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2007年6月21日 (木)

『現代』七月号・『論座』七月号

 昨日に引き続き、最近読んだ雑誌から興味を持った論説をいくつか。まず、『現代』七月号

 ここのところ、日本現代史に関心を寄せる人々の間では富田メモを始め昭和天皇関連の新資料発掘で議論が熱くなっている。半藤一利・秦郁彦・保阪正康「昭和天皇の「怒り」をいかに鎮めるか」もやはり富田メモ、卜部日記を踏まえた鼎談。靖国神社へのA級戦犯合祀は、政府の意図というよりも、当時の旧厚生省援護局にいた旧軍人グループの政治的思惑が働いており、彼らの動きと靖国神社の松平永芳宮司の独特な歴史観とが結びついてこの騒動がややこしくなったという。松平の前任の宮司でA級戦犯合祀に慎重姿勢を取っていたという筑波藤麿という人物に興味を持った。

 合祀者の一人、東郷茂徳元外相の孫にあたる東郷和彦が、首相の靖国参拝一時停止を求める手記を発表して一部で話題となった。「「靖国問題」の思考停止を憂う」では、「国のために命を捧げた」人々の慰霊の問題について、国ではなく靖国神社という一宗教法人に委ねてしまっているねじれを指摘し、政教分離の原則論に戻って国民的なコンセンサスを得るべく議論を進める必要があると問題提起する。

 佐藤優が今号から「「名著」読み直し講座」の連載を開始。第一回は高橋和巳『我が心は石にあらず』を取り上げている。団塊世代の内在的論理を把握するためという趣旨だが、あまり関心をそそられず。なお、私は高橋和巳の作品では『邪宗門』に興味があるので、いずれ機会をみつけてこのブログで取り上げてみたい。

 次は、『論座』七月号。ここのところ、『論座』は筋の良い若手論客を積極的に起用しており、地味だけど良質な誌面構成をしているように思う。

 小林よしのりの発言を読むのは久しぶりだ。『戦争論』(幻冬舎、1998年)以来、妙なナショナリズムを随分とあおっているなあと違和感があったのでしばらく距離を置いていた。ところが、「わしが格差拡大に反対するワケ」を読んでみると、コミュニタリアニズム(彼はこういう言葉は使わないが)の立場ではっきりと筋を通しており、なかなかまともだなと感心した。雨宮処凛「ロストジェネレーションと『戦争論』」は、私自身と同世代の精神的軌跡としてリアルに共感できる。

 “保守”と“右翼”という言葉をゴチャゴチャにして杜撰な議論を展開する人をよく見かける。中島岳志「思想と物語を失った保守と右翼」では、歴史精神や妥協という智慧に基づくバランス感覚として“保守”、ネイションにおける一体性・平等性を求めるラディカリズムとして“右翼”を捉え、一定の見取り図に整理してくれる。

 不遇な労働環境に直面した若年世代に漂っている2ちゃんねる的なナショナリズムや、小泉支持の奇妙なねじれ(小泉改革は彼らにとって不利であるにも拘わらず)。彼らの抱える“怨念”を単純に断罪したところで無意味だろう。そうした中、萱野稔人「「承認格差」を生きる若者たち」の議論は非常に説得的に感じた。①フリーターなどの不安定な生き方をせざるを得ない彼らにとっては、経済的な問題ばかりでなく、仕事を通した承認が得られないという不満があること。②社会的な能力として“人あたりのよさ”という言語的・情動的コミュニケーション能力が重視されるようになり、不器用な人間は生きづらいという状況(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、2005年)でもこの論点は指摘されていた)という議論を踏まえ、こうした承認格差を直截的に解消する経路をナショナリズムに求める傾向があると指摘する。ただし、ナショナリズムを単純に否定して終わるのではなく、アイデンティティ不全を切り口として捉えなおす視点があって興味深い。

 高原基彰「「自由」と「不安」のジレンマ」では、同様に若年層の“怨念”について、組織に束縛されずに個人の力で競争する生き方としての“自由”、組織に属しつつ年功的な昇給を当てにする生き方としての“安定”という二つのキーワードを軸に議論を進め、前者の虚偽性に対する苛立ち、後者への志向を読み取る。

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