくまとめた本がありそうで、意外とない。こうした資料の誠実な読み解きを通じた研究の進展を期待したい。

 浅羽通明「右翼と左翼を問い直す30冊」には意外なラインナップも含まれていて、その独特な切り口が面白い。

 ロバート・D・エルドリッヂ「不在の大国・日本──なぜ戦後の国際政治史に登場しないのか」では、その理由として①日本の指導者が回顧録や日記をあまり残していない、②指導者の伝記等の資料が英訳されていない、という二点を挙げる。そのため、海外での国際関係史研究で日本関連の領域が空白となり、存在感なしというイメージが定着してしまった。アメリカの大統領図書館のように歴代首相の記念図書館を整備し、海外の研究者でも資料にアクセスしやすくなるよう便宜を図るべきと指摘する。意外と盲点だったなと素直に納得した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

「赤い文化住宅の初子」「16[jyu-roku]」

「赤い文化住宅の初子」

 初子(東亜優)は兄(塩谷瞬)と二人暮らし。お父さんは借金を抱えて蒸発し、苦労を重ねたお母さんは病気で世を去った。気持ちのすさんだ兄は同僚を殴って職を失い、初子は高校進学を断念して働かなくてはならない。だけど、初子はそういう事情を誰にも話さない。一緒に高校へ行こうと勉強を教えてくれていた三島君(佐野和真)は戸惑うばかり。

 お母さんが好きで読み聞かせてくれた『赤毛のアン』。だけど、初子が言うには「アンは良い夢ばかり見ているから好きじゃない。」

 ホームレスとなっていたお父さん(大杉漣)が初子を見かけ、家に戻ってきた。しかし、妻はすでになく、息子からは「お前のせいだ、出て行け!」となじられる。「いざとなったら家族があると信じていたからこれまで頑張ってこれたのに…」。絶望した彼はアパートに火をかけて焼け死ぬ。『赤毛のアン』も一緒に灰となった。

 初子たちは大阪に行くことになり、見送りに来てくれた三島君は『赤毛のアン』をプレゼント。大きくなったら結婚しようと約束する二人の姿は、一見したところあどけない純愛のハッピーエンドのようにも見える。が、素直に信じていた父や兄に振り回されてきた初子の姿を思い返すと、この約束もはかない絵空事に終わるのだろうなと容易に見当もつく。

 たとえはかない望みでも、そこに拠り所を求めなければ、このつらい日々をやりすごすことはできない。大人たちからひどい言葉を浴びせられたり、恵まれたクラスメイトから“お情け”をかけられても、それを恨んだりひがんだりするのではなく、真面目に受け止めて戸惑っている初子の純朴さはいじらしくて胸を打つ。というよりも、もどかしくてイライラするくらい。だけど、裏切られても信じ続けるということは、ひょっとしたらそのこと自体が生きていく智慧であり、力なのかもしれない。

【データ】
監督・脚本:タナダユキ
原作:松田洋子(太田出版刊)
100分/スローラーナー/2007年
(2007年6月15日レイトショー、渋谷、シネ・アミューズにて)

「16[jyu-roku]」

 「赤い文化住宅の初子」からのスピンオフ作品。この映画で主演を務めた東亜優(ひがし・あゆ)自身に注目し、田舎から上京して女優修行に戸惑う日々を描く。ドキュメンタリーというわけではないが、入れ子構造のように「赤い文化住宅の初子」のオーディションや撮影光景も挿入され、彼女の等身大の姿も重ね描きされているようだ。

 彼女を追うように家出してきた少年(柄本時生)の抱える鬱屈感が気持ちにひっかかった。恋愛とかそういう感じではない。自分の居場所が見当たらぬ思春期の戸惑いとでも言ったらいいのかな。黄昏色の夕景の街中、走って逃げていく二人の後姿。レインボーブリッジが後景に浮かぶ寒々とした夜、水辺のベンチに腰を下ろした二人のかたい表情。そんなに深刻にならなくてもいいんだよ、と声をかけたくもなるが、あの年頃に自身が抱えた心情を思い出し、それが映像の雰囲気とシンクロしてちょっと身につまされたりもする。

 東亜優は表情の揺れに初々しさがにじみ出ていてかわいらしい。「赤い文化住宅の初子」ではもともと感情の起伏に乏しい役柄だったのでかたい感じだったが、「16」では表情が豊かでこちらの方が彼女の魅力はよく出ているように思う。

