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2007年5月

2007年5月29日 (火)

ジョエル・コトキン『都市から見る世界史』

ジョエル・コトキン(庭田よう子訳)『都市から見る世界史』(ランダムハウス講談社、2007年)

 古代から現代まで世界各地の都市を過不足なく取り上げながら点描した通史。個々のトピックについてはそれほど深く突っ込まれているわけではないが、都市が発展してきたプロセスを大きく眺め渡すには便利である。こうした長いタイムスパンの中で自分たちの暮らす都市環境を考え直してみるのもまた一興。内容的に難しくないので、歴史に関心のある大学一、二年生くらいの学生が英語力を磨くのに本書の原書を手に取ってみてもいいのではないか。都市というテーマを通じた歴史の手引書という性格があるので、巻末に参考文献一覧があると親切だったように思う。

 本書が最後に示す都市の現在と未来から考えたこと。メキシコシティ、カイロ、テヘランなど発展途上国の大都市はいわゆる人口爆発で急激に膨脹しつつある。その一方で、犯罪や公害などで住みづらい生活環境から逃げるように、企業家や熟練労働者は管理の行き届いたもっと小規模な都市や海外の先進国に移る傾向があるという。また、交通手段、通信手段の技術的進歩によって距離の障壁が消えつつあり、社会のエリート層がそれ以外の階層の人々と一つの都市に同居すべき必然性はなくなってきた。

 都市は本来、共通のアイデンティティに基づいた結びつきによって成立する。それは、閉鎖的・拘束的な伝統規範というばかりではない。商業活動等を通じて、異なる文化的背景を背負った人々が共存するために一定のルールが生み出され、それは同じ都市に暮らしている共通感覚によって裏打ちされる。

 しかしながら、物理的には同じ都市に住んでいても、違う階層の人々が互いに接触する必要がない、そもそも接触を避けようとしている時、つまり同じ都市に住んでいるというアイデンティティが共有されない時、どうなるか。その殺伐とした都市環境が、経済的・階層的格差の拡大・固定化と相俟って、そこに暮らす人々の精神形成に及ぼすマイナスの影響がかなり大きくなりそうだ。

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2007年5月26日 (土)

吉田文彦編・朝日新聞特別取材班『核を追う──テロと闇市場に揺れる世界』

吉田文彦編・朝日新聞特別取材班『核を追う──テロと闇市場に揺れる世界』(朝日新聞社、2005年)

 現時点で核兵器を保有しているのは、米英仏ロ中の五大国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮。イスラエルの核保有も公然たる秘密である。一度核兵器を保有した国が廃棄したケースとして南アフリカがあるが、これは極めて特殊な事例だ。アパルトヘイトを廃止して黒人政権の誕生が間近となっていた時期のことで、「黒人に核を渡してたまるか」という白人側の恐怖心が背景にあった。ブラジル、韓国、リビアにも核開発計画があったが断念。イラクは1980年代の初めに核研究施設がイスラエル空軍の爆撃を受けて壊滅、核開発能力は事実上なくなった。現在はイランが焦点となっており、ブッシュ政権は強硬な制裁案を打ち出したばかり。

 2004年、パキスタンのカーン博士を中心とする核関連物資や技術を取引する国際的ネットワークが明らかになった。イラク戦争の最中に核開発計画をあきらめたリビアからアメリカが情報提供を受け、パキスタン政府に圧力をかけたものと記憶している。自前の開発能力がなくとも裏ルートを通じた核兵器の調達が可能であることが示され、世界中に衝撃を与えた。

 核兵器保有の動機には大国意識を満たすというナショナリスティックな側面が否定できない。フランスや中国のように冷戦構造の中で埋没しかねない自国の戦略的主導権を確保しようという場合もあれば、インドやイランのように地域大国としての自負心から国民によって熱烈に支持されている場合もある。いずれにせよ、一つでも核保有国もしくは疑惑国が出現すれば、核保有への動機は近隣に連鎖的に広がる。インドの核実験はパキスタンの核保有を促し、イスラエルやイランの核開発疑惑は中東情勢全体に暗い影を落としている。

 このような核保有連鎖の可能性を踏まえて日本の立場を捉えなおしてみると、国際環境のレベルと日本国内での議論とでは大きなギャップがあることに改めて驚かされる。1964年に中国が初の原爆実験を行なった。翌年、当時の池田勇人首相はアメリカのラスク国務長官に、自分の閣内にも少数派ながら核武装論者がいると漏らしたという(中曽根元首相によるとそれは池田自身だったようだ)。また、次の佐藤栄作首相はライシャワー駐日大使に、日本は核兵器を作れるレベルにある旨を語っている。こうした流れを受けてか、ジョンソン大統領は“核の傘”の提供を確約し、日本もこれを受け入れた。1975年の三木・フォード会談で公式に明かされ、1976年になってようやく日本はNPT(核拡散防止条約)を批准した。

 並行して日米間で沖縄返還の交渉が進められていたが、アメリカ側は返還後も核兵器配備の継続を求めていた。しかし、日本国内の世論を考えると核付き返還には大きな反発が予想される。そこで、いわゆる“非核三原則”が佐藤首相によって示されたが、これはあくまでもアメリカに対するシグナルであって、佐藤自身は将来的な核保有の可能性まで縛るつもりはなかったようだ。ところが、国内感情の後押しによってこの“非核三原則”は一人歩きを始め、日本の国是となる。さらに核政策の四本柱、すなわち①非核三原則、②核廃絶・核軍縮、③アメリカの核抑止力依存、④核エネルギーの平和利用が掲げられた。しかし、核軍縮を求めながらもアメリカの“核の傘”に依存するのは矛盾ではないのか? 平和利用とは言うが、原子炉施設は容易に軍事転用が可能であり、核拡散防止にはつながらないのではないか? こういった矛盾をはらんでおり、実は日本の包括的な核政策理念は明らかになっていない。

 核兵器が全廃された状況こそ最も危険だという逆説がしばしば指摘される。物理的に核兵器がなくなったとしても、人類が一度知ってしまった核兵器開発のノウハウまで完全消滅させることはできない。誰かが極秘に核兵器を作ってしまったら彼が世界の独裁者となってしまう。核兵器廃絶を求める理想には気持ちとしては共感できるにしても、こうしたリアリズムを覆すだけの論拠は少なくとも私には見つからない。

 従って、核兵器の存在を前提とした上で国際的な管理システムをいかに有効なものとするかに議論の焦点は絞られる。そのためにNPTの枠組みがあるわけだが、この条約に内在する五大国優位に対して加盟国内外から強い不満がくすぶっている。五大国が核兵器数の削減や今後の実験停止などの姿勢を示してこうした不満をなだめることが手始めに必要であろう。

