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2007年5月10日 (木)

最近観たヴィデオ・DVD

 この一ヶ月ばかりの間に観たヴィデオ・DVDの備忘録です。

「三月のライオン」(監督:矢崎仁司、1992年)

 交通事故で記憶を失った兄(趙方豪)。彼を愛している妹(由良宜子)は恋人だと嘘をつく。“近親相姦”という言葉に見られる生々しさはない。全体的に色彩が黄昏色に統一され、舞台は明らかに東京なのだが廃墟を思わせる生活空間には異世界のような不思議な魅力がある。セリフが極度に切り詰められた静けさ、映像の乾いたトーンはどことなく切ない気持ちを感じさせて胸に強く迫ってきた。

「ある朝、スウプは」(監督:高橋泉、2003年)

 パニック障害に襲われて社会生活ができなくなり新興宗教にはまっていく青年と、彼をみつめながらどうにもできない恋人。彼ら二人の関係が静かに壊れていく姿を描く。青年の壊れていく感じが真に迫っていて目を引く。自主映画だが、ピアフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。精神障害をきっかけにパートナーが変わり始めてもなおかつ相手を愛せるかというテーマとして、寺島進が主演していた「おかえり」(篠崎誠監督、1995年)を思い出した。

「さよなら みどりちゃん」(監督:古厩智之、2004年)

 軽くて身勝手な男(西島秀俊)と彼に身も心も捧げて振り回されるOL(星野真理)を描く。西島秀俊の透明感のある雰囲気は、使い方によってはこういう軽さも表現できるんだな。星野真理は大根だと思いつつも実は意外と嫌いではない。彼女の大胆なシーンがあってちょっと嬉しかった。古厩監督の作品としては「この窓は君のもの」(1994年)が好き。

「空中庭園」(監督:豊田利晃、2005年)

 無味乾燥な造成地にそびえる高層マンション。理想の自分になろうと家族を取り仕切る主婦(小泉今日子)の作った隠し事をしないというルールはかえって家族の会話をからっぽにする。誇張があるにせよ、こうした生活は郊外の人為的な生活空間ではあり得るなあと思いながら観ていた。原作は角田光代。

「大人は判ってくれない」(監督:フランソワ・トリュフォー、1959年)
「夜霧の恋人たち」(監督:同、1968年)

 「大人はわかってくれない」は、学校でははみ出し者、親と喧嘩して家出してしまったり、不良とみなされたトリュフォー自身の少年時代を題材としている。最後に軍隊の学校に入るのだが、「夜霧の恋人たち」では軍隊を強制除隊させられて職を転々としている頃の気持ちの葛藤を描く。世間と折り合いのつかない青年の一種のビルドゥングス・ロマンという感じ。以前にゴダールの作品をいくつか観て、映画通ぶりたい人には受けるんだろうなあとイヤな印象を受けたことがあり、それ以来ヌーヴェルヴァーグは敬遠してきた。ふと気が向いてトリュフォーを観てみたのだが、意外といいね。「ヌーヴェルヴァーグ」なんていう括り方で先入見を持つのはやめよう。

「アパートの鍵、貸します」(監督:ビリー・ワイルダー、1960年)

 自分のアパートを上司の情事のために貸して出世の足がかりにしようともくろむ男。ばれないよう辻褄合わせの嘘を重ねてゆくところにサラリーマンの悲哀がにじむ。確か、三谷幸喜のシチュエーション・コメディもこの映画の影響を受けているんじゃなかったか。シャーリー・マクレーンは老けてからの顔とオカルトの人という印象しかないのだが、この頃の彼女はとてもかわいらしくて驚いた。

「浮き雲」(監督:アキ・カウリスマキ、1996年)
「過去のない男」(監督:同、2002年)

 遅ればせながらカウリスマキ初体験。「浮き雲」。市電の運転手である夫と老舗のレストランで給仕長をする妻。中年にさしかかったところで二人同時に失業してしまった。職探しで理不尽な思いをして戸惑いながらも、昔の仲間たちと共に新たなレストランを立ち上げる。「過去のない男」。暴力事件に巻き込まれて記憶喪失となった男が主人公。コンテナ生活者や救世軍の人々と新たな人間関係ができ、ゼロから自分の人生を築き上げていく。いずれの作品も、市井に暮らす普通の人が理不尽な出来事に巻き込まれながらも人生をやり直すという話。だからと言って説教臭い感じはない。どことなくユーモアを漂わせているのが良い。

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