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2007年4月27日 (金)

伊勢崎賢治『武装解除──紛争屋が見た世界』

伊勢崎賢治『武装解除──紛争屋が見た世界』(講談社現代新書、2004年)

 内戦状態にあった国が国家再建の軌道にのるためにはどうしても外部からの手助けがいる。各勢力間の停戦合意が成立し、PKOが現地に展開されたとしても、それだけでは紛争が終ったことにはならない。PKOが撤退した途端に紛争が再燃しないよう秩序だった状態を作り上げねばならず、そのためには全国民からのコンセンサスが必要である。具体的には選挙による代表制の確立である。その地ならしとして行なわれるのがDDR、すなわち武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会再統合(Reintegration、具体的には元戦闘員の手に職をつけること)である。

 本書には、著者自身がシエラレオネ、東チモール、アフガニスタンでDDRの陣頭指揮を取った経験が綴られている。泥沼の戦闘を潜り抜けた猛者どもから武器を取り上げるというのだから、かなり厄介な仕事だ。あらゆる手練手管をつくして交渉を重ねるという現場を踏んだ人ならではのリアリズムには本当に頭が下る。

 やはり肝心なのは金と軍事だ。たとえば、“民主主義”という西欧的価値観を押し付けるのは傲慢だという考え方があるが、そういう文化人類学的な相対主義に実務家は興味がないと言い切る。“民主主義”という看板を掲げなければ先進国は金を出してくれないという現実がある。金がなければ復興事業は先に進まない。どんな理屈を取ろうとも、現場ではとにかく金を出してくれる者が一番偉いのだ。

 日本は平和憲法を持っているので、復興支援はするが戦闘地域に自衛隊は送らないというのが一応の政治的コンセンサスとなっている。しかしながら、実際にDDRに携わってみると話はそうはうまくいかない。相手は武器を持っているのだから。現場の関係者に憲法第九条の制約を説明してもなかなか理解は得られないらしい。同時に、ナショナリスティックな自己満足からとにかく派兵ありきという行き方もいびつであり、左右双方の政治的思惑に対して著者は違和感を隠さない。

 内戦で分裂した国の人々の悲惨な生き死にを著者は間近に見ている。そうした現場を熟知した人ならではの意見は地に足がついて説得力があり、自衛隊のPKO参加をめぐる不毛な“神学論争”とは全く違った観点からの示唆がある。何らかの形で国際事情に関心を寄せる人にとって本書は必読であろう。

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コメント

国際PKO活動における内紛解決手段の地ならしとしてのDDRの活動のことを始めて知りました。
 民族間で血で血を争う悲惨な殺し合いからすぐに民主的な政府が創設されるはずがないので、考えたら当たり前のことなのですが、その過程がほとんど知られていないのは、伊勢崎賢治氏のように国際PKOで働く存在が日本では稀少だからでしょうか。
 伊勢崎氏は、DDの部分とRの部分は別のものとして取り扱うことが大事であるとインタビューの中で言ってました。DD二つの過程を実現するためには、DDをする引き換えにRの形で報酬を与えなければならない矛盾に、麻薬中毒のイカレタ少年兵に身の毛のよだつ残酷なやり方で肉親を殺された当事者たちは到底納得できないであろうからと。
 人生の多感な時期に非人間的な行為の数々を犯した少年たちの荒廃した精神を更正させるのは相当困難な作業だと思います。
 また、DDRによる解決がされるタイミングは、内紛双方がタオルを投げる寸前の状態であることが重要である。だから、現在のイラク内戦紛争ではフセイン政権を打倒しアメリカ軍が介入するタイミングが早すぎて事態を余計に混乱させてしまったと伊勢崎氏は指摘しています。
 内紛エネルギーの償却期間が必要なのでしょうが、その間に生じる犠牲者と、途中介入により内紛が長引いた時の犠牲者の数とのバランスによるのでしょうね。 

投稿: ミキ | 2007年4月27日 (金) 20時24分

少年兵をめぐってはそれこそ身の毛もよだつような話もあり、本当に深刻ですよね。パキスタンのジャーナリストが書いた『タリバン』という本を思い出しました。タリバンの若いメンバーには、ソ連のアフガン侵攻後の内戦で親兄弟を殺された子供たちが多いそうです。彼らは難民キャンプの殺伐とした環境の中で育ちました。彼らの破壊行為には、厳格なイスラムというよりも、何か文明世界そのものに対する呪詛のようなものがあるように感じられたのが非常に印象的でした。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年4月29日 (日) 22時47分

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