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2007年5月18日 (金)

橋川文三『昭和維新試論』

橋川文三『昭和維新試論』(ちくま学芸文庫、2007年)

 正確な言い方ではないが、日本人のメンタリティーに注目したとき、我々の生きている時代とその前とを区別するのは1945年ではなく、もう少しさかのぼって明治末期から大正、昭和初期にかけての時期ではないかという印象を私は持っている。

 以前に調査の必要があって大正・昭和初期の主要新聞・雑誌をパラパラとめくって眺めたことがある。修養本、今で言う自己啓発本や怪しげなオカルト的宗教本の広告がやたらと目に付いた。傾向的には今の新聞広告とたいして変わらない。“成功”を目指してサラリーマンが読み漁る自己啓発本やビジネス本。“煩悶”といえば聞こえはいいが、“自分探し”に躍起となっている人々が群がるスピリチュアリティー本。いずれも今なお出版業界のおいしい金づるだ。

 「この時代の青年層の両極的な志向──一つは帝国主義・資本主義のイメージに同化しようとする「成功青年」の傾向と、もう一つの自己内心の衝動に沈潜しようとする「煩悶青年」の傾向とは、いずれも日清戦後の急激な社会変動──新たに形成された産業資本主義の合理化と世俗化の浸透によって生活の定型を見失った存在である」(本書、103頁)という橋川の見取り図は、近代化の進展しつつある中での日本人の社会的人物類型として現在に至るも連綿と続いているように思う。

 産業化の進展によって“原子化”“私化”された群衆の時代。「何か面白いことはないかねえという不吉な言葉」(石川啄木「硝子窓」)に象徴される鬱屈した心情を不健全と論難するのはたやすい。だが、その背景として時代に底流する孤独な不安感は一体どこにはけ口を求めればいいのか。そうした戸惑いの一例を橋川は渥美勝(1877~1928年)に見る。

 やはり以前に昭和初期の右翼関係文献を調べていたときから渥美の名前は知っていたが、この人物には非常に興味をひかれる。彦根藩士の家に生まれ、一高を経て京都帝国大学法科中退。中学教師、鉄工所などを転々とした末に放浪生活を送る。身なりは汚いが表情に穏やかな気品があり、あたかもアッシジの聖フランチェスコを思わせたという。一方で激しい熱情も秘めており、桃太郎の旗を掲げて「真の維新を断行して、高天原を地上に建設せよ!」と辻説法を行なうのを日課としていた。

 橋川は渥美の残した文章から、おのれの生活的無能力、それ以上に存在的無価値への引け目の意識を読み取る(それはまるで太宰治の女々しさが思い浮かぶほどだ)。そうした自覚が反転し、大きく変化しつつある国内外の情勢の中で自分のできることは何かという問いにつながっている。それが日本神話の世界、“桃太郎主義”へと突き進むのは飛躍ではあるが、その飛躍自体に汲み取るべき彼の葛藤がありそうに思われる。

 渥美の書いた「阿呆吉」という文章を橋川は紹介する。村はずれによくいた、どこか頭のたりない物乞いの吉つぁん。彼は彼なりの愛嬌があって村の一員として受け入れられていたが、そんな吉つぁんが飢え死にしたことを伝え聞いたときのやるせない気持ちをつづっている。文明社会の合理化は役立たずを淘汰する。吉つぁんの飢え死に象徴されるような、郷愁を感じさせる生活世界の喪失。代わって覆いつくそうとしている殺伐とした社会。そうした中での戸惑いから生み出されたユートピアへの渇求が渥美の“桃太郎主義”からうかがえる。

 後年、頭山満は渥美を評して「あれはほんものじゃよ」と言ったらしい。頭山とてひとかどの人物である。その評言は右翼としてほんものだったということではなく、もっと別な迫力があったということだろう。渥美の周辺からつけられた右翼的な修飾語を取り払い、後世の単純な左右両翼への二分法では捉えられない彼の抱えていた悲哀感そのものを見つめようとしているのが橋川の筆致の最も魅力的なところだ。(蛇足ながら、渥美という人物の感性に辻潤と似たものを私は感じた。)

 “昭和維新”的な問題意識のもう一つの表われとして橋川は地方改良運動を取り上げる。明治憲法体制として国家の枠組みは出来上がったが、それは人々の生活実感とはかけ離れたものだった。このままでは幕藩体制のように支配者には黙々と服従するけれども生活意識は政治から全く乖離してしまうという状態が定着しかねず、その意味で地方自治の問題が課題として残されていた。

 ところが、日清・日露戦争に際して、意外なことに地域住民から自発的な盛り上がりがあった。こうしたエネルギーを政治システムに取り込まないわけにはいかない。そこで若手内務官僚たちが取り組んだのが地方改良運動であった。これは一面において、牧歌的な“明治日本”から近代的な“帝国日本”へとシステマティックな体制として国家改造を目指すことになる。それは、渥美の感じた息苦しさをますます強めることになろう。ただ、もう一面において、国民一人一人を政治的人格へ変えていこうという革新的な側面もあった。こうした地方自治問題の先駆者として井上友一がまず挙げられるが、橋川はとりわけ田沢義舖(よしはる)に注目する。田沢の捉えた政治主体が柳田國男の“常民”に近いと指摘されるあたりには関心をそそった。

 本書のオリジナルは1984年に朝日新聞社から刊行された。私が初めて読んだのは大学一年生の時だったと記憶している。上に記した渥美勝、田沢義舖の他にも、石川啄木、高山樗牛、柳田國男、上杉慎吉、平沼騏一郎、そして北一輝など様々な人物について橋川なりの示唆があって、近代日本思想史を読み解く上で今でも豊かな論点を提供してくれる。

 本書の解説を執筆しているのは、気鋭の俊秀、中島岳志。以前に紀伊國屋セミナーで中島が語るのを傍聴したことがあるが、橋川を読み込む際の問題関心の取り方と密接につながっているという印象を受けた。その時の発言では窪塚洋介を取り上げ、青年たちの「スピリチュアルな自分探し」が近年はやりのナショナリスティックな言説に絡め取られていくアイデンティティー・ポリティクスの危うさを指摘していた。かといって、ナショナリズムを単純に排除するのではない。ナショナリティーを“多にして一”なるものと捉え返す視点としてガンディーや井筒俊彦に注目しているという話が荒削りながらも非常に印象深かった。

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