佐藤優『自壊する帝国』
先週、田草川弘『黒澤明vs.ハリウッド──「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋、2006年)と共に、佐藤優『自壊する帝国』(新潮社、2006年)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。このブログでも佐藤についてはしばしば取り上げているが、ここ最近で私が一番感心した書き手だ。彼のデビュー作『国家の罠』(新潮社、2005年)を読んで文字通り驚愕した興奮はhttp://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f0d5.html とhttp://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_72ff.htmlで書いた。本書『自壊する帝国』は刊行されて一年近く経つが、この機会に取り上げてみたい。
佐藤優は書籍文化をとても大切にしている人だ。本人曰く、人見知りが激しいので大勢を前にして話すのはあまり好きではないらしいが、書店で行なわれる講演会には積極的に来てくれる。私も何回か聴きに行った。質疑応答の際、“国家”にこだわるようになったきっかけは何かと尋ねたことがある。佐藤によると二つあるという。一つは、鈴木宗男事件でマスコミから激しいバッシングを受け、大衆民主主義の恐ろしさを肌身に感じたこと。もう一つは、外交官としてソ連の崩壊を目の当たりにしたこと。一つの国家が崩れ落ちることで、どれだけすさまじい流血の事態が起こるのか、そこに慄然としたらしい。
本書はまさに彼が目撃したソ連という帝国の崩れゆく様を描いたノンフィクションである。ソ連崩壊の内幕を当事者のすぐそばから観察した個々のエピソードは非常に興味深いし、そこから政治や外交のあり方、“インテリジェンス”の重要さを汲み取る人もいるだろう。だが、何よりも面白いのは、この激動を通してあぶり出された人間群像だ。佐藤の書くものの根底には、人はいかに生きるのかという問いかけが見え隠れする。政治論や“インテリジェンス”論ももちろん佐藤の得意分野ではあるが、そこで終ってしまう読み方はあまりにもったいない。その背後に伏流する、人間に対する佐藤の観察眼に私は最も魅力を感じている。
新生ロシアでうまく立ち回った人もいる。しかし佐藤の眼は、時代の流れを理解しつつもどこか足を踏み外してしまった、いや宿命的に踏み外さざるを得なかった人々におのずと引きつけられていたようだ。モスクワ大学で佐藤と哲学や思想を語らって親友となった天才肌のラトビア人サーシャ。ロシア正教の聖職者だったが、国家と宗教の関係を考えつめてイスラムに改宗した黒衣の政治家ポローシン。私がとりわけ興味をひかれたのは二人の共産党幹部だ。そのうちの一人、ロシア共産党第二書記イリインの哀れな末路は『国家の罠』に描かれている。もう一人、リトアニア共産党第二書記だったシュベードの屈折した生き方にも哀愁が漂う。彼らの政治的スタンスについて後知恵で論評するのはたやすい。だが、哀しみや憤りを抱えながらもそれぞれの立場に否応なく立たざるを得なかった、そうした彼らに向けられる佐藤の眼差しにはあつくやさしいものを感ずる。
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コメント
はじめましてトゥルバドゥールさん。
私も、最近「面白すぎる(故米原万里さん評)」佐藤優氏の著作にはまっております。
佐藤優氏の著作の面白さは、ソ連崩壊からロシア共和国への政権転換の激動期に、外国のメディアによって流された外部からno
ロシアの状況ではなく、現場の生の肌感覚から状況を再現していること、プラス、彼自身の哲学、政治、神学への深い造詣に裏打ちされた世界観からロシアを見つめるその視線のユニークさではないでしょうか。学者のとらえる政治情勢でもなく、ジャーナリストのとらえるパワーポリテックスでもなく、偶然巻き込まれた当事者の、職務を逸脱するからもしれない(多分しているところ大なのでしょう)でも、踏み込まざるをえない衝動を抑えることができないところが共感を覚えるのでしょうね。佐藤氏の描く人物はまるで小説の主人公のように、その行為の内在的な動機が理解できるところが、面白さの要因なのだと思います。それは彼の人物観察の鋭さと情報の分析力によるところが大きいと思います。
それに加えて、自らを貶めた外務省への復讐の手段として、かつては自身をバッシングしたマスコミをうまく取り込み、逆に反撃の武器とする策略はさすが!と感心しています。
先週のアエラで佐藤優氏を巻頭特集「佐藤優という罠」していましたのご存知でしたか?彼自身による情報の捌き方まで寄稿しておられました。たんなる机上の空論を唱える学者でなく、仕事の切れるビジネスマンの側面も持っているところが異色の存在として脚光を浴びているのでしょうね。
ごめんなさい。コメントなのに長くなってしまいました。 トゥルバドゥール さんのお読みになっている本や映画に既に読んだり観たりしたものや、これから読みたい観たいものが多々ありましたもので。。自分とは違う観点からの意見はなかなか興味深いです。
ご迷惑でなければ、またコメントさせてください。では。
投稿: ミキ | 2007年4月23日 (月) 15時49分
ミキさん、どうもはじめまして。私も佐藤優にはまってしまった一人ですが、彼の書くものには確かに小説のような躍動感があって読み応えがありますね。それが、そこいらの大学教授など束になってかかってもかなわないくらいの学識に裏打ちされているのですから、ただただ驚嘆するばかりです。AERAの特集は電車の中吊り広告で気付いていたのですが、うっかりチェックを忘れていました。
ブログを拝見しましたが、幅広く多くの本を毎日読破されているようで感服いたしました。これからもよろしくお願いします。
投稿: トゥルバドゥール→ミキさん | 2007年4月24日 (火) 09時52分