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2007年4月24日 (火)

ポリトコフスカヤ『プーチニズム──報道されないロシアの現実』

アンナ・ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『プーチニズム──報道されないロシアの現実』(日本放送出版協会、2005年)

 帰りの電車で本書を読み終え、帰宅してテレビをつけたらエリツィン前大統領死去のニュースをやっていた。

 昨年のことだが、本書の著者であるポリトコフスカヤ女史の射殺体が見つかった。犯人はいまだに捕まってない。リトビネンコ事件にしてもそうだが、最近のロシア情勢絡みの報道を見ていると少々常軌を逸しているという印象を抱く。ジャーナリストが暗殺されるのは日常茶飯事らしい。本書は英語版からの重訳で、オリジナルのロシア語版は出版されていない。文字通り命がけの取材活動を通して綴られたプーチン体制告発のルポルタージュである。

 プーチン体制のもと、人知れぬままに悲惨な災いにうちひしがれた市井の人々を著者は取材し、彼ら彼女らに代わって体制の病根を抉り出そうとする。上意下達の軍隊生活で上官の気まぐれで虐待され、死に至らしめられた若者。政権に協力する見返りで公的な地位をも得た経済マフィアの横暴。とりわけ著者が力を込めて描くのはチェチェン問題である。“テロとの戦い”という大義名分と疑心暗鬼とが入り混じって異様に興奮した喧騒において、疑われた者は根拠もなく検束され、迫害を受ける。

 残酷な不運に見舞われた人々について書きながら、著者はその元凶としてプーチンに対する憎悪を隠さない。しかしながら、読みながら何となく違和感があったのだが、プーチン個人にまつわる具体的な問題は何も描かれていないのだ。ロシアの社会体制全体が抱えているきしみがこの不運な人々にしわ寄せされた不条理は本書から読み取れる。だが、プーチンという固有名詞に責を帰して済むような話とは思えない。

 本書の原題は“Putin’s Russia”で、『プーチニズム』というのはあくまでも邦題である。ツァーリズムならぬプーチンの支配体制ということで著者の意図を汲み取っているのだろう。佐藤優がどこかで書いていたが、ロシアにあっては大統領=皇帝はその一身を以て国家を体現するとみなされるらしい。社会のひずみを放置する国家に対する憤りが直接に皇帝=プーチンへの憎悪へと向かう点では、ベクトルの方向は逆ではあるが、著者の脳裏でもやはり国家と大統領とがイコールで結ばれていることに変わりはない。著者の本意ではないだろうが、教養豊かなジャーナリストにしてもロシア人の伝統的な思考様式がうかがわれるようで、そこが興味深く感じられた。

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コメント

 トゥルバドゥールさん、コメントへの返事ありがとうございます。調子にのって、またコメントしちゃいます。
 ポリトコフスカヤ女史の暗殺は世界にロシア政治体制が、ソ連のそれと変わりないものであることを見せ付けた事件だったように思います。
 もっとも佐藤氏の推測では、チェチェンマフィアの線(プーティンに対する反勢力を盛り上げるため)も有力なようですが。いずれにしても真相はなぞであり、今のところ犯人が検挙されていないみたいなので、ロシア的な事件ですね。
 記者クラブによる情報の囲い込み(フリーのジャーナリストの締め出し)、官御用達の取材源、大手の新聞記者の高給待遇(彼らの給料を支えるスポンサーの意向に逆らえない)等々考えると、言論の自由が保障されている日本のジャーナリズムの中から、ポリトコフスカヤ女史のような方が果たして出現するだろうかと感じてしまいます。
 ロシア民衆の強権者を求める心情は、ツアーリズムによる長年の支配の影響とともに、70年に渡る無神論時代を経ても衰えない
正教の長老への絶対服従の信仰の強さもあるのではないかと思います。
 神学校出身のスターリンが、ロシア民衆を支配する手段として、レーニンの偶像化を推し進めたように、市場経済が急速に進行し格差が拡大しつつある現在、プーティンはロシア民衆の精神の不安を沈めるために正教の力をどのように利用していくのか興味があります。
 カラマーゾフの兄弟に例えると、エリィティンがドミトリー(情)で、プーティンはイワン(知)とするならば、アリョーシャに体現される(聖)を担うのはやはり正教の長老だと思うのですが。団子三兄弟ではないですが、ロシア的なものはこの三位一体構造が根底にあるように感じられます。
 

投稿: ミキ | 2007年4月24日 (火) 18時10分

 コメントをありがとうございました。暗殺が横行している状況はソ連時代よりもあからさまですね。かつてなら“精神医学的”措置で始末したんでしょうが、現在はアナーキーな感じがして、その点では旧ソ連とはむしろ違う時代に入っているのかなという印象を受けています。

 西欧的な民主主義のロジックとは違って、政治システムにある種の超越性を求める雰囲気はロシアらしくて興味深いところです。三位一体の捉え方は面白いですね。色々とアナロジーをひろげたくなる気持ちは分かります。私自身としては、『自壊する帝国』に出てきたポローシンがイスラムに改宗したことに関心があります。国家と宗教との関係を考えつめてイスラムに向かったというあたり、大川周明と絡めて佐藤氏は書いてくれないですかね。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年4月25日 (水) 11時29分

私もポローシンの「転向」は興味深く感じました。イスラム教の知識(キリスト教もそうですが)は皆無なので、ナショナリズムとイスラム教の親和関係の要因は何なのか、知りたいと思います。
 ちなみに、ドストエフスキーはカラマーゾフの続編を書こうとしていたそうで、それは物語の最期で下俗したアリョーシャが、テロリストになるという内容だったようです。

投稿: ミキ | 2007年4月25日 (水) 20時46分

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