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2007年4月 7日 (土)

「ボビー」

「ボビー」

 1968年、ジョンソン大統領の不出馬宣言を受けて民主党は予備選挙の真っ最中にあった。ロバート・ケネディはカリフォルニア州を制し、大統領の座へと一歩近づいたかに見えた。しかし、その夜、兄同様に凶弾に倒れてしまう。この映画は、ロバート・ケネディ暗殺の現場に居合わせて巻き添えを食った人々に焦点を当て、運命の夜までにそれぞれがたどった数日間を描き出した群像劇である。

 ヴェトナムの影におびえLSDに逃避する若者たち。ヴェトナム送りを免れるために偽装結婚するカップル。過酷な労働条件にあえぐヒスパニックの移民。株でもうけた大金持ちと芸術家気取りのその妻。進歩派気取りだが思考形態は封建的そのもののホテル支配人。黒人への偏見と闘う民主党の黒人スタッフetc.人種も出身階層も様々な人々の織り成す人生ドラマを垣間見ることで、ヴェトナム戦争期にアメリカが抱えていた矛盾を浮かび上がらせる。

 ケネディ神話はいまだに健在なのだなあというのがこの映画を観ての第一印象である。それ以上に深い感懐は覚えなかった。ケネディ兄弟がアメリカ政治に大きなインパクトを与えたことは事実だし、そこに見果てぬアメリカン・ドリームを重ね合わたくなる気持ちも分からないではない。しかし、こうまで伝説化されたケネディ像を押し付けられると少々辟易してしまう。たとえば、この映画の撮影部分ではロバート・ケネディは後姿しか出てこない。何となくイエス・キリストの生涯を描いた古い宗教映画を連想した。もちろん、実写映像と組み合わせているので整合性を慮ったのだとは思う。しかし、そうした実写へのこだわりも含めて、神話化への衝動にはあまり感心しない。

【データ】
原題:BOBBY
監督・脚本:エミリオ・エステヴァス
出演:アンソニー・ホプキンス、デミ・ムーア、シャロン・ストーン、マーティン・シーン、イライジャ・ウッド他
アメリカ/2006年/120分
(2007年4月7日、渋谷、アミューズCQNにて)

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