 “核の傘”に基づく抑止の論理は冷戦構造の遺物であり、ここからの脱却を主張する見解がある。しかし、北朝鮮をはじめ不安定要因を近隣に抱える以上、“核の傘”が日本にとって本当に有効なのかどうかを検証する必要はあるにしても、少なくとも選択肢から外すわけにはいかないのではないか。

 近年顕著となっているアメリカの単独行動主義には、核拡散防止という一般的な目的を踏み越えて、アメリカ独自の基準で一方的に“善悪”を決め付ける傾向がある。これによってかえって相手国の不満を高め、交渉を難しくしている側面がある。その一方で、現実的に考えると、核拡散防止システムの運用にアメリカのイニシアチヴは不可欠である。アメリカを現在の単独行動主義からまとめ役へと姿勢を転換させるよういかに促していくか、ここがカギとなりそうだ。

 日本の役割として、被爆体験を語り継ぐことによって国際世論に訴えかけていくべきという考え方がある。その努力は必要であり、少なくとも先進国の知識階層に向けては大いに効果があるだろう。しかしながら、インド、パキスタン、イラン、イスラエルをはじめ目前に紛争を抱えて政治的な感情が異様なまでに昂ぶっている人々に対してはあまり効果は期待できないのではないか。こうした国々では、「日本は核兵器を持っていなかったからアメリカにやられたんだ」という反論がかえってくることがあるらしい。

 本書は核政策をめぐる様々なレベルでの議論や各国それぞれの事情を詳細にレポートしている。核兵器にまつわる最新事情をサーベイするにはうってつけの一冊である。

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2007年5月24日 (木)

ファンタジー小説をいくつか

上橋菜穂子『精霊の守り人』(新潮文庫、2007年。オリジナルは偕成社、1996年)

 児童文学というのもなかなかバカにならないものだと思っている。たまに銀座・教文館6Fの児童書売場「ナルニア国」に立ち寄る。絵本などには驚異的なロングセラーが多い。ちっちゃい頃に読んでなつかしい本がいまだに現役で頑張っているのを見ると気持ちがなごむ。また、そうした中に混じって新しい作品も現われており、将来、この本をなつかしく振り返る人もいるのだろうなと思うと少々感慨深くもなる。

 「ナルニア国」で上橋菜穂子フェアをやっていた。 “守り人”シリーズ完結を受けたフェアとのこと。寡聞にして初めて知る名前だった。第一巻の本書が新潮文庫で出ていたので、文庫ならばと思い買い求めて読んだのだが、これがなかなか面白い。

 新ヨゴ皇国の第二王子チャグムに“水妖”の卵が宿り、不吉を恐れた父帝は息子に向けて刺客を放った。通りがかりの女流短槍使いのバルサ、川に落ちたチャグムを助けたのをきっかけに皇子のボディーガードとなる。だが、チャグムを追う本当の敵はもっと恐ろしいものであった。皇国を動かす月読博士たちはこの危機に直面して初めて新ヨゴ皇国建国神話の虚構を知る…、なんてまとめても魅力は分からないか。

 登場人物のキャラがたっていて、単に冒険物語として読んでももちろん面白いし、少年チャグムの成長物語と読むこともできる。架空の世界を舞台としているが、土着民に語り継がれた伝承と国家の公定神話とのズレを軸に、世界観の重層的な設定がしっかりしているので、大人でも十分に読み応えがある。著者の本職は文化人類学者らしい。なお、偕成社版には挿絵が入っていて魅力的だが、新潮文庫版では省かれている。

ミシェル・ペイヴァー(さくま・ゆみこ訳)『クロニクル千古の闇1 オオカミ族の少年』(評論社、2005年)、同『クロニクル千古の闇2 生霊わたり』(同、2006年)

 酒井駒子の絵が好きで、装幀にひかれて手に取った。この「クロニクル・千古の闇」シリーズもなかなかのものだ。

 舞台は四千年前の新石器時代。森や山や海の荒々しさに人々が畏れの気持ちがあった頃。主人公のトラムは父と二人きりの放浪生活をしていた。本来はオオカミをトーテムとする氏族に属するが、オオカミ族はおろか他の氏族との付き合いは一切なかった。ある日、悪霊の乗り移った大熊に父が殺され、トラムは一人ぽっちとなる。ところが、同じく一人ぽっちの仔狼“ウルフ”と気持ちを通わせる。さらにワタリガラス族の少女レンとの出会いもあり、彼らは宿命付けられた大熊退治におもむく。だが、なぜ大熊に悪霊が乗り移っていたのか、なぜ大熊はトラムの父を殺したのか? この背景にトラム自身にも関わる恐ろしい事情があった。

 このシリーズは全六巻。第三巻『魂食らい』が翻訳刊行されたばかりだが、私は第一巻『オオカミ族の少年』、第二巻『生霊わたり』まで読んだ。描写には説得力があり、考古学の知識が十分に活かされているのがうかがえる。時折、“ウルフ”の視点で人間の奇妙な仕草を観察するという話法も出てきて面白い。舞台設定の魅力といい、少年少女が悩みながら活躍するあたりといい、宮崎駿アニメに格好な物語という感じがする。

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2007年5月23日 (水)

ニクソンについて適当に

 以前に、オリバー・ストーン監督「ニクソン」(1995年)という映画を観たことがある。実はストーリーはほとんど覚えておらず、主演のアンソニー・ホプキンスの印象ばかりが強い。細長い顔のニクソンに、丸顔のホプキンス。顔の相が全く違うのに、両腕上げVサインの有名なポーズをとる時の表情はなるほどニクソンだと思わせ、驚いた。この映画については当然ながら、キッシンジャーなど当時の政権をじかに知る人々からの評判は芳しくない。

 ニクソンの評伝としては田久保忠衛『戦略家ニクソン──政治家の人間的考察』(中公新書、1996年)がよくまとまっている。ウォーターゲート事件の印象が強いせいか、あるいは常にJFKと比べられる宿命にあるせいか、ニクソンのイメージはすこぶる悪い。本書は、俗耳に入りやすい印象論とは距離をおき、したたかな政治家としてのニクソンの人物像を描き出す。ニクソン政権が直面した最大の課題は、前任の民主党政権が深入りしたヴェトナム戦争からの撤退であった。この目標を達成するため積極的な外交を展開し、とりわけ米中和解という形で国際環境を大きく変動させたことは周知の通りである。こうした戦略外交の功績者としてキッシンジャーの名前がよく挙げられる。しかしながら、キッシンジャーは東アジア情勢については素人であり、米中和解はニクソン自身のイニシアチブによるものだと指摘しているところに本書の特徴がある。