【データ】
監督・脚本・編集:奥原浩志
76分/スローラーナー/2007年
(2007年6月17日、渋谷、シネ・ラ・セットにて)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月16日 (土)

島田裕巳『公明党vs.創価学会』

 新聞を開いたら公明党の参議院議員が離党するという記事が載っていた。細川政権成立前後から最近の郵政選挙まで与野党を問わず離党騒ぎはごくごく当たり前の光景だが、そうした中でも公明党(もしくは共産党)の現職議員が離党するのは極めて異例だ。夏の参院選に向けて公認がとれなかったのが理由らしい。

 以前、たまたま古本屋で藤原弘達『創価学会を斬る』(日新報道、1969年)をみつけて目を通したことがある。いわゆる言論出版妨害事件、公明党の竹入義勝が田中角栄を通じて出版差し止めの圧力をかけたといわれるあの事件で話題となった本だ。丸山眞男のファシズム論の枠組みを用い、閉鎖的な大衆動員システムとして創価学会を捉えていたように記憶している。丸山のファシズム論では小学校教員や在郷軍人などの“擬似インテリ”が国民を扇動する役割を果たしたとされる(丸山眞男『現代政治の思想と行動』「ファシズムの思想と運動」)。創価学会を創立した牧口常三郎や戸田城聖も小学校の教員だったわけで、この理論に適合的。もっとも、丸山理論は日本政治を考える上で貴重なたたき台となったとはいえ、いまではそっくりそのまま鵜呑みにしている論者など少ないが。

 ここのところ、島田裕巳は創価学会の研究を進めている。『創価学会』(新潮新書、2004年)、『創価学会の実力』(朝日新聞社、2006年)と続き、三冊目の本書『公明党vs.創価学会』(朝日新書、2007年)では東大の御厨貴研究室の協力を得て政治分析に踏み込んでいる。

 本書で第一に興味深いのは、公明党は自民党批判をしながら政界進出したにもかかわらず、その基盤は本来保守的であるという指摘だ。

 高度成長期、都会に出てきた農村の次男坊、三男坊。労働組合や共産党ですら組織化できなかったよるべない彼らに互助的なコミュニティーをつくり上げたことは創価学会の果たした役割として否定すべきではないだろう(いわゆる“折伏”は、コミュニティー内部の結束を強める一方で、周囲の非学会員にとっては非常に迷惑ではあったが)。彼らは、都会では創価学会員となり公明党を支持したが、農村に残っていれば自民党の支持者のままだったはずだ。その意味で、自民党、とりわけ田中派と創価学会が結びつくのはむしろ自然であったという。つまり、体質的には保守的だが、都会における社会的弱者としては革新志向。そうした二重性に、公明党は自民党と連携するのか、野党と共闘して社公民路線でいくのかという動揺があったとまとめられる。

 創価学会は現世利益を求める。住民相談という形で個別の問題解決をするのが公明党の議員の仕事で(他の政党ももちろん個別相談に応じるが、公明党の活動が際立っている)、その点では地方議会が出発点であったことにもこの党の性格がよく表われている。言い換えれば、政策的な理念よりも、個々の具体的な利益配分の問題として福祉の充実を訴えることに重点が置かれていた。

 本書の捉え方で第二に特徴的なのは、創価学会と公明党とが別組織である点を強調していることだ。言論出版妨害事件をきっかけに政教分離に反するのではないかという風当たりが強くなり、しぶしぶ両者は別組織であり政教分離の原則には反していないというポーズをとらねばならなくなった。組織系列的な人事を別立てにしたので、この分離は実際に進んだらしい。そのため、公明党は学会から選挙支援を受ける、そのかわり学会は公明党議員の働きを監視するという緊張関係がうまれた。こうしたダイナミズムがむしろ選挙戦で強みを発揮するようになった。その一方で、現実路線を取ろうとする公明党執行部と創価学会との間で意見のズレも目立つようになり、この点では、共産党のような一元的なヒエラルキーはないという(ただし、タイトルで「vs.」と強調するほどのものとは思えないが)。

 創価学会・公明党の問題は単に政教分離の原則論にあるわけではない。小選挙区制においてはわずかな票の移動でも当落が決まってしまう。公明党の現有議席数は中選挙区時代に比べて激減したものの、個々の選挙区でキャスティングボートを握るのは学会票。選挙協力で自民党に恩を売ることは、ある一つの宗教団体が政権の枠組みを左右しているとすらいえる。