 最近、Liang Pan, ‘Whither Japan’s Military Potential?  The Nixon Administration’s Stance on Japanese Defense Power’( “Diplomatic History”Vol.31, Number1, January, 2007)という論文を読んだのだが、これが実に面白かった。英語は苦手なのだが、引き込まれた勢いで一気に読みきった。

 ニクソン政権は米中和解を進めたが、当時の日本は北京に対して警戒感を持っており、下手すると日米同盟が崩れかねない危うさをはらんでいた。米政権内部では、米中和解→日本が米から離反→①日本の自主外交路線(核武装を含む)、もしくは②日本が米中の動きを牽制するため日中or日ソ同盟を組む、というシナリオがあり得ると議論がかわされた。

 もちろん、今となっては一笑に付すしかない。だが、賢明な外交は、常に最悪のケースを想定しながら行なわれる。それなのに、ニクソンもキッシンジャーもこうした最悪のシナリオについては何も対策を立てていなかった。実際に日本が米の意向に反して、①独自に日中国交正常化、②ソ連との経済協力を模索、③オイルショックに際してアラブ諸国を支持、といった動きを示すと、キッシンジャーは周囲が驚くほどに激怒したらしい。さらに、ほぼ同じ頃、インドが初めて核実験を行なって核拡散の懸念が現実になりつつある中、日本はNPT(核拡散防止条約)の批准をしないままだった(批准は1976年)。これも米政権内部で日本への猜疑心を強めていた。

 結局、パワーポリティクスの権化のような戦略家キッシンジャーにしても、実は結構抜けているところがあった。しかしながら、北京は日本の軍拡や対ソ接近を恐れて日米安保条約を容認し、日本国内では米中和解をデタントとしてむしろ歓迎するムードが高まって軍事費抑制に向かう政治力学が働く。それぞれの誤解に基づく不思議な連鎖反応が生まれた。つまり、ニクソン・キッシンジャー戦略はあくまで結果論として成功したに過ぎず、そこには、様々なシナリオを検討した上で政策決定を行なうという緻密さはなかったとの指摘が興味深い。

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2007年5月18日 (金)

橋川文三『昭和維新試論』

橋川文三『昭和維新試論』(ちくま学芸文庫、2007年)

 正確な言い方ではないが、日本人のメンタリティーに注目したとき、我々の生きている時代とその前とを区別するのは1945年ではなく、もう少しさかのぼって明治末期から大正、昭和初期にかけての時期ではないかという印象を私は持っている。

 以前に調査の必要があって大正・昭和初期の主要新聞・雑誌をパラパラとめくって眺めたことがある。修養本、今で言う自己啓発本や怪しげなオカルト的宗教本の広告がやたらと目に付いた。傾向的には今の新聞広告とたいして変わらない。“成功”を目指してサラリーマンが読み漁る自己啓発本やビジネス本。“煩悶”といえば聞こえはいいが、“自分探し”に躍起となっている人々が群がるスピリチュアリティー本。いずれも今なお出版業界のおいしい金づるだ。

 「この時代の青年層の両極的な志向──一つは帝国主義・資本主義のイメージに同化しようとする「成功青年」の傾向と、もう一つの自己内心の衝動に沈潜しようとする「煩悶青年」の傾向とは、いずれも日清戦後の急激な社会変動──新たに形成された産業資本主義の合理化と世俗化の浸透によって生活の定型を見失った存在である」(本書、103頁)という橋川の見取り図は、近代化の進展しつつある中での日本人の社会的人物類型として現在に至るも連綿と続いているように思う。

 産業化の進展によって“原子化”“私化”された群衆の時代。「何か面白いことはないかねえという不吉な言葉」(石川啄木「硝子窓」)に象徴される鬱屈した心情を不健全と論難するのはたやすい。だが、その背景として時代に底流する孤独な不安感は一体どこにはけ口を求めればいいのか。そうした戸惑いの一例を橋川は渥美勝(1877~1928年)に見る。

 やはり以前に昭和初期の右翼関係文献を調べていたときから渥美の名前は知っていたが、この人物には非常に興味をひかれる。彦根藩士の家に生まれ、一高を経て京都帝国大学法科中退。中学教師、鉄工所などを転々とした末に放浪生活を送る。身なりは汚いが表情に穏やかな気品があり、あたかもアッシジの聖フランチェスコを思わせたという。一方で激しい熱情も秘めており、桃太郎の旗を掲げて「真の維新を断行して、高天原を地上に建設せよ!」と辻説法を行なうのを日課としていた。

 橋川は渥美の残した文章から、おのれの生活的無能力、それ以上に存在的無価値への引け目の意識を読み取る(それはまるで太宰治の女々しさが思い浮かぶほどだ)。そうした自覚が反転し、大きく変化しつつある国内外の情勢の中で自分のできることは何かという問いにつながっている。それが日本神話の世界、“桃太郎主義”へと突き進むのは飛躍ではあるが、その飛躍自体に汲み取るべき彼の葛藤がありそうに思われる。

 渥美の書いた「阿呆吉」という文章を橋川は紹介する。村はずれによくいた、どこか頭のたりない物乞いの吉つぁん。彼は彼なりの愛嬌があって村の一員として受け入れられていたが、そんな吉つぁんが飢え死にしたことを伝え聞いたときのやるせない気持ちをつづっている。文明社会の合理化は役立たずを淘汰する。吉つぁんの飢え死に象徴されるような、郷愁を感じさせる生活世界の喪失。代わって覆いつくそうとしている殺伐とした社会。そうした中での戸惑いから生み出されたユートピアへの渇求が渥美の“桃太郎主義”からうかがえる。

 後年、頭山満は渥美を評して「あれはほんものじゃよ」と言ったらしい。頭山とてひとかどの人物である。その評言は右翼としてほんものだったということではなく、もっと別な迫力があったということだろう。渥美の周辺からつけられた右翼的な修飾語を取り払い、後世の単純な左右両翼への二分法では捉えられない彼の抱えていた悲哀感そのものを見つめようとしているのが橋川の筆致の最も魅力的なところだ。(蛇足ながら、渥美という人物の感性に辻潤と似たものを私は感じた。)

 “昭和維新”的な問題意識のもう一つの表われとして橋川は地方改良運動を取り上げる。明治憲法体制として国家の枠組みは出来上がったが、それは人々の生活実感とはかけ離れたものだった。このままでは幕藩体制のように支配者には黙々と服従するけれども生活意識は政治から全く乖離してしまうという状態が定着しかねず、その意味で地方自治の問題が課題として残されていた。