 ただ、もう一つの考え方もある。自民党とのバーター取引で公明党議員も票をもらっている。つまり、創価学会以外のところから票をもらうことが常態化すると、公明党が創価学会からの独立性を高めるという可能性も指摘される。

 創価学会は組織として安定してきた。もはや新興宗教とは言えないだろう。会員の生活も豊かになり、かつてのようなアグレッシブな折伏をする者はもういない。会員のライフスタイルも多様化してくると、現時点では人的ネットワークの付き合いで習慣的に公明党に投票してはいるが、将来は無党派化することも考えられる。また、選挙における創価学会婦人部の活躍ぶりは有名だが、池田大作の後を考えると、彼女らの忠誠心を集められるだけのカリスマ的な後継者が見当たらないことからも学会のヴァイタリティー低下を予想させる。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月15日 (金)

政治家ネタで二冊

 政治ゴシップものは意外と嫌いではない。床屋政談にふけるほど暇ではないが、酒の肴がわりに読むにはちょうどいい。

 ここのところ、出版界での佐藤優の目立ちぶりが尋常ではない。『国家の罠』を一読して以来心酔している者として歓迎してはいるが、少々食傷気味のきらいがないでもない。私としては、ナショナリズムを軸とした日本近代思想の読みかえやキリスト教神学について正面から取り組んだ本を期待しているのだが、どうしたって準備に時間がかかるだろう。マスメディアを使って勝負をかけている佐藤としては、とにかく世論から忘れられない、飽きられないのが肝心だ。彼の視点の取り方や知識の蓄積はどんなテーマにも応用をきかせているので、粗製濫造には目をつぶり、新刊に気付き次第チェックしている。

 そういうわけで、佐藤優・鈴木宗男の対談『反省──私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム、2007年)を早速読んだ。一言でいえば、外務省の内部がここまで腐っているのに何も手を打てなかったのを反省しています、という趣旨。いわゆる“ムネオハウス”問題のあたりでは当時追及側にいた元共産党・筆坂秀世も飛び入り参加。内容としては、以前に佐藤が『週刊新潮』や『月刊現代』などで書いていた暴露ものの延長線上にある。ゴシップといってしまえばそれまでだが、その話題をきっかけとして政治や外交の微妙な機微を語っているのが面白い。外務省の悪口満載だが、谷内正太郎・事務次官を高く評価して希望をつないでいるのが目を引いた。

 村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書、2007年)も読みようによっては面白い。自民党参院のドン、小沢一郎の智慧袋、共産党の論客とそれぞれ立場の異なった元参議院議員三人による座談。前半は過去の出来事を振り返りながら政治放談。後半では、参議院議員として仕事をしながら直面した問題意識を踏まえて参議院改革案を提示する。予算は衆議院にまかせ、参議院は決算で独自性を持たせるという提案は興味深い。

 だが、私が本当に面白いと思ったのはこの本の内容ではなく、村上・平野・筆坂という三人が顔をそろえて一冊の本を作ったこと。平野は引退しただけだが、村上はKSD事件で逮捕された。筆坂はセクハラ疑惑で辞職に追い込まれ、後に離党。失脚した身ではあっても彼らは泣き言をもらさない。

 その人の実際がどうであるかよりもイメージ的なものが当落に直結してしまう風潮が強まっている中、疑惑をかけられて失脚した政治家が復活するのは至難の業だ。“国策捜査”はむしろそれを狙って、政治的なパージを汚職にすりかえるという方法を取っている。鈴木宗男が復活できたのは、一つには佐藤優のおかげもあるだろう。佐藤が示した“国策捜査”という論点をきっかけに、本来ならば表面化しない事情で足をすくわれた可能性に我々は注目するようになった。

 「盗人にも一分の理」なんていうと語弊があるかもしれないが、宗男側にも言い分がある。かつてならマスコミは政界の悪を追及するという姿勢で歯牙にもかけなかっただろう。しかし、佐藤が展開する議論の説得力は、彼いうところの“思考する世論”に非常なインパクトを与え、「盗人」側の言い分も聞いてみようかという雰囲気をつくった。読書家の間でも関心を持って読む人々が現われる。売れる。従って、出版社は失脚した政治家の本を出しても十分に採算がとれる。

 最近、本書の村上正邦や筆坂秀世にせよ、あるいは民主党の山本譲司にせよ、失脚した政治家たちが興味深い本を出している。敗者にも主張する舞台が保障されている点で健全なことだ。単に憲法の条文に言論の自由が規定されていることと、マスコミを通して反論の機会が得られることとの間には天と地ほどの開きがある。おおげさな言い方かもしれないが、そうした雰囲気づくりという点で、佐藤優は日本の民主主義を成熟させるのに大きな貢献をしているように思う。

 松岡利勝農水相にしても、死ぬ必要はなかった。政治家としての生命は絶たれたかもしれないが、考え方を切り替えればこうした人々のように違う舞台で発言できる可能性もあったはずだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月11日 (月)

西原理恵子『ぼくんち』

西原理恵子『ぼくんち』(小学館、2003年)

 みじめな仕打ちを受けた時、立場の同じ人への思い遣りが芽生えるとは限らない。切羽つまっていればいるほど、弱い者は、自分よりもっと弱い者につらくあたる。そうした悲しい現実を目の当たりにすることがある。

「みんなの人生がドブに顔をつっこみ続けたような人生だからだ。誰か一人──、誰か一人、人生で抱きしめてくれる人がいたら、みんながこんな事にならなかったんじゃないだろうか。」(第92話)

 人間の持っているヘドが出そうに醜いところを描くのは意外と簡単だ。だまし、裏切り、そうした類いのことを並べ立て、「人間なんて所詮こんなもんさ」と分かったような口ぶりでポーズをとれば、いっぱしの真実を見たような気になれる。

 『ぼくんち』の舞台は猥雑で悲惨だ。シャブ打ち、恐喝、売春、殺しも日常的。こんな物騒な言葉を並べるとさぞ陰惨な話であるかのように思ってしまうだろうが、不思議と暗くはない。一つには、絵柄の雑な感じが良い魅力を出している。個々の話には妙にリアリティーがあるのだが、この絵柄のおかげで気持ちの中でワンクッションおくことができる。

 それ以上に心を打つのは、弱くても、性悪でも、一人ひとりに注がれる眼差しがやさしいところだ。人間の嫌な側面を知ることと、すれっからしとは違う。つくづくそう思う。

 たとえば、第51話。子供をたくさん抱え、不器用で満足に仕事もできないおっさん。不運が重なり、火をつけられて家は全焼。だけど、子供たちを山へピクニックに連れて行く。

「生まれて50年、きたないもんしか見てないんですわ。やから、子供にはきれいなもん見せとうて。」
──おれはこうゆう人らを知っている。弱い生き物とゆうヤツだ。それに、こうゆう人達が一生貧乏クジを引き続ける事も知っている。

 こんなナレーションをかぶせながらも、おっさんを決して突き放してはいない。何もできないけれども、その後姿をただ見守る。

 あるいは、第53話。シャブの集金に行ったこういちくん。ラリったおやじが襲いかかってきたが、返り討ち。幼い娘が泣き叫ぶ目の前で血まみれにしてしまう。こういちくんはお姉さんに懺悔する。

「反省してる? もうしない?」
「うんうん、絶対。」
「絶対はないって前に教えたろ。人はそんなにちゃんと物事を守れるようにはできていないから。」
「うんうん、じゃあ、なるべくなるべくしない。」
「じゃあ、ねえちゃんが許してあげる。おまえがどこで何をしてきたかは知らないけれど、もうしないなら…。世界中の人がダメだといってもねえちゃんが許してあげる。」
──シャブ中おやじには娘がいた。こういちくんにはねえさんがいる。今日、ぼくはわかった。人は一人では生きられない。

 こんな言葉、いつもなら気恥ずかしくて口になど出せやしない。だけど、『ぼくんち』を読んでいると素直に胸に迫ってくる。たまにこの作品を読み返すのだが、そのたびに目頭を熱くしている。悲惨な生活の中で見えてくるささやかな幸福なんて陳腐なことを言うつもりはない。良いも、悪いも、その一切をひっくるめて人生を感じさせると言おうか。言葉にまとまらなくてもどかしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

与那原恵『美麗島まで』

与那原恵『美麗島まで』(文藝春秋、2002年)