 ところが、日清・日露戦争に際して、意外なことに地域住民から自発的な盛り上がりがあった。こうしたエネルギーを政治システムに取り込まないわけにはいかない。そこで若手内務官僚たちが取り組んだのが地方改良運動であった。これは一面において、牧歌的な“明治日本”から近代的な“帝国日本”へとシステマティックな体制として国家改造を目指すことになる。それは、渥美の感じた息苦しさをますます強めることになろう。ただ、もう一面において、国民一人一人を政治的人格へ変えていこうという革新的な側面もあった。こうした地方自治問題の先駆者として井上友一がまず挙げられるが、橋川はとりわけ田沢義舖(よしはる)に注目する。田沢の捉えた政治主体が柳田國男の“常民”に近いと指摘されるあたりには関心をそそった。

 本書のオリジナルは1984年に朝日新聞社から刊行された。私が初めて読んだのは大学一年生の時だったと記憶している。上に記した渥美勝、田沢義舖の他にも、石川啄木、高山樗牛、柳田國男、上杉慎吉、平沼騏一郎、そして北一輝など様々な人物について橋川なりの示唆があって、近代日本思想史を読み解く上で今でも豊かな論点を提供してくれる。

 本書の解説を執筆しているのは、気鋭の俊秀、中島岳志。以前に紀伊國屋セミナーで中島が語るのを傍聴したことがあるが、橋川を読み込む際の問題関心の取り方と密接につながっているという印象を受けた。その時の発言では窪塚洋介を取り上げ、青年たちの「スピリチュアルな自分探し」が近年はやりのナショナリスティックな言説に絡め取られていくアイデンティティー・ポリティクスの危うさを指摘していた。かといって、ナショナリズムを単純に排除するのではない。ナショナリティーを“多にして一”なるものと捉え返す視点としてガンディーや井筒俊彦に注目しているという話が荒削りながらも非常に印象深かった。

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2007年5月16日 (水)

最近読んだ本

 ここ2,3週間ばかりの間に読み流した本の備忘録です。

太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書、2007年)

 映画は好きでよく観るので、字幕作りの裏舞台をのぞけるのかなと軽い気持ちで手に取った。ところが、意外に(と言うと失礼だが)字幕作りを通した日本語論として的を射ている。映像の速度の応じて字数を切り詰めねばならず意訳したり、文化的・文法的な違いをごまかしたり、放送禁止用語や観客の読解力低下という壁にぶつかったり、次から次へと降りかかる無理難題に工夫を凝らす姿が面白い。さすが字幕屋さんで、文章もリズミカル。クスクス笑いながら一気に読んでしまった。

氏家幹人『かたき討ち──復讐の作法』(中公新書、2007年)

 “かたき討ち”とひとことで言っても色々なパターンがあったらしいし、事情も人それぞれ。典拠をしっかり踏まえて描き出された憤怒や悲哀は、“武士道”と一括されかねないイメージを崩し、そこが斬新で面白い。

西部邁『核武装論──当たり前の話をしようではないか』(講談社現代新書、2007年)

 タイトルは“核武装”論だが、戦略論的な話ではなく、むしろそうした専門家的な議論の陥りやすい陳腐さをあげつらう。核武装という一つの極限状態を糸口とした、西部さんお得意の大衆民主主義批判。

佐藤一郎『新しい中国 古い大国』(文春新書、2007年)

 歴史小説好きなら『三国志』はおなじみだろうし、ビジネスマンは沿海部の発展に関心が集中するだろう。しかし、中国は歴史と現代が分かちがたく絡まっており、断片を切り取っても中国は分からない。そうしたスタンスで雑学的に中国の全体像理解を手助けする。だけど、そんなに面白くはなかった。

恩田陸『図書館の海』(新潮文庫、2005年)

 短編集。『夜のピクニック』や『六番目の小夜子』など長編小説の番外編的な作品も含まれている。恩田さんのタイプの小説は決して嫌いではないのだが、読みながらのれなかったのがなぜなのか我ながらよくわからん。

白石一文『すぐそばの彼方』(角川文庫、2005年)

 次期首相の本命と目される代議士を父に持ち、その秘書を務める主人公。ただし、彼は精神的な不安定を抱えている。政界裏舞台の動きと、彼自身の人生上の転回とが同時進行する。主人公は内向的で、ストーリーにギトギトした黒さも華やかさもない。

佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫、2002年)

 突然失踪してしまった恋人を探す男の話。彼女の行方を追いかけて手掛かりを集めることが、同時に彼女の気持ちの微妙な揺れを手探りすることにつながる構図となっており、なかなか読ませる。

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2007年5月14日 (月)

丸山圭三郎『言葉と無意識』

丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社現代新書、1987年)

 こういう類の哲学書・思想書を読むことにどれだけの意味があるのかは分からない。社会生活上の実務には直結しないのだから(ただ、哲学・思想=難解なもの=ありがたいもの、と受け止める人は多いようで、不思議と蔑まれることはない)。

 私はボキャ貧で、自身の戸惑っている感覚を表現しようとして「私は私であって、私ではない」という禅問答めいた言い方をついしてしまう。幼い頃から漠然とながらも抱き続けてきた率直な実感だ。

 近代社会では“私”が主役である。“私”という確固としたアイデンティティーがまずあって、そうした能動的主体が外界を切り開くというプリミティヴな二元論で考えるのがどうやら一般的なようだ。“私”なるものの実体性を疑わないという点では、“自己責任”重視の新自由主義的な言説も、“自己啓発”書や“私探し”の心理学本に群がる人々も、すべて同じ穴のムジナのように見えてくる。前者が“私”なるものの強さの自信に裏打ちされているのに対し、後者は“私”なるものの弱さにひけめを感じているという程度の違いに過ぎない。いずれにせよ、私はこうした考え方になじめない。そもそも、考えようとしている位相が根本的に異なる。

 ところが、“私”至上主義の信奉者はとにかくヴァイタリティーがあって、前者のプラス志向にせよ、後者のマイナス志向にせよ、その押し付けがましさには辟易する。彼らの“私”イデオロギーはどうにも息苦しい。こちらの思考の中身まで汚されてしまわないよう哲学書を読んで息抜きをしているという次第。

 丸山圭三郎はソシュールの思索をとっかかりに、そうした“私”なるものの自明性を突き崩してくれる。

 日常的に何気なく使っている“言葉”。自分の意図を表わすため自在に使いこなしているようでありながら、かえってこの“言葉”によって振り回されている不思議さ。“私”という主体がアプリオリに前提され、彼が外界の実在物をラベリングしながら整理するもの、これが素朴にイメージされる“言葉”のイメージであろうか。しかし、“言葉”はそんなレベルには止まらぬ驚異を秘めている。

 “言葉”による名づけは世界を分節化する。分節化とは、“曰く言いがたき”生身の存在一般としか言えないこの何ものかに亀裂を入れて、“あれ”と“これ”との区別をつけること。我々が通常使う“言葉”=“ロゴス”が世界を分節化するだけでなく、もっと深層にあって普段は自覚されないもう一つのロゴスたる“パトス”もまた前者の“表層のロゴス”とぶつかり、諸々のロゴスがせめぎあいながら、分節化の網の目が間断なく世界に張りめぐらされていく。