 著者の小学生の頃というから1970年代のことだろうか。池袋近く、長屋で人々が肩を寄せ合って暮らす椎名町の情景は、どことなく戦後を引きずった雰囲気を感じさせる。カタコトの日本語を話すカワカミさんという朝鮮半島出身のおじいさんが印象深い。

 親の反対を押し切って東京へ来た父・与那原良規と母・南風原里々。早くに亡くした両親の足跡をたどる旅は東京の下町から始まって沖縄、台湾をめぐり、再び東京に戻ってくる。著者自身は東京生まれの“沖縄二世”で、沖縄生まれの人からは「しょせん、ウチナンチューではないよ」と言われてしまうらしい。だが、彼女自身のルーツ探しの旅は沖縄現代史と密接に絡み合い、そこには歴史を他人事ではなく感じ取る思い入れが静かに、そして強く脈打っている。異文化を抱え込んだ植民地帝国・日本において越境的な道のりをたどった家族の物語。なお、タイトルにある“美麗島”とは台湾の別称。

 与那原恵の本はあらかた読んでいる。ありがちな構図で物事を捉えてしまいかねないところを、彼女自身の感じ方を前面に出していくのが良い。現代の世相を映し出す事件を取り上げた『もろびとこぞりて』(柏書房、2000年)など好きだ。本書も自身の家族がテーマなだけに、政治色のない沖縄現代史として読みごたえがあるばかりか、ほのかな感傷もさそう。

 カバー写真、若き日の母・里々の表情は凛々しく美しい。白地に青の装丁は、目鼻のくっきりとした南国風の顔立ちを清潔な感じに際立たせて目を引く。南伸坊の手になるらしい。このセンスと、あのおにぎり顔とのギャップに驚いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 7日 (木)

小林英夫『満州と自民党』

小林英夫『満州と自民党』(新潮新書、2005年)

 タイトルは『満州と自民党』だが、“満州人脈”と“戦後日本経済”と言い換えた方が本書の内容はよく分かるだろう。

 戦前の商工省、企画院(国家総動員体制において資源配分の采配を振るった)、そして旧満州国において統制経済を実施するための様々なプランが立てられていた。その試行錯誤を通して、どこに経済政策立案の重点を置くべきかというノウハウはすでに積み重ねられていた。日本の敗戦後、この人脈は経済安定本部(後の経済企画庁)に流れ込む。指導層クラスも、連合軍による占領という一時的な空白があったにせよ、公職追放解除と共に政治経済の現場に戻ってきた。つまり、1960年代以降にテイクオフした高度経済成長の準備を整えたのは彼らであり、そうした意味で戦前・戦後を通じて一貫した連続性を示すのが本書の骨格となっている。

 とりわけ中心的な役割を果たしたのが岸信介であった。商工官僚として出発し、満州国へ渡って“二キ三スケ”の一人に数えられるほどの実力者となる。戦後は公職追放解除からわずか五年で首相へとのぼりつめた軌跡は、ある意味象徴的である。

 満州人脈が戦後の経済復興で大きな役割を果たしたのは偶然ではない。やはり、戦前期日本において最大のシンクタンクであった満鉄調査部の存在が大きい。“王道楽土”なる理念は、現在の我々からすれば眉唾ものだろう。しかし、そうした後世の我々からの評価は別として、少なくとも一定のヴィジョンを持った政策活動を展開する駆動力となっていたのは興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

後藤新平について適当に

 台湾の李登輝・前総統が来日している。後藤新平賞の第一回受賞者として招待を受けたというのが名目となっているようだ。

 後藤新平(1857~1929)は岩手県水沢の生まれ。遠縁に高野長英がいる。医学で身を立て、刺された板垣退助の手当てをしたというエピソードがある。相馬騒動に関わって入獄するという挫折もあったが、日清戦争のとき検疫事業で示した才覚が児玉源太郎に認められ、内務省衛生局長に復帰。さらに台湾総督府民政長官に抜擢され、児玉総督の下で手腕を振るった。その後も、満鉄初代総裁、逓信大臣(郵便ポストが赤くなったのは後藤の頃)、鉄道院初代総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長、東京放送局(現・NHK)初代総裁などを歴任。関東大震災直後の山本権兵衛内閣では内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の大規模な都市計画を立てたことは周知の通り。

 ふと思い立って後藤についての本をいくつか読み直してみたのだが、その存在感の大きさにはやはり魅了されてしまう。台湾、旧満洲、そして震災後の東京と舞台を変えながら、果てしなく追い求めてきた気宇壮大な国づくりのヴィジョン。それは、目前の政策課題達成というレベルをはるかに超えて、文明論的なスケールを持っている。植民地支配の是非についてはしばらくおこう。彼の残した実績、話が大きすぎて画餅に帰したプラン、その両方をトータルで振り返っていくと、あり得ない歴史のイフにもどかしさを抱きつつも、胸の奥底に高まる興奮を抑えきれない。

 「ヒラメの目をタイの目にはできんよ」──後藤の発想の基本には“生物学の原則”がある。ヒラメの目は片側に二つ、タイの目は両側に一つずつ。それぞれ生物学的な理由があってのことで、ヒラメの顔が変だからといってタイのように顔を作り変えるわけにはいかない。人間の社会制度や風俗習慣についてもまた同様。それぞれ長い歴史を通じた必要に応じて成立しているのだから、そうした理由をまったく無視して日本や欧米の制度を押し付けたところでうまくいくはずがない。

 このようなリアリズムに基づいて台湾や満鉄の経営を行なったわけだが、その前提として調査を重視した。それは、満鉄調査部、東亜経済調査局、満鮮歴史地理調査などの形で日本のアカデミズムにも大きく寄与した。

 後藤は“文装的武備”という表現を用いた。旧満洲は対ソ、対中政策の要だが、現地の人々の支持がないまま軍備一点張りで押し通したところでもろいものだ。現地の人々から頼られる施策を進める必要があるという考えがここに込められている。

 だが、そうした戦略的見地以上に、後藤は満鉄による満洲の文明化事業そのものに熱中していた。日本の中央政府からは財政上の理由から植民地を早く一人立ちさせるようせっつかれる。少ない投資で多くの利益をあげようという功利的な発想で植民地経営を行なうと苛斂誅求となってしまう。しかし、後藤の目指すものは違った。日本を島国としてではなく、海外領土を含めた大陸国家として再編成することを目論んでおり、台湾や旧満洲での大規模な社会資本整備は、植民地と日本本国と両方の経済発展を同時に図るものであった。“生物学の原則”からも分かるように、後藤の発想は、その後の日本が進めた苛酷な同化政策とは異なる。

 鉄道広軌化の試み(戦後になって新幹線として実現した)も、帝都復興における一大都市計画も、こうした壮大な大陸国家ヴィジョンと連動している。後藤の構想が全面的に採用されていたら日本はどんな姿を見せていたか、歴史のイフに想いを馳せると胸が高鳴る(ひょっとしたら、財政が破綻してとんでもない状況かもしれないが…)。

 藤原書店が後藤新平について数年がかりの大型企画を展開している。後藤の娘婿であった鶴見祐輔(和子・俊輔の父)による『正伝 後藤新平』(全八巻)が復刻されており、日記や書簡をはじめ関連文献も続々刊行予定。ただし、膨大な量となるため専門家でない限り読み通すことはまず不可能だろう。御厨貴・編『時代の先覚者・後藤新平』(2004年)は政治思想、公衆衛生、政党観、自治問題、対外政策、鉄道問題、逓信事業、教育問題、メディアなど様々な切り口から後藤の足跡を振り返り、周辺人物との関わりも紹介している。後藤の全体像を知るには本書が最適だ。藤原書店編集部編『後藤新平の〈仕事〉』(2007年)も取っ掛かりとして良いだろう。

 北岡伸一『後藤新平──外交とヴィジョン』(中公新書、1988年)は質・量ともにバランスがとれており、初めに読むとしたら本書がおすすめだ。著者の専門分野から、外交家としての後藤を論じているのが特徴だ。

 後藤の外交ヴィジョンとしては“新旧大陸対峙論”というキーワードがあげられる。将来においてアジア大陸とアメリカ大陸とが対立するとの予測に基づき、日本は中国・ロシアと提携すべきと主張していた。この構想はロシア革命と引き続くシベリア出兵で頓挫したが、後藤はソ連の極東代表ヨッフェを招き、ソ連との国交回復のきっかけをつくった(同時期に、孫文はヨッフェと共同宣言を出して、第一次国共合作を成功させている)。