 “ロゴス”が組み立てる網の目の秩序を“コスモス”とするなら、始原的な生身の流動性を“カオス”と呼びたくなる。しかし、ここで注意しなければならないのは、“コスモス”“カオス”という二項対立もまた、物事を画然と分けてラベリングしなければ気がすまない近代特有の思考癖であること。“カオス”もまたラベリングによる非在の現前なのである。

 以上を通して私が言いたいのはどんなことか。“私”が“言葉”を使って世界を能動的に区切っているのではない。非人称的な“言葉”=“ロゴス”のうごめきがまずあって、それによって生じた網の目の中に“私”はいる。“私”とは自存的に確かな実在ではない。相互依存的な関係性の連鎖の中に立ちあらわれた“間我”と言うべき何ものか、これをかりそめに“私”と呼んでいるだけのことである。

 私はいまここで一人称で語っている。その意味で“私”は存在する。しかし、一人称の“私”は、非人称的な相互連関の中の一コマに過ぎない。その意味で“私”はいない。

 前者の視点で日常の社会生活をやり過ごし、同時に後者の視点で存在一般を俯瞰する。二つのレベルを両にらみして自由に行き来できるようになれば、生きることも死ぬことも一切を素直に受容できるのだろうなと思いつつ、その境地にはまだ遠い。

 本書を読みながら、私の愛読書である『荘子』を何となく思い浮かべていた。丸山圭三郎は、ナーガールジュナの中観派仏教哲学はソシュールを先取りするものだと関心を寄せていた。以前に池田晶子・大峯顕『君自身に還れ』をこのブログで紹介したときにも記したが(http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_2873.html)、西洋哲学で提起された問題意識はむしろ東洋思想を通した方が分かりやすくなるように感じている。

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2007年5月10日 (木)

最近観たヴィデオ・DVD

 この一ヶ月ばかりの間に観たヴィデオ・DVDの備忘録です。

「三月のライオン」(監督:矢崎仁司、1992年)

 交通事故で記憶を失った兄(趙方豪)。彼を愛している妹(由良宜子)は恋人だと嘘をつく。“近親相姦”という言葉に見られる生々しさはない。全体的に色彩が黄昏色に統一され、舞台は明らかに東京なのだが廃墟を思わせる生活空間には異世界のような不思議な魅力がある。セリフが極度に切り詰められた静けさ、映像の乾いたトーンはどことなく切ない気持ちを感じさせて胸に強く迫ってきた。

「ある朝、スウプは」(監督:高橋泉、2003年)

 パニック障害に襲われて社会生活ができなくなり新興宗教にはまっていく青年と、彼をみつめながらどうにもできない恋人。彼ら二人の関係が静かに壊れていく姿を描く。青年の壊れていく感じが真に迫っていて目を引く。自主映画だが、ピアフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。精神障害をきっかけにパートナーが変わり始めてもなおかつ相手を愛せるかというテーマとして、寺島進が主演していた「おかえり」(篠崎誠監督、1995年)を思い出した。

「さよなら みどりちゃん」(監督:古厩智之、2004年)

 軽くて身勝手な男(西島秀俊)と彼に身も心も捧げて振り回されるOL(星野真理)を描く。西島秀俊の透明感のある雰囲気は、使い方によってはこういう軽さも表現できるんだな。星野真理は大根だと思いつつも実は意外と嫌いではない。彼女の大胆なシーンがあってちょっと嬉しかった。古厩監督の作品としては「この窓は君のもの」(1994年)が好き。

「空中庭園」(監督:豊田利晃、2005年)

 無味乾燥な造成地にそびえる高層マンション。理想の自分になろうと家族を取り仕切る主婦(小泉今日子)の作った隠し事をしないというルールはかえって家族の会話をからっぽにする。誇張があるにせよ、こうした生活は郊外の人為的な生活空間ではあり得るなあと思いながら観ていた。原作は角田光代。

「大人は判ってくれない」(監督:フランソワ・トリュフォー、1959年)
「夜霧の恋人たち」(監督:同、1968年)

 「大人はわかってくれない」は、学校でははみ出し者、親と喧嘩して家出してしまったり、不良とみなされたトリュフォー自身の少年時代を題材としている。最後に軍隊の学校に入るのだが、「夜霧の恋人たち」では軍隊を強制除隊させられて職を転々としている頃の気持ちの葛藤を描く。世間と折り合いのつかない青年の一種のビルドゥングス・ロマンという感じ。以前にゴダールの作品をいくつか観て、映画通ぶりたい人には受けるんだろうなあとイヤな印象を受けたことがあり、それ以来ヌーヴェルヴァーグは敬遠してきた。ふと気が向いてトリュフォーを観てみたのだが、意外といいね。「ヌーヴェルヴァーグ」なんていう括り方で先入見を持つのはやめよう。

「アパートの鍵、貸します」(監督:ビリー・ワイルダー、1960年)

 自分のアパートを上司の情事のために貸して出世の足がかりにしようともくろむ男。ばれないよう辻褄合わせの嘘を重ねてゆくところにサラリーマンの悲哀がにじむ。確か、三谷幸喜のシチュエーション・コメディもこの映画の影響を受けているんじゃなかったか。シャーリー・マクレーンは老けてからの顔とオカルトの人という印象しかないのだが、この頃の彼女はとてもかわいらしくて驚いた。

「浮き雲」(監督:アキ・カウリスマキ、1996年)
「過去のない男」(監督:同、2002年)

 遅ればせながらカウリスマキ初体験。「浮き雲」。市電の運転手である夫と老舗のレストランで給仕長をする妻。中年にさしかかったところで二人同時に失業してしまった。職探しで理不尽な思いをして戸惑いながらも、昔の仲間たちと共に新たなレストランを立ち上げる。「過去のない男」。暴力事件に巻き込まれて記憶喪失となった男が主人公。コンテナ生活者や救世軍の人々と新たな人間関係ができ、ゼロから自分の人生を築き上げていく。いずれの作品も、市井に暮らす普通の人が理不尽な出来事に巻き込まれながらも人生をやり直すという話。だからと言って説教臭い感じはない。どことなくユーモアを漂わせているのが良い。

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2007年5月 8日 (火)

「珈琲時光」

「珈琲時光」

 ゆっくりと流れる静謐な時間。こうした感覚を映像によって肌身に感じさせるように描き出している作品にあまり出会ったことがなかった。他に、奥原浩志監督「タイムレスメロディ」(2000年)が好きなくらい。この「珈琲時光」(2003年)は久々に言葉では表現しがたい心地よさが胸の奥にしみわたってきた。

 フリーライターの陽子(一青窈)。古本屋を営む肇(浅野忠信)。会話が交わされるのは古風な喫茶店、ほこりっぽい古本屋、陽子の暮らす畳敷きのアパートの一室が中心で、喧騒とはまた違った東京の生活が描かれる。彼らを取り巻く街並みのたたずまいが魅力的だ。神保町や高円寺など私自身の慣れ親しんでいる風景が多いせいかもしれないが、東京とひとことで言っても私が好きなのはこういう東京なんだと愛着を感じた。

 小津安二郎生誕百周年企画。監督は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)。まだ貧しかった頃の台湾を舞台に少年の恋の挫折をノスタルジックに描いた「恋恋風塵」(1987年)、日本の敗戦直後、国民党が乗り込んでくるまでの混乱期を舞台とした「悲情城市」(1989年)といった作品が私には印象に強いが、こういう穏やかな静けさの漂う映画も撮る人なんだと今さらながらに気付かされた。浅野忠信のいつもながらに構えのない自然体、一青窈の素人っぽい初々しさ、どちらもこの映画の雰囲気にぴったりだ。

 この映画の静かな情感は暗闇の中、大きなスクリーンの前で全身で受け止めたかった。上映当時見逃していたので今さらながらDVDで観たのだが、映画館で観られなかったのが悔やまれる。

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2007年5月 5日 (土)

近衛文麿本をいくつか

 多少なりとも日本の近現代史に知識のある人ならば、日本が統一的な意志をもって侵略戦争を行なったなどという作り話を信じることはないだろう。明治憲法が内包した政軍二元体制や首相権限の弱さによって軍部や各省の意見調整ができないままズルズルと泥沼に引きずり込まれていったのが実相であり、その点では東京裁判で言う“共同謀議”などあり得なかったことは周知の通りである。

 こうした政治的混乱、とりわけ対米戦争回避という課題に直面する中、政権をまとめられるのは誰か。国民的な人気があり、それなりの見識を持ち合わせていた点で唯一近衛文麿だけだという大きな期待が当時にはあった。

 彼の人事は、今で言うなら“サプライズ”が特徴で、“毒を以て毒を制する”つもりか、陸軍皇道派の柳川平助を入閣させたほか、外相に対米強硬的な枢軸派の松岡洋右を起用。ところが、これが裏目に出た。特に松岡のスタンドプレーがたたって政権はますます混乱。近衛は気力をすっかり失って「辞めたい」としばしば漏らすようになる。近衛の庇護者であった西園寺公望も、各省がそれぞれ言いたい放題な状況を指して「まるで連邦だね」「何かやっているように見えて政治はほとんど動いてない」と酷評した。近衛は“運命”という言葉を好んで用いたそうだが、時勢に流されつつある彼自身の弁明のように聞こえてくる。

 近衛文麿の評伝としてまず挙げられるのは岡義武『近衛文麿──運命の政治家』(岩波新書、1972年)であろう。当時の政治状況の中での彼の位置づけが簡潔にまとめられており、刊行からすでに三十年以上経ってはいるが今でもスタンダードな評伝と言える。日本政治史の権威である岡が「孤独感があった」「女色にふける」とサラッと書き流してしまうあたりをむしろ掘り下げて近衛のパーソナリティーを描き出そうとしているのが去年刊行された工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず──近衛文麿と天皇』(日本経済新聞社、2006年)である。

 最近、近衛と木戸幸一との確執に注目する著作が相次いで刊行された。木戸は明治の元勲・木戸孝允の孫。近衛とは学習院以来の友人で、二人は華族出身の政治家として早くから頭角を現わしていた。第三次近衛内閣の終わり頃から二人はそりが合わなくなっていたようだ。当時、木戸は内大臣という役職にあった。内大臣とは天皇と内閣との連絡役だが、最後の元老・西園寺の死後、重臣たちの間を動き回って次期首班奏請の取りまとめ役を担うようになる。近衛が政権を投げ出した後、東条英機への大命降下では木戸がイニシアチブを取った。戦争中、木戸か東条を通さなければ天皇への拝謁はかなわず、近衛は宮中から締め出されていたらしい。

 工藤書の後半では近衛と木戸との齟齬に焦点が当てられるのだが、ここで意外なキーパーソンが登場する。カナダの外交官で日本史研究で知られたE・H・ノーマンだ。

 日本の敗戦後、近衛はGHQと一定の信頼関係を得て、新憲法作成の責任を果たすように言われる。ところが、状況は突如一変。きっかけはノーマンがGHQに提出した「戦争責任に関する覚書」であった。この中でノーマンは、近衛を封建勢力を代表する戦争責任者として断罪する一方、木戸に関しては実権はほとんどなかったとする。実は木戸の姪が経済学者の都留重人と結婚しており、都留はハーバード留学時以来、ノーマンと親しくしていた。つまり、都留・ノーマンの線を通じて木戸の戦争責任軽減が図られた形跡が窺えるという。そればかりでなく、ノーマンによる近衛追い落としの背景として、近衛上奏文のことが念頭にあったのではないかと工藤は推測を進める。近衛上奏文とは戦争末期になって早期終戦の必要を天皇に奏上したメモランダムで、その理由として敗戦後日本の共産化への懸念が挙げられていた。言うまでもないが、ノーマンはコミンテルンに通謀していたと言われており、その疑いはまだ晴れていない。

 いずれにせよ、こうした形で近衛になすりつけるように定型化された戦争責任論を“木戸・ノーマン史観”と呼び、敗戦直後の十二月に自殺するまでの近衛を描いているのが鳥居民『近衛文麿「黙」して死す──すりかえられた戦争責任』(草思社、2007年)である。

 近衛文麿については多くの書籍が刊行されている。近衛自身の著作としては『戦後欧米見聞録』(中公文庫、2006年)が復刻されており、以前にこのブログでも紹介した(http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_c6f3.html)。評伝としては上記の他に、杉森久英『近衛文麿』(河出文庫)、矢部貞治『近衛文麿──誇り高き名門宰相の悲劇』(光人社NF文庫)などがある。杉森は伝記作家として有名。矢部は戦前に東京帝国大学で政治学の教授、近衛のブレーン集団・昭和研究会のメンバーでもあった(この幅広い人脈を集めたブレーン集団については酒井三郎『昭和研究会』(中公文庫)がある)。また、近衛は親しかった山本有三に伝記執筆を依頼していたらしい。同時代人の記録としては、近衛内閣で書記官長や法相を務めた風見章『近衛内閣』(中公文庫)、ジャーナリストでやはり近衛ブレーンの一人であった松本重治『近衛時代』(中公新書)がある。政治史研究では大政翼賛会に至る政治プロセスを分析した伊藤隆『近衛新体制』(中公新書)が思い浮かぶ。

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2007年5月 4日 (金)

アメリカ政治ものをいくつか

ジェームズ・マン(渡辺昭夫監訳)『ウルカヌスの群像──ブッシュ政権とイラク戦争』(共同通信社、2004年)

 イラク戦争時のブッシュ政権を支えたメンバーのうち、副大統領チェイニー、国務長官パウエル、同副長官アーミテージ、国防長官ラムズフェルド、同副長官ウルフォウィッツ、大統領補佐官ライスの六人に本書は焦点をしぼり、彼らの政治的キャリアをたどる。彼らの間、とりわけ軍人出身のパウエル、アーミテージと学者出身のウルフォウィッツたちネオコンとの間での路線対立は周知の通りだが、少なくとも軍事力重視という点では一致していた。ただし、その扱い方に温度差があった。ヴェトナムでの実戦経験のあるパウエルたちは軍事目標と政治目標を明確にするよう求めており、際限なき軍事目標の拡大に懸念を抱いていた。これに比べるとネオコンは軍事力を行使するのにためらいがない。

 イラク戦争が始まったばかりの頃、ネオコンの論客ロバート・ケーガンが緊急出版した“Paradise and Power”(後に邦訳、『ネオコンの論理』)にざっと目を通したことがある。イラク制裁に反対するフランス・ドイツを念頭に置いて、ヨーロッパのようにボトムアップでコンセンサスを積み上げようとする考え方をカントの『永遠平和のために』の流儀だとし、これに対して自分たちネオコンはホッブズ的な力の論理によって人為的に平和を実現させると主張していた。つまり、理想実現のために軍事力を積極的に使うということで、力の均衡を通して生き残りを図り、軍事力はその保険としての意味を持つリアル・ポリティクスの考え方とは明らかに違う。その軍事観は同じ共和党でもキッシンジャーやスコウクロフトとはかなり異質である(そもそもウルフォウィッツも含めネオコンにはカーターの外交政策に不満を抱いた民主党からの転籍組が多い)。彼らネオコンの目指す理想とは“民主主義”の世界的な実現である。

 核兵器を公然ともてあそぶ北朝鮮の危うさを目の当たりにしている現在、イラクへの対応と比べるとダブル・スタンダードではないかとよく指摘される。ネオコンの立場からすると北朝鮮には二つの問題があった。第一に、北朝鮮は緒戦でソウルを文字通り火の海にしてしまうだけの軍事能力を持っている。第二に、東アジアには日本、韓国、台湾など民主主義の実質を備えた国々がすでに存在するため、仮に北朝鮮の体制を倒したとしても民主化実現のモデルとして世界にアピールできない。

 ネオコンが狙ったのは、(イスラエル・トルコを除いては)民主主義に則した政治体制の存在しない中東全体の民主化であり、その手がかりとしてイラクに手をつけた。表向きはテロとの戦いであり、だからこそアメリカ国内の世論から支持を得たわけだが、ネオコンの目指したものはそうしたレベルを最初から超えていた。

 良い悪いは別として、彼らはこの世のしがらみを力で克服しようとする理想主義者である。ただし、その背後にはアメリカの国益追求も見え隠れするのだが。いずれにせよ、彼らに対してつけられた新“保守”というレッテルに私は違和感がある。本来、架空の理想追求が暴走して独善に陥るのを戒めるのが保守主義の出発点なのだから。

デービッド・ハルバースタム(小倉・三島・田中・佳元・柴訳)『静かなる戦争』(上・下、PHP研究所、2003年)

 先週、ハルバースタムが交通事故で亡くなった。実は英語の復習がてら読もうと本書のオリジナル“War in a Time of Peace”を手元に置いてあったのだが、いつしかほこりをかぶったままほったらかし。この機会に翻訳で読んだ。ハイチ、ソマリア、ルワンダ、とりわけユーゴ紛争に対してのアメリカ自身の内在的な政策決定プロセスを軸として、クリントン政権の外交をめぐる人物群像をテーマとしている。登場人物それぞれのパーソナリティーと政治力学とを絡めて描き出しているので読み物としてとても面白い。

村田晃嗣『米国初代国防長官フォレスタル──冷戦の闘士はなぜ自殺したのか』(中公新書、1999年)

 第二次世界大戦後、アメリカは軍事組織を新たに編成しなおす。従来は陸軍長官、海軍長官が閣僚待遇を受けていたが、横の連絡の不備を感じていた。また、陸海軍それぞれの航空部門から独立させる空軍や海兵隊の位置付けなどの問題もあり、各軍を一元的に統括する組織として国防総省を設立。海軍長官だったフォレスタルが初代長官に就任した(後に自殺)。彼はプリンストン中退だが、アイビー・リーグ出身としてのプライドを持っていた。良くも悪くも、政治は生身の人間関係で動いている。本書は彼を軸としてニューディール政権を動かしたエスタブリッシュメントの人脈図を描き出している。なお、思わせぶりなサブタイトルだが、彼の自殺に政治的理由はない。

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2007年5月 3日 (木)

「神童」

「神童」

 連休の狭間、気分は中途半端。会社帰り、ふと今日は映画サービスデーであることを思い出した。レイトショーで上映されていたので何気なく入ったのだが、結構良かった。字を読めるようになる前から楽譜が読めた天賦のピアノの才能を持つ中学生うた(成海璃子)と不器用だがとにかくピアノが好きだという音大志望の浪人生ワオ(松山ケンイチ)の二人をめぐる話。原作はさそうあきらの漫画(私は未読)。テレビドラマの原作となった二ノ宮知子『のだめカンタービレ』にしてもそうだが、ちょっとしたクラシック・ブームだ。成海璃子を見たのは初めてだが、勝気そうな表情やピアノに没入した姿を違和感なく演じ分けており目を引いた。上映直前まで気づいていなかったのだが監督は萩生田宏治。「楽園」(2000年)や「帰郷」(2005年)といった作品が私は好きだったのだが、今回の演出も過剰なところがなく落ち着いた雰囲気で好ましい。

【データ】
監督:萩生田宏治
脚本:向井康介
原作:さそうあきら(双葉社)
出演:成海璃子、松山ケンイチ、手塚理美、吉田日出子、西島秀俊、柄本明、他
2007年/カラー/120分
(2007年5月1日レイトショー、新宿、武蔵野館にて)

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「世界はときどき美しい」

「世界はときどき美しい」

 前売券を買ってあったのを思い出し、やはり会社帰りに観に行った。5本立てオムニバス形式の映像詩。30代後半にさしかかったヌードモデル(松田美由紀)の独白。大阪の飲み屋街を渡り歩いて飲んだくれる老人(柄本明)。恋人と体で触れ合いながらもどこか気持ちがつながれないもどかしさを感ずる女の子(片山瞳)。自分がここに存在することの不安定な感じから宇宙に関心を寄せた青年(松田龍平)。私が気に入ったのは第五話「生きるためのいくつかの理由」の一人暮らしの母(木野花)と気遣う娘(市川実日子)。ストーリーがどうというよりも、登場人物の表情の捉え方や、とりわけ時折映し出される風景が良い。映像の粗い感じはそうした表情や風景の持つ情感をよく引き出しており、一瞬一瞬の持ついとおしさ、美しさを感じさせる。

【データ】
監督・脚本:御法川修
2006年/カラー/70分
(2007年5月2日レイトショー、渋谷、ユーロスペースにて)

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2007年5月 2日 (水)

「明日、君がいない」

 学校にも、家庭にも、目の前に人はいる。だけど、周囲の人たちと本質的につながり得ない。そうした孤独感の持つもどかしいまでの苛立ちと哀しみを静かに、しかし痛切に描き出した映画だ。

 身体の障害をバカにされる少年。同性愛の二人、片方はカミングアウト、もう片方はひた隠し。近親相姦。親からのプレッシャー。高校生の男女七人の葛藤に焦点を合わせ、インタビュー・シーンをまじえてドキュメンタリー風の演出がこらされている。

 舞台は、整然と静かな雰囲気である種の透明感すら漂う住宅街。広々として快適そうな学校。にもかかわらず、トイレや物置きの場面が多いのが印象に残る。家族、先生、クラスメイト、身近な誰かに悩みを語るのではなく、壁で仕切られた狭い空間の中で抱え込んだわだかまりを一人ぶちまけるしかない。誰も理解などしてはくれないのだから。

 廊下でからかわれる少年がいる。その横を少女が何気なく通り過ぎる。少年にとってはつらい場面であっても、少女にとってはただの日常光景。冷たいというのではない。そもそも気付かないのだ。見ているようで、見えていない。そのように七人それぞれの視点が学校の中ですれ違うのを追うカメラ・アングルには説得力がある。

 七人のうち、ただ一人インタビュー映像の出てこない少女、ケリー。彼女の表情が忘れられない。殴られて鼻血を流した少年にケリーは「大丈夫?」とティッシュを差し出した。少年はふてくされたようにその場を立ち去る。彼とて悪気があったのではない。ただ自身のつらい状況に手一杯で、他人のことにまで気が回らないのだ。登場人物のうちただ一人他の者への気遣いを見せようとした彼女は、この直後、ハサミで手首を切る。理由は誰にも分からない。原題は“2:37”、ケリーが自殺した時刻である。

 我々観客は、他の六人それぞれの悩みをつぶさに見ていた。だが、一人ひとりの悩みは理解できるようなつもりでいながらも、視点からはずれていたケリーのことを気にも留めていなかったことにハッと思い知らされる。人それぞれに悩みを抱えてしまう事情を他人事として分かったつもりにはなれるが、それはあくまでも三人称の視点である。一人称の苦悩を受け止めることの限りない困難を突きつけられる。

 監督のタルリはまだ19歳の若さでこの脚本を書き上げ、企画を立ち上げたという。友人が自殺し、ショックを受けて彼自身も自殺未遂をした体験が動機になっているらしい。出演者もほとんどは演技の素人ばかり。だが、自主映画にありがちな粗さは全くなく、クオリティーは非常に高い。独特なリアリティーがある。

【データ】
監督・脚本・編集:ムラーリ・K・タルリ
オーストラリア/2006年/99分
(2007年4月30日、渋谷、アミューズCQNにて)

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2007年5月 1日 (火)

タワー・レコードにしてやられた

 渋谷のシアター・イメージフォーラムで「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」を観たことは前回に書いた。この映画の後半で、ペンデレツキがロストロポーヴィチのために作曲したチェロ協奏曲を、小澤征爾指揮、ウィーン・フィルがレッスンしているシーンがある。この曲のCDがないかと帰りにタワー・レコードへ寄った。ロストロポーヴィチ追悼コーナーはあるのだが、お目当てのものは見つからず。代わりと言ってはなんだが、ペンデレツキ「ポーランド・レクイエム」がタワレコ特別版ということで二枚組み・1,500円で出ているのを見つけ、ついつい衝動買い。

 タワレコの売場にはお薦め曲がいつも流れており、天井からぶら下がったモニターに曲名が表示されている。クラシックのフロアを物色しながらブラブラ歩いていたら、金管楽器が咆哮するドラマチックなメロディーが耳の中へ飛び込んできた。モニターを見あげると、ヨハン・デ・メイ(Johan de Meij)「交響曲第三番 プラネット・アース」となっている。知らない作曲家だ。しかし、身体にじかに響いてくるともう逆らえない。すぐにこのCDをつかみ取り、先ほどの「ポーランド・レクイエム」と一緒にレジへと直行。タワレコにまんまとしてやられたと妙に悔しいわだかまりを抱きながら。

 デ・メイは1953年生まれ、オランダの作曲家。私が耳にしたのは「windy city overture」という短い作品。この曲も、「planet earth」も、高らかな音響に奥行きがあって、その盛り上げ方はまるで映画音楽のようだ。なお、NHKスペシャルで放映されていた「プラネット・アース」という番組を毎回欠かさず見ていたが、これとは関係ない。デ・メイは他にもトールキンの作品をテーマとした「交響曲第一番 指輪物語」というのも作曲しているらしく、興味津々。

 タワレコで試聴して買い、それをきっかけにファンになってしまったアーティストが割合といる。ジェーン・カンピオン監督「ピアノ・レッスン」という映画があった。この映画そのものは特に好きでもなかったが、マイケル・ナイマンの流麗なメロディーはタワレコの試聴機で初めて知った。

 スティーヴ・ライヒ「different trains」は出だしを聴いた瞬間に決まった。「18人の音楽家のための音楽」など、もともとミニマリズムが好きではあったのだが、それが確信に変わってしまった。

 world’s end girlfriend「The lie lay land」。私は普段あまり聴かないタイプだが、たまたま試聴したのをきっかけにはまった。きしむようにノイジーな音響となめらかなメロディーとの微妙なマッチングには独特な世界観があって本当に不思議な曲だ。world’s end girlfriendはどうやら日本人らしいということ以外に正体はよく知らないのだが、CDはすべて買った。

 ちなみになぜ「The lie lay land」の試聴機の前で立ち止まったかというと、飾られていたジャケットに視線が奪われたから。暗くぼんやりとしたイメージがすごく良い。描いたのは絵本作家の酒井駒子。本の装幀でも知られている。彼女の活躍はタワレコの試聴機をきっかけに初めて知ったことになる。存在を意識し始めると、彼女の手がけた本を書店で見かけるたびに手に取るようになった。こういう副産物もある。

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