 アメリカ大陸との対立といっても敵対的なものにするつもりはなく、満鉄経営にアメリカも巻き込もうとしていた。対立関係を契機としながらも、共通の利益を見出し、統合関係にもっていこうとするのが後藤の発想の特徴だと北岡は指摘する。

 日本の大陸膨脹政策の背景には、とりわけ陸軍に根強いソ連に対する不信感があった。もし後藤のヴィジョンによって対ソ関係が改善されて満州権益について相互了解が得られていたならば、関東軍は満州事変を起すことはなく、従ってその後の泥沼も避けられたのではないか、そうした歴史のイフをやはり考えてしまう。

 ここまで紹介してきたのは主に学問的な後藤新平論であったが、山岡淳一郎『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社、2007年)はノンフィクション的で読みやすい。エピソードから後藤の人物像に入りたい人は本書を手に取るといいだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

印刷博物館「美人のつくりかた──石版から始まる広告ポスター」

印刷博物館「美人のつくりかた──石版から始まる広告ポスター」

 “美人のつくりかた”といっても、もちろん整形美容とかいう話ではない。

 印刷工場を何回か見学したことがあるにも拘わらず、理解力不足のせいか、印刷の技術的工程がいまだにピンとこなくて実にもどかしい。それでも、着実な技術的改良が積み重ねられており、かつて一つ一つの工程に相当な手間をかけられていた苦労は想像できる。写真製版が普及する前は画工の手作業にかかっていた。原画を丹念にトレースし、多色刷ポスターの場合には色ごとに版を作らねばならないが、その一つ一つを写しこんでいく。当時用いられていた石版を見るのは初めてだ。いずれにせよ、そうした職人技やその後の技術的改良の中で、いかに美人の“色合い”を出すのに工夫をこらしてきたのかを教えられた。

 この展示では技術の話だけではなく、明治から昭和初期にかけてのポスターの歴史を一望できる。日本の商業ポスターのルーツは木版印刷の引札にあるらしい。明治期のポスターは錦絵のような感じ。当時から複製絵画として鑑賞されるのを前提としていたので、型崩れしないよう金属縁がつけられていた。題材は、商品の如何に関係なく美人画がほとんど。

 大正期に入ると画風のヴァラエティーが豊かになってくる。アルフォンス・ミュシャを意識したアール・ヌーボー風のものや未来派の東郷青児が活躍する一方で、鏑木清方や伊東深水の美人画も人気を集めていた。有名な赤玉ポートワインのセミヌード・ポスターもこの頃だ。広告の図案を懸賞で募集する試みも行なわれた。“政治的に正しく”消された、あの黒人がストローを吸うカルピスのデザインも懸賞に応じたドイツ人の手になるそうだ。

 海外向けにも色々なポスターが作られている。欧米向けの観光客誘致のポスターはいかにもオリエンタルな雰囲気が強調されてあまり面白みがない。輸出商品のポスターでは、味の素、金鳥の蚊取り線香、ビール、森永の練乳、中将湯のものが展示されており、言語も英語ばかりでなく中国語、ハングル、ロシア語、インドネシア語、ポルトガル語と多彩。旧満州国や南洋など日本の勢力圏に向けての売り込みが活発だったのがうかがえる。李香蘭を起用した資生堂の高級クリームの中国語ポスターがあった。「ぜいたくは敵だ!」という風潮の中、日本国内では化粧品広告は全面的に禁止されていた。そこで、企業は海外に活路を求め、政府も大陸での商業利権拡大のため奨励していたらしい。

 商業用ポスターは人目をひくよう作られているわけで、デザインの変遷をたどるのはそれ自体が絵画鑑賞のように楽しい。同時に、ポスターが作られた時代背景を読み取っていくのも興味深い作業だ。

 なお、この展示とは直接には関係ないが、ポスターを含め、戦時下のデザインにちょっと興味がある。以前、昭和館で行なわれた戦時下の国民生活をテーマとした展示で「空襲の心構え」を示したパンフレットを見かけたことがある。サーチライトが空を照らすのを鋭角的に図案化した表紙が目を引いた。泥臭いスローガンの割にはデザインが洗練されており、そのギャップがなおさら印象的だった。大正期に未来派やダダなど西欧発のアヴァンギャルドに触れたが、食うために職業デザイナーになった人々がいる。戦時体制下のソ連でも、政治的には全体主義的な締め付けが強まったが、パンフレットやポスターのデザインにはロシア革命前後に流行った未来派の影響が強く残っていたように記憶している。デザイン、とりわけタイトル・ロゴをみると、戦前の日本とスターリン時代のソ連とで何となく似ているような感じもする。このあたりを掘り下げた文献はたぶんあるんだろうけど、手頃なものを見つけられないでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 1日 (金)

ヤスミナ・カドラ『カブールの燕たち』『テロル』

ヤスミナ・カドラ(香川由利子訳)『カブールの燕たち』(早川書房、2007年)、同(藤本優子訳)『テロル』(早川書房、2007年)

 欧米以外の国々、アジア・アフリカの文学作品を手に取るときにはかたい身構えがあったものだ。自分たちとは違う国の文化的・社会的背景を知るため、勉強するために読むという意識が先に立ち、登場人物に感情移入できるかできないかは切り離して無理やり読んだ。もちろん、楽しくはない。気軽な読書の対象として選ぶことはまずなかった。ところが、ここに掲げたヤスミナ・カドラの二冊は文句なくおもしろい。海外文学の動向に疎かったせいもあるが、読書の対象がもっと広がる可能性がありそうでワクワクする。

 『カブールの燕たち』の舞台はタリバン支配下のアフガニスタン。二組の夫婦を軸にストーリーが展開する。拘置所の看守を務めるアティクは重病の妻を抱え、本人も精神的に行き詰っていた。インテリ夫婦のモフセンとズナイラ。変わり果てたカブールの空気は若い二人の絆も蝕み、互いの誤解を増幅させてしまう。そうした中、ズナイラが突き飛ばしたはずみでモフセンは頭を打ち、死んでしまった。彼女は死刑の宣告を受け、拘置所に入れられた。チャドルをはずした彼女の美しさに一目ぼれしてすっかりのぼせ上がったアティクは、何とか助け出そうとやきもきするがどうにもならない。そんなアティクの気持ちを察した妻はとんでもない提案をする。

 カブールの町を覆う異様な狂気の描写はなかなか読ませる。タリバンを非難するというレベルのことではなくて、SFやファンタジー小説に出てくるような異世界を思わせ、現代を舞台としているという感じが不思議としない。その中で、お互いに愛し合っていたはずの夫婦の溝が浮き上がり、崩れていくのを描いているのが印象的だ。読後の後味は少々悪かったけれど。

 『テロル』の舞台はイスラエル。主人公のアミーンはパレスチナ人だが、イスラエル国籍を取って医師としてのステータスを築き上げていた。ある日、彼が勤務するテルアビブの病院近くのハンバーガーショップで爆発事件があり、子供を含め多数の死傷者が出た。疲れ果てて帰宅しても妻がいない。警察からの連絡で病院に戻り、自爆テロリストだという女性の遺体を見せられた。妻・シムへの変わり果てた姿だった。何不自由なく暮らしていたはずの彼女がどうして自爆テロなどやったのか? 彼女の抱える空虚感を自分は何一つ理解していなかったことを思い知らされる。妻と、そして他ならぬ自分自身は一体何者なのかを振り返るためアミーンは故郷に戻った。

 アミーンとシムへ夫婦の姿には、互いにしっかり理解しあっていたはずの夫婦なのに実は本質的につながり得ていなかったという現代文学にありそうなテーマと同時に、土着的な足場からはずれたアイデンティティー分裂の不安も重ね描きされている。それは、イスラエル対アラブという表面的な対立軸だけではない。近代的・世俗的な都市生活と、そこには気持ちの深奥で落ち着けない感覚とがせめぎあう矛盾が潜んでいる。アミーンがシムへに異様なものを見出す視線は、我々日本人とも共有されるだろう。しかし、イスラム回帰に向かう人々をこの作品は断罪するわけではない。二つの感覚レベルのぶつかり合いを、かたくならずドラマティックに描き出しているのがとても魅力的だ。

 作者のヤスミナ・カドラは元アルジェリア軍高級将校。軍の検閲を避けるため夫人の名前をペンネームとして用い、作品はフランス語で発表しているようだ。しばらく覆面作家として活動していたが、後にフランスに亡命。ここに紹介した二冊は中東の紛争地帯を舞台としたシリーズとして書かれ、昨年には第三作目《Sirènes de Bagdad》(バグダッドのサイレン)が発表されている。こちらの翻訳も楽しみだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »