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2007年4月

2007年4月30日 (月)

「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」

 先週の4月27日、チェリスト・指揮者として世界的に著名なムスティスラフ・ロストロポーヴィチが亡くなった。80歳だった。この作品の日本上映が始まった矢先のことだ。原題は“Elegy of Life : Rostropovich, Vishnevskaya”となっており、ロストロポーヴィチばかりでなく、夫人のヴィシネフスカヤと二人を等分にテーマとしている。周知の通り、ガリーナ夫人もまた世界的に広く知られたソプラノ歌手である。迂闊なことに上映が始まるまで気付いていなかったのだが、アレクサンドル・ソクーロフ監督の手になるドキュメンタリー。

 私はショスタコーヴィチが昔から好きだったので、この二人の演奏を収録したCDをそれぞれ何枚かずつは持っている。だが、二人のパーソナリティーを窺い知るのは初めてだ。ロストロポーヴィチはお茶目で陽気。おどけてみせたり、インタビューには早口でまくし立てるかと思うと、演奏する時の目つきは険しい。落ち着かないが、エネルギッシュ。何よりも愛嬌があって、地位や身分にかかわらず誰でも引付けてしまう。やさしい音楽家一家に生まれ育った天真爛漫な才能ならではの持ち味である。

 夫のはしゃぎぶりに対して、ヴィシネフスカヤはその落ち着き払ったたたずまいが印象的だ。女帝とでも言おうか、傲岸にすら感じさせる雰囲気はむしろ怖い。しかしながら、語りを聞くと非常にしっかりしている。彼女は両親から事実上捨てられ、祖母のもとで貧しい生活を強いられた。専門の音楽教育を受けないでボリショイ劇場の舞台に立った稀有な人である。ロストロポーヴィチの明るさは魅力的だが、それ以上にヴィシネフスカヤの硬い表情の裏に何があるのか、そちらの方に興味がひかれた。たしか『ガリーナ自伝』が翻訳されているはずだから読んでみよう。

【データ】
監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、小澤征爾、クシシトフ・ペンデレツキ
2006年/ロシア/101分
(2007年4月30日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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2007年4月29日 (日)

宮城大蔵『バンドン会議と日本のアジア復帰』

宮城大蔵『バンドン会議と日本のアジア復帰──アメリカとアジアの狭間で』(草思社、2001年)

 インドと中国はチベット問題をめぐって厳しく対立していたが、1954年に両国間で協議が妥結した。その際、「平和五原則」によって平和共存路線が示されたことは、東西冷戦が緊迫している中、世界中からの注目を集めた。折りしも同年にはインドシナ戦争についてジュネーヴ停戦協定が合意されており、こうした情勢の中で翌1955年、アジア・アフリカの独立国が一堂に会する会議がインドネシアのバンドンで開催された。

 アジア・アフリカ諸国といっても様々だ。米ソ双方の同盟国が混在しており、路線対立で紛糾して芳しい成果があがらないだろうという懸念もあった(最終的には周恩来の柔軟な対応のおかげで成功した)。日本については、過去の戦争の怨念により招請をためらう声もあったが、パキスタンのイニシアチブで日本も招かれた。パキスタンは仇敵インドが会議でリードするのを防ごうと躍起になっており、アメリカの同盟国をできるだけ多く会議に引き込んで牽制しようとしていたらしい。

 欧米諸国との協調を優先させるのか。それとも、アジアの一員としての立場を自覚的に打ち出すのか。これは近代日本の政治外交における最大の対立軸の一つであり、バンドン会議をめぐっても深刻な葛藤を引き起こした。

 当時の鳩山首相は前任者・吉田茂の敷いた対米協調路線に不満を抱いていた。一つには、戦前から連綿と続くアジア主義の気分があると言えよう。だがそれ以上に、冷戦が緊迫感を増している中、第三次世界大戦を回避するためには全方位外交を進めるべきだという考えを鳩山は持っていた(ソ連との国交回復をライフワークとしたのはその表われだ)。現実を考えれば政治論に触れるのは避けねばならないが、経済交流ならば何とかなる。アメリカはバンドン会議には困惑しており、明確な方針を出さなかった。それでも、対米協調という基本的立場さえ守っておけば、その枠内でも独自の外交政策を展開できるという判断から、鳩山首相はバンドン会議に前向きであった。

 これに対して重光葵外相や吉田系の野党・自由党は、バンドン会議は共産圏の“平和攻勢”の隠れ蓑として利用されるという認識を持っていたため反対した。ところが、アメリカが同盟国を多く送り込む方が得策だと最終的に判断したため、日本も代表団を送ることが決まった。ただし、首相・外相クラスは見送られ、経済審議庁長官の高碕達之助が団長に選ばれた(なお、会議中に高碕は周恩来や廖承志と接触し、後のLT貿易の地ならしとなった)。

 ニューギニア島の西イリアン帰属問題でインドネシアとオランダは対立していた。バンドン会議でインドネシア支持の決議が行なわれても反対するよう日本はオランダから働きかけを受けていたが、何もしなかった。こうしたアジアへのシンパシーの気分が日本にはある。欧米との協調路線、さらには対米追従と言われながらも、日本の戦後外交をつぶさに見ると同盟関係の枠内において目立たないながらも出来るだけ距離をおこうという姿勢が垣間見られる。

 冷戦期において対立構図は固定化されており、中小国が独自の外交路線を取るのは事実上不可能であった。かつて日本を“エコノミック・アニマル”と揶揄するのが国内外を問わず一つのパターンとなっていた。しかしながら、日本がイデオロギー論争には巻き込まれないよう大きな国際政治的イシューからは距離をおき、国際交流をほとんど経済にしぼったことは、むしろ冷戦という制約下、自主外交を展開するための一つの工夫であったように受け止められる。その基本構図がバンドン会議をめぐる日本の対応に凝縮されており、そこが非常に興味深かった。

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2007年4月28日 (土)

村田晃嗣『大統領の挫折──カーター政権の在韓米軍撤退政策』

村田晃嗣『大統領の挫折──カーター政権の在韓米軍撤退政策』(有斐閣、1998年、サントリー学芸賞受賞)

 大統領選挙において在韓米軍撤退という選挙公約を掲げたにもかかわらず、カーターはそれを引っ込めざるを得なくなった。彼は人権外交の推進者として、むしろ大統領退任後の評判は高いが、政権運営能力については疑問符が付けられている。しかしながら本書は、そうしたカーターの“素人”というイメージにはこだわらず、丹念な資料調査やインタビューをもとに、当時の戦略環境の変化との関わりの中で公約撤回の経緯を分析する。

 カーターが在韓米軍撤退という公約を掲げた理由としては以下が考えられる。第一に、ベトナム戦争の教訓、つまり泥沼の戦争に巻き込まれることへの懸念。第二に、朴世熙大統領の人権抑圧に対する嫌悪感。第三に、朝鮮半島よりも戦略的に重要とみなされたヨーロッパへ兵力を回すため。第四に、コスト削減。

 「ジミーって誰?」といわれるほどに知名度が低かったことが大統領選挙ではカーターにとって有利に働いた。ワシントンの既成政治家へのアンチとして有権者の眼には新鮮に映ったのである。ところが、そうした反ワシントンの姿勢がたたって、議会では支持が得られなかった。与党の民主党が多数を占めていたにもかかわらず。また、外交官や軍人などの専門家集団とも深刻な葛藤を引き起こし、その詳細が本書にはヴィヴィッドに描かれている。

 本書ではカーター前のニクソン、カーター後の(父)ブッシュという二つの政権との比較も試みられている。実は両政権とも、在韓米軍の削減を進めて成功している。当時の政治環境との関わりもあるので大統領個人の責任に単純化することもできないが、議会や官僚を説得する際にはやはり大統領のパーソナリティーも大きく作用する。ニクソン、ブッシュとも保守的なリアリストであり、東側に対しての強い姿勢は知られていた。そのため、彼らの場合にはやむを得ない譲歩として受け止められた。他方、カーターの場合には自他共に認める理想主義者で、単なる弱腰として批判を受けてしまう。

 冷戦期における日米同盟と米韓同盟との質的な違いについても本書にはまとめられている。韓国に対しては、北朝鮮という“明白かつ差し迫った危険”に対処するためのローカルな同盟という性格を持っていた。韓国側には見捨てられるのではないかという不安がある一方、アメリカ側はベトナムのように巻き込まれることへの懸念があった。この場合、在韓米軍は韓国側にとって人質のようなものである(ただし、朝鮮戦争後世代が主流となるにつれて反米気運が高まり、現在ではむしろ米軍撤退要求の声が高いことは周知の通りである)。日本については、むしろ長期的な戦略に基づくグローバルな同盟としての意味合いがあった。巻き込まれ不安を抱いていたのは日本側で、アメリカ側は日本が自立路線を取って親ソ・親中路線に転換することを常に恐れていた。日本には韓国ほどの危機意識がなかったため、在日米軍はむしろ負担に感じていた。

 本書を通読して印象に残ったのは、過去の政権の失敗から教訓を得て、良くも悪くもそれを直面する課題に活かそうという発想をアメリカの外交当局者が常に持っていたことだ。ベトナムの教訓がカーター政権の政策路線を縛り、(父)ブッシュ政権はカーター政権の失敗から学んだ。そう言えば、キューバ危機に揺れるホワイトハウスを描いた映画「13デイズ」でも、強硬派が「ミュンヘンを忘れるな」と言ったかと思うと、ケネディがバーバラ・タックマン『八月の砲声』を挙げて強硬論の愚を非難する場面があったのを思い出した。

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2007年4月27日 (金)

伊勢崎賢治『武装解除──紛争屋が見た世界』

伊勢崎賢治『武装解除──紛争屋が見た世界』(講談社現代新書、2004年)

 内戦状態にあった国が国家再建の軌道にのるためにはどうしても外部からの手助けがいる。各勢力間の停戦合意が成立し、PKOが現地に展開されたとしても、それだけでは紛争が終ったことにはならない。PKOが撤退した途端に紛争が再燃しないよう秩序だった状態を作り上げねばならず、そのためには全国民からのコンセンサスが必要である。具体的には選挙による代表制の確立である。その地ならしとして行なわれるのがDDR、すなわち武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会再統合(Reintegration、具体的には元戦闘員の手に職をつけること)である。

 本書には、著者自身がシエラレオネ、東チモール、アフガニスタンでDDRの陣頭指揮を取った経験が綴られている。泥沼の戦闘を潜り抜けた猛者どもから武器を取り上げるというのだから、かなり厄介な仕事だ。あらゆる手練手管をつくして交渉を重ねるという現場を踏んだ人ならではのリアリズムには本当に頭が下る。

 やはり肝心なのは金と軍事だ。たとえば、“民主主義”という西欧的価値観を押し付けるのは傲慢だという考え方があるが、そういう文化人類学的な相対主義に実務家は興味がないと言い切る。“民主主義”という看板を掲げなければ先進国は金を出してくれないという現実がある。金がなければ復興事業は先に進まない。どんな理屈を取ろうとも、現場ではとにかく金を出してくれる者が一番偉いのだ。

 日本は平和憲法を持っているので、復興支援はするが戦闘地域に自衛隊は送らないというのが一応の政治的コンセンサスとなっている。しかしながら、実際にDDRに携わってみると話はそうはうまくいかない。相手は武器を持っているのだから。現場の関係者に憲法第九条の制約を説明してもなかなか理解は得られないらしい。同時に、ナショナリスティックな自己満足からとにかく派兵ありきという行き方もいびつであり、左右双方の政治的思惑に対して著者は違和感を隠さない。

 内戦で分裂した国の人々の悲惨な生き死にを著者は間近に見ている。そうした現場を熟知した人ならではの意見は地に足がついて説得力があり、自衛隊のPKO参加をめぐる不毛な“神学論争”とは全く違った観点からの示唆がある。何らかの形で国際事情に関心を寄せる人にとって本書は必読であろう。

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2007年4月26日 (木)

村田晃嗣『アメリカ外交──苦悩と希望』

村田晃嗣『アメリカ外交──苦悩と希望』(講談社現代新書、2005年)

 国際政治学の基本的な見取り図の作り方としてはリアリズムとリベラリズムの二つが代表的なものと言えよう。リアリズムは国家間の対立関係を不可避なものと考え、パワー・バランスによって紛争の回避を目指す。リベラリズムは国際社会の相互依存関係に着目し、協調の可能性を模索する。

 近年、もう一つの考え方としてコンストラクティヴィズム(構成主義)も有力となってきた。人間同士にしても、国家間関係にしても、目の前にいる奴は友好的なのか敵対的なのか、相手をどう捉えるかによっておのずと態度は違うし、そしてこちらの態度に応じて相手の反応も変わってくる。つまり、相互の関係性も、認識のあり方によって後から構築されていくという側面がある。そのように、外在的な環境要因ばかりでなく、国際政治におけるアクター自身の内在的な要因から組み立てられた自己イメージ、他者イメージのあり方に応じて外交関係も大きく変化し得ることを重視する観点がコンストラクティヴィズムと呼ばれる。

 9・11以降、アメリカ外交におけるユニラテラリズムが際立ち、これを“帝国”とみなす議論が盛んになっている。だが、コンストラクティヴィズムの立場からすると、“帝国”アメリカというイメージばかりが一人歩きを始めてしまうと、ヒョウタンから駒と言おうか、アメリカ自身もまたそうしたイメージ規定に絡め取られてますます極端な振舞いへと暴走してしまうおそれすら考えられる。いずれにせよ、国際政治はほんの些細なきっかけでも事態が大きく変わってしまうデリケートな性質がある。そこには表面からはうかがい知れぬ微妙な伏線が縦横に張り巡らされており、一面的なキーワードで決めつけてしまう見方は慎むべきであろう。ステレオタイプなアメリカ“帝国”論、ブッシュ悪玉論はまったく無意味である。

 アメリカ外交を動かす要因として本書はハミルトニアン・ジェファソニアン・ウィルソニアン・ジャクソニアンという4つのキーワードを挙げている。それぞれ過去の大統領の名前に由来する。対外的な関与の方向を軸に取ると、ハミルトニアンは積極的で海洋国家志向を持つ。これに対してジェファソニアンは国内的な安定と繁栄が最優先で、内にこもった孤立主義の傾向がある。対外関与の態度のあり方を軸に取ると、ウィルソニアンは民主主義を世界に広げなければならないという理想主義的な使命感を持っている。これに対してジャクソニアンはアメリカの安全と繁栄のためには実力行使も辞さずというユニラテラリズムの傾向がある。

 本書はこうした4つの傾向が絡み合ってアメリカの政治・外交が織り成されてきた姿を描き出しており、建国から現在に至るまでのコンパクトな通史として読みやすい。外部との相互作用によって、アメリカ自身が抱えている内在的な要因の、あるものは表面に出て目を引き、別のあるものは沈潜して見えなくなり、また複数が組み合わさることでもアメリカの顔の見え方は大きく変わってくる。そうした複層的なアメリカの姿を本書はきめ細かく描き出しており、肯定するにせよ否定するにせよ、ともすると一面的に陥りがちなアメリカ認識を解きほぐしてくれる。

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2007年4月25日 (水)

信田智人『官邸外交』

信田智人『官邸外交──政治リーダーシップの行方』(朝日新聞社、2004年)

 外交における首相の役割というのはもともと大きく、重要な外交案件は当然ながら首相の判断が必要であった。首相はいわば“第一外相”、外相は“第二外相”という役回りだったと言えるが、いずれにしても外務省の立案した政策を踏まえていた。こうした従来のスタイルを“首脳外交”と呼ぶならば、対して近年では“官邸外交”の傾向が強まっている。

 “官邸外交”とは、外務省では対応しきれない政治判断、総合政策調整を官邸主導で行なうことを指す。本書はとりわけ官邸のスタッフである官房長官、副長官、副長官補といった人々の役割に焦点を合わせ、インタビューもふんだんに活用しながら緻密な実証分析を行なっており、説得力のある研究成果を示している。

 官邸主導の外交というスタイルはもともと中曽根政権や竹下政権の頃から徐々に進められていたが、外務省の管轄範囲を超えた経済摩擦の収拾に限られていた。ところが、近年になってメインの外交課題についても官邸が対応する場面が増えた。これには、橋本行革によって行なわれた官邸機能強化も下地となりつつ、やはり小泉前首相の存在が大きい。

 一匹狼的な小泉にはもともと自民党内での基盤がない。彼は党内の根回しをしてからという従来的な政治手法を取るつもりなど初めからなく、まず連立与党との協議を先行させ、既成事実を作ってしまう。野党の民主党が安全保障政策については現実路線を取って歩み寄ったことも幸いした。何よりも圧倒的な支持率というバックアップがあったため、トップダウン式の政策決定が定着した。また、田中真紀子外相の引き起こした混乱のため、官邸直結で外交を進めなければならなくなったという偶然の要因も作用している。こうした状況下、拉致問題やイラク問題など困難な課題に対し首相自身によって政治リスクを賭けた外交判断を下すという環境ができあがった。

 世論というのは常にうつろうもので、しばしば感情的な傾向を帯びる。外交案件について国民が正しい判断を下せるとは限らないし、また、迅速な対応を迫られる事態も想定されるため、一元的なリーダーシップが必要となる。ただし、現代日本は民主主義によって立つ国である以上、国民の理解を得る努力を怠ってはならない。説明責任を果たすのはやはり首相の役割であり、そうした点でも重要な外交政策決定では官邸主導が望ましいと言えよう。

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2007年4月24日 (火)

ポリトコフスカヤ『プーチニズム──報道されないロシアの現実』

アンナ・ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『プーチニズム──報道されないロシアの現実』(日本放送出版協会、2005年)

 帰りの電車で本書を読み終え、帰宅してテレビをつけたらエリツィン前大統領死去のニュースをやっていた。

 昨年のことだが、本書の著者であるポリトコフスカヤ女史の射殺体が見つかった。犯人はいまだに捕まってない。リトビネンコ事件にしてもそうだが、最近のロシア情勢絡みの報道を見ていると少々常軌を逸しているという印象を抱く。ジャーナリストが暗殺されるのは日常茶飯事らしい。本書は英語版からの重訳で、オリジナルのロシア語版は出版されていない。文字通り命がけの取材活動を通して綴られたプーチン体制告発のルポルタージュである。

 プーチン体制のもと、人知れぬままに悲惨な災いにうちひしがれた市井の人々を著者は取材し、彼ら彼女らに代わって体制の病根を抉り出そうとする。上意下達の軍隊生活で上官の気まぐれで虐待され、死に至らしめられた若者。政権に協力する見返りで公的な地位をも得た経済マフィアの横暴。とりわけ著者が力を込めて描くのはチェチェン問題である。“テロとの戦い”という大義名分と疑心暗鬼とが入り混じって異様に興奮した喧騒において、疑われた者は根拠もなく検束され、迫害を受ける。

 残酷な不運に見舞われた人々について書きながら、著者はその元凶としてプーチンに対する憎悪を隠さない。しかしながら、読みながら何となく違和感があったのだが、プーチン個人にまつわる具体的な問題は何も描かれていないのだ。ロシアの社会体制全体が抱えているきしみがこの不運な人々にしわ寄せされた不条理は本書から読み取れる。だが、プーチンという固有名詞に責を帰して済むような話とは思えない。

 本書の原題は“Putin’s Russia”で、『プーチニズム』というのはあくまでも邦題である。ツァーリズムならぬプーチンの支配体制ということで著者の意図を汲み取っているのだろう。佐藤優がどこかで書いていたが、ロシアにあっては大統領=皇帝はその一身を以て国家を体現するとみなされるらしい。社会のひずみを放置する国家に対する憤りが直接に皇帝=プーチンへの憎悪へと向かう点では、ベクトルの方向は逆ではあるが、著者の脳裏でもやはり国家と大統領とがイコールで結ばれていることに変わりはない。著者の本意ではないだろうが、教養豊かなジャーナリストにしてもロシア人の伝統的な思考様式がうかがわれるようで、そこが興味深く感じられた。

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2007年4月23日 (月)

「スミス、都へ行く」

 1930年代のハリウッドは社会派的な問題意識と娯楽としての要素をうまく絡めた映画を割合と作っている。往年の巨匠フランク・キャプラ監督「スミス、都へ行く」(1939年、原題“Mr. Smith Goes to Washington”)が私は昔から好きだった。初めて観たのは中学生の頃だったろうか。NHK教育テレビで放映されたのをヴィデオに録り、それ以来、折に触れて繰り返し観ている。ストーリーは単純な勧善懲悪型。それだけに健康的で、気分が暗く落ち込んでいる時に観る分には精神衛生上非常によろしい。

 ひょんなきっかけで連邦上院議員に指名されたボーイスカウトの団長、スミス。実は州の実力者テイラーが操り人形とするつもりで仕組んだ人選であった。そんなことはつゆ知らぬスミスは、慣れぬワシントンで四苦八苦する中、テイラーの汚職を知ってしまう。あろうことか、尊敬する先輩、ペイン上院議員までもが関わっていた。スミスは次々とかかる政治圧力にめげそうになりながらも、地元の選挙民の良識に訴えようと、前代未聞のマラソン演説を議場で展開する。はつらつとした初々しさのある若き日のジェームズ・スチュアートは、世間知らずだが純情なスミス役にぴったり。彼を支えるベテラン女性秘書はジーン・アーサーが演じていた。

 先日観た「オール・ザ・キングスメン」についてこのブログに書いた。主人公のモデルとなった実在の政治家ヒューイ・ロングが気にかかり、本棚から三宅昭良『アメリカン・ファシズム──ロングとローズベルト』(講談社選書メチエ、1997年)を引っ張り出した。パラパラとめくっていたら、上院で15時間以上にわたるマラソン演説をやった人物が実際にいて、それがロングであったあったことに今さらながら気付いた。目的はスミスとは違って汚職告発ではなく、時の大統領フランクリン・ローズベルトを揺さぶるための議事妨害であった。1935年の出来事であり、実はこの3ヵ月後にロングは暗殺される。

 “ファシズム”という概念の扱いはなかなか難しく、ロングをこのカテゴリーに括るのが適切かどうかは分からない。ただ、ロングは派手なパフォーマンスが得意であり、それはマスメディアがあってはじめて成り立つ集票戦術であった。同時代のドイツにおいてゲッベルスのマスメディア戦略がすさまじいまでの威力を発揮していたことは誰しも思い浮かべるだろう。いずれにせよ、大衆民主主義の進展によりマスメディアの役割が飛躍的に大きくなっていたことを反映している。

 スミスは議場で演説しながら、そのメッセージがラジオを通じて地元の選挙民に届くことを期待していた。しかし、テイラーは地元メディアをしっかりと押さえ込んでおり、スミスの肉声は届かない。どんな手段を使おうともマスメディアを制した者が勝ちであり、勝った者が正しいと世間ではみなされる。スミスは力尽きて倒れてしまう。ところが、それを見たペインが良心の呵責にたえかねて発狂したように洗いざらいぶちまける。そうしたドンデン返しでこの映画はハッピー・エンドを迎えるのだが、現実の政治はそうそううまくいくはずがないのは勿論である。ロングのポピュリスティックなパフォーマンス政治をスミスの純朴さに置き換えようとしたところに、この映画が作られた時代に漠然と漂っていた“民主主義”なるものへの不安が読み取れそうだ。

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2007年4月22日 (日)

保阪正康監修・解説『50年前の憲法大論争』

保阪正康監修・解説『50年前の憲法大論争』(講談社現代新書、2007年)

 1951年に結ばれたサンフランシスコ講和条約は翌52年に発効し、日本は主権を回復した。それを踏まえて鳩山内閣は自主憲法制定を目指していた。本書は1956年に衆議院で行なわれた憲法改正をめぐる公聴会の議事録である。

 私自身としてはあまり憲法問題を熱心には考えていないので、スタンスとしては非常に素朴である。現行憲法については、いまそこにあるから受け入れるという程度。護憲だろうが改憲だろうがどちらでもいい。ただし、自衛隊の位置づけについては、解釈改憲の積み重ねではかえって超法規的でいびつな構造を生み出しそうな懸念を持つので、技術的な手直しが必要なのではないかとは思う。第九条へのこだわりはない。改憲は軍国主義復活につながるという議論にはリアリティーを感じない。

 本書を通読したところ、翻訳憲法の是非、第九条と自衛権の矛盾など、基本的な論点は現在とそれほど変わらない。ただ印象に残ったのは、当時の人々と皮膚感覚がかなり違うのだなあということ。辻政信が繰り返す共産化への懸念は、歴史の後知恵で今となっては笑って済ませられるが、1950年代という時代状況にあってはやはり切迫したものがあったのだろう。社会党の議員の発言には、今の視点からするとイデオロギカルな硬さを感ずる。しかし、彼らは現在の護憲論者とは違って、戦前において弾圧を実際に受けた人々だ。文面を理屈で捉えると非常に陳腐だが、その背後には実体験からにじみ出た怨念すら感じさせる。

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2007年4月21日 (土)

添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交』

添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交──戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)

 戦後日本の政治が大きなねじれを抱え込み、その中で不毛な政策論争が繰り広げられてきたことについては立場の違いにかかわらず同意されるだろう。それはとりわけ安全保障分野に顕著であった。日米安保条約、憲法上の制約が大きい自衛隊といった要因は日本の外交スタンスを極めて曖昧なものとし、そこを左右両極の政治勢力は激しく論難してきた。すなわち、国家主義的な自立志向と非武装平和論。いずれも対米自立を求めていた点でナショナリズムの気分の発露であったと言える。しかしながら、二つの勢力から挟撃されながらも、吉田茂の定式化した路線は冷戦という状況下、有効な成果をもたらした。本書は、こうした日本のスタンスを「ミドルパワー」外交と捉え、占領期における吉田外交、高度成長後における中曾根外交を肯定的に評価する。

 「ミドルパワー」外交とは何か。国力の点で日本はアメリカや中国の向こうをはることは事実上難しいし、過去の侵略戦争の歴史がネックとなって常に周辺諸国から警戒心をもって見られている中、大国間外交の主要プレイヤーとして振る舞うことは不可能である。グレートパワー(大国)ではなくミドルパワー(中級国家)としての立ち位置を取ること、つまり、米ソ中など大国間の駆け引きで実際に成り立ってきたパワーバランスを所与の条件としながらも、その中で一定の主体性を発揮するのが日本にとって最も現実的な選択肢であり、また現場の外交当局者が実際に行なっている路線である。

 たとえば、小渕政権以来、「人間の安全保障」に焦点を当てた外交政策を積極的に進めているという。「人間の安全保障」とは1994年、国連開発計画(UNDP)の報告書で唱えられて以来広く認知されるようになった概念である。途上国の抱える構造的貧困の改善や環境問題への支援など、大国外交では見落とされがちな分野で日本のイニシアティヴを発揮しようと模索されている。日本のPKO参加についても、日本国内の平和論者や周辺諸国からは大国志向の表われ、軍国主義の復活として非難されるのが常態となっているが、実際にはこうした「ミドルパワー」路線の延長線上にあると考えるべきであろう。

 昨今の世論をうかがうと、従来の観念的な平和論がなりを潜めたのは歓迎すべきことだ。ところが、その反動であろうか、マスメディアでの論調には逆に右バネの勢いが強すぎるようにも見受けられる。しかし、マスメディアからばらまかれるイメージと、外交当局者が実際に行なっている政策路線との間にはかなりのギャップがあるようだ。本書は戦後日本の外交政策を手際よく整理し、そうしたギャップを埋めてくれる点で非常に有益であった。

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2007年4月19日 (木)

大森荘蔵『知の構築とその呪縛』

 私の偏見かもしれないが、哲学学者(敢えて“学”を二つ並べた)の書く論文にはウソが多く混じっていると思っている。翻訳口調の学術用語を積み木のように組み立てることを“論理的”と称したところで実体がない。実体のないものはウソである。こうしたあたりに疑問を抱いて独自のスタイルで哲学を語っていたのが、先日お亡くなりになった池田晶子さんだろう。

 自分自身がいままさに感じている素朴な生身の感性、これを基にめぐらされた思索は戦後日本のアカデミズムにおいてなかなか少ないが、その稀有な一人として大森荘蔵に私は敬意を抱いている。

 私はまったくの文系人間で、科学史・科学哲学の素養はゼロである。だが、『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫、1994年)を一読した時にはたちまち魅了されてしまった。どことなく詩心が香りたつ科学哲学というのがあり得ることに心底驚いた。

 世界の見え方は一つではない。たとえば、エジプトのピラミッドを思い浮かべてみよう。遠くから見れば均整のとれた美しい三角形。ところが、すぐ麓から見上げると、巨石が積み上げられてゴツゴツしている。常識的な見方では、遠くから見えたきれいな三角形は錯覚で、近くから見たデコボコが正解ということになる。

 だが、ちょっと待って欲しい。遠くの地点で目を凝らしたとき、きれいな三角形に見えたというその視覚体験そのものは果たして間違いだったと言って済むのだろうか。そのように見えた生身の視覚体験そのものは厳然たる事実である。にも拘わらず“錯覚”というレッテルを貼ってしまうのは、デコボコを見たもう一つの視覚体験を基準とした後知恵に過ぎないのではないか。そうした趣旨のことを大森は本書「11 二元論批判」で言っている(ピラミッドの例は分かりやすくするため私が仮に出してみた)。

 世界は様々に見え得る。そのうちのたった一つの見え方だけを“真理”とみなし、他の見え方を“錯覚”という言い方で否定してしまったところに近代科学がはらむ大きな欠陥がある。

 ここで勘違いしてもらっては困るが、だから近代科学は間違っていると言っているわけではない。近代科学特有の数量化という手続きを通してこの世界を眺めることだって勿論可能だ。ただ、色々な見方、感じ方ができるものを、たった一つの見方だけしかあり得ないと近代科学の思考習慣になずんだ我々は信じ込んでいる。そうしたこわばりを大森は解きほぐしてくれる。これはあくまでも日常生活での慣れの問題であって、特別なことは何も言っていない。

「…「物」と「知覚像」は一心同体の「同じもの」なのである。原子集団そのものに色があり、匂いがあり、暖かさ冷たさがあり、美しさ醜さがあるのである。ただ個々の原子や感覚できない小集団の原子は色があるのでもなければ色がないのでもない。それらは感覚できない。ということそのことによってそれらに色を云々することは無意味なのである。しかし一定程度以上の表面積をもつ原子集団には色がある。その原子集団そのものに、である。その色は、私が今それを見ている視点と視角から見えている色である。他の視点視角から見れば多少異なる色が見えよう。だがそれもまた、その原子集団の、その視点視角から見える色なのである。こうして、どの色もその原子集団そのものの色であることは、視角視距離に応じて姿を変えるその形状がすべてその原子集団そのものの形状であるのと同様である。」

「それを誤って、原子集団にただ幾何学的、運動学的性質だけを帰属させて死物化し、一方、感覚的風景を主観的意識に押し込めたのが、ガリレイ、デカルトの路線であった。…自分の身体を含めての物的自然の死物化、それに対応する、いわゆる「心の働き」の主観化、内心化、この「自然」と「内心」との分離分断が現代人の思考と感性の基本枠となっている。それは近代を特徴づけた科学的思考に誤って紛れ込んだ、そして人々の誤りに乗じてその母屋を乗っ取ったデカルト的二元論の呪縛の結果なのである。」

「この自然の死物化と心の主観化・内心化が、現代人から、古代中世の人々がもっていた、活物自然と自己の一体感を奪ったのである。略画的世界観のもっていた、自然を生き生きと活きたものと感じ、自分をその一部として感じる、あの感性を奪ったのである。そしてその略画的感性を何か未開のもの、迷信的なもの、と感じる近代的感性に支配されるに至ったのである。そしてさらにそれを、近代的自我などと称するに至ったのである。」

「…物と自然は昔通りに活きている。ただ現代科学はそれを死物言語で描写する。だがわれわれは安んじてそれに日常語での活物描写を「重ね描き」すればよいのである。」

「…つまり、「心の働き」といわれているものは実は「自然の働き」なのである。心ある自然、心的な自然が様々に(感情的、過去的、未来的、意志的、等々)立ち現れる、それが「私がここに生きている」ということそのことにほかならない、こう私はいいたいのである。」

「かりにそういえるとすれば、私と自然との間に何の境界もない。ただ私の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。自然の様々な立ち現れ、それが従来の言葉で「私の心」といわれるものにほかならないのだから、その意味で私と自然とは一心同体なのである。当然、〈主観と客観〉と従来いわれてきた分別もない。〈世界と意識〉という分別もない。これは禅的な意味や神秘的な意味での「主客合一」とか「主客未分」とかということとは全く別のことである。ごく当たり前の日常生活の構造そのものの中に主観と客観、世界と意識といった分別がない、ということだからである。四六時中そうなのである。」
(以上、本書234~238頁より抜粋)

 本書を読むのに科学史の知識は常識程度にあれば十分だ。細部の理解にはこだわらず、とにかく通読して勘所をおさえて欲しい。本書はこれからも細々とながら読み継がれていく古典になると私は思っている。科学哲学という分野の敷居の高さゆえか、大森の名前は一般読書人の間でもそんなに知られているとは言えない。そうした中、今月、大森と坂本龍一との対談『音を視る、時を聴く』をちくま学芸文庫が出してくれたのは本当にうれしい。

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2007年4月18日 (水)

佐藤優『自壊する帝国』

 先週、田草川弘『黒澤明vs.ハリウッド──「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋、2006年)と共に、佐藤優『自壊する帝国』(新潮社、2006年)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。このブログでも佐藤についてはしばしば取り上げているが、ここ最近で私が一番感心した書き手だ。彼のデビュー作『国家の罠』(新潮社、2005年)を読んで文字通り驚愕した興奮はhttp://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_f0d5.htmlhttp://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_72ff.htmlで書いた。本書『自壊する帝国』は刊行されて一年近く経つが、この機会に取り上げてみたい。

 佐藤優は書籍文化をとても大切にしている人だ。本人曰く、人見知りが激しいので大勢を前にして話すのはあまり好きではないらしいが、書店で行なわれる講演会には積極的に来てくれる。私も何回か聴きに行った。質疑応答の際、“国家”にこだわるようになったきっかけは何かと尋ねたことがある。佐藤によると二つあるという。一つは、鈴木宗男事件でマスコミから激しいバッシングを受け、大衆民主主義の恐ろしさを肌身に感じたこと。もう一つは、外交官としてソ連の崩壊を目の当たりにしたこと。一つの国家が崩れ落ちることで、どれだけすさまじい流血の事態が起こるのか、そこに慄然としたらしい。

 本書はまさに彼が目撃したソ連という帝国の崩れゆく様を描いたノンフィクションである。ソ連崩壊の内幕を当事者のすぐそばから観察した個々のエピソードは非常に興味深いし、そこから政治や外交のあり方、“インテリジェンス”の重要さを汲み取る人もいるだろう。だが、何よりも面白いのは、この激動を通してあぶり出された人間群像だ。佐藤の書くものの根底には、人はいかに生きるのかという問いかけが見え隠れする。政治論や“インテリジェンス”論ももちろん佐藤の得意分野ではあるが、そこで終ってしまう読み方はあまりにもったいない。その背後に伏流する、人間に対する佐藤の観察眼に私は最も魅力を感じている。

 新生ロシアでうまく立ち回った人もいる。しかし佐藤の眼は、時代の流れを理解しつつもどこか足を踏み外してしまった、いや宿命的に踏み外さざるを得なかった人々におのずと引きつけられていたようだ。モスクワ大学で佐藤と哲学や思想を語らって親友となった天才肌のラトビア人サーシャ。ロシア正教の聖職者だったが、国家と宗教の関係を考えつめてイスラムに改宗した黒衣の政治家ポローシン。私がとりわけ興味をひかれたのは二人の共産党幹部だ。そのうちの一人、ロシア共産党第二書記イリインの哀れな末路は『国家の罠』に描かれている。もう一人、リトアニア共産党第二書記だったシュベードの屈折した生き方にも哀愁が漂う。彼らの政治的スタンスについて後知恵で論評するのはたやすい。だが、哀しみや憤りを抱えながらもそれぞれの立場に否応なく立たざるを得なかった、そうした彼らに向けられる佐藤の眼差しにはあつくやさしいものを感ずる。

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2007年4月16日 (月)

「オール・ザ・キングスメン」

 貧困階層の不満をバックに権力を握ったルイジアナ州知事ウィリー・スターク(ショーン・ペン)、彼が自らに対する弾劾決議案審議の成り行きを議場上方二階席から傲然と見下ろす姿が象徴的だ。不安と尊大さのないまぜとなったせわしない視線で議員一人ひとりの賛否をチェックしている。弾劾決議案は辛くも否決されたが、その直後、スタークは議事堂内で暗殺されてしまう。このカリスマ的政治家がのし上がっていく様子と、彼のために働きながらも振り回される新聞記者ジャック・バーデン(ジュード・ロウ)の抱えた葛藤とをこの映画は描いている。なお、1949年にも同タイトルの映画が製作されている(昔ヴィデオで観たはずなのだが、あまり覚えていない)。

 この映画の設定でスタークが銃弾に倒れるのは1954年のこととなっているが、実在したモデル、ヒューイ・ロングが暗殺されたのは1935年である。ロングは州知事、連邦上院議員としてルイジアナ政界で独裁的に君臨し、そのポピュリスティックな人気を背景に時の大統領フランクリン・ローズヴェルトをおびやかすほどの存在であった。ロングについては三宅昭良『アメリカン・ファシズム──ロングとローズヴェルト』(講談社選書メチエ、1997年)に詳しい。

 1930年代といえば、世界的にも既成政治に対する不満が共産主義やファシズムなど様々な形を取って噴出していた時期である。それは一種のカリスマ待望と結びついていた。スタークは当初、政治腐敗追及で名を上げた。そこに目をつけられて州知事選挙に担ぎ出されたものの、自分が単に利用されているに過ぎないことに気付く。開き直ってそれまでの愚直な政策演説をやめ、自らの怒りを率直に語りかけた。とりわけ業界と癒着した上流階級を標的とするアジテーションは大衆受けし、地滑り的な勝利を得る。権力を握った彼もまた腐敗とは無縁ではなかったが、「善は悪から生れる」と言い放つ。そこにはカリスマならではの確信犯的なすごみがある。「エビータ」(1996年)でのエヴァ・ペロンの描き方もそんな感じだった。アメリカ映画でカリスマ的政治家を描く場合の定型句という印象がある。

 ショーン・ペンの存在感に改めて感心した。彼を初めて知ったのは「デッドマン・ウォーキング」(1995年)での死刑囚役だったが、開き直りと処刑間際のうろたえと表情をしっかりと演じ分けていたのをよく覚えている。「アイ・アム・サム」(2001年)での知的障害者役は自然で違和感なかったし、「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」(2004年)での内向的でセンシティヴな暗さも印象に強い。

【データ】
原題:All The King`s Men
監督:ロバート・ゼイリアン
原作:ロバート・ベン・ウォーレン『すべて王の臣』(新装版、白水社、2007年)
出演:ショーン・ペン、ジュード・ロウ、アンソニー・ホプキンス、ケイト・ウィンスレット他
アメリカ/2006年/148分
(2007年4月15日、新宿武蔵野館にて)

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2007年4月15日 (日)

佐藤優『国家と神とマルクス』

 今日の夕方、友人から携帯にメールをもらい、佐藤優の最新刊『国家と神とマルクス──「自由主義的保守主義者」かく語りき』(太陽企画出版、2007年)が出たのを知った。早速買い求めて通読した。本書は、佐藤が雑誌や新聞に執筆した論考を集めている。中には、民族派系の『月刊日本』に掲載された「日本の歴史を取り戻せ」や、新左翼系の『情況』でのインタビュー記事「国家という名の妖怪」など、普段は目にする機会のない媒体に発表されたものも含まれている。論点があちこちとんで雑な感じもするが、それだけに彼の思考の途中経過がうかがわれて面白い。

 私が関心を持ったポイントをいくつかメモとして走り書き。初めに、「日本の歴史を取り戻せ」から。保守主義とは伝統に根ざしたものである。しかし、日本は日本の伝統から保守主義が語られるのと同時に、アメリカはアメリカなりの、中国は中国なりの、それぞれの立場での保守主義があるわけで、その点では本来、多元的なものである。ところが、昨今の保守論壇をみると、どうも議論が硬直していて、右派の持ち味であったはずの寛容さが失われている。そこで、佐藤は蓑田胸喜を取り上げ、“唯一の正しい日本”という蓑田のドクトリンはむしろ西欧近代的な言説であることを示し、注意を促す。これに対して、北畠親房『神皇正統記』を読み解きながら、多元的な意見の並立を許容する政治システムとして“権威”と“権力”の分離を日本の伝統として指摘し、これを担保する結節点として、力はなくとも“権威”の担い手である“皇統の連続性”に焦点を当てている。

 次に、「国家という名の妖怪」から。まず、藤原正彦『国家の品格』(PHP新書、2005年)の捉え方について。私自身はこれを駄本だと考えている。ただし、論理以前に情緒が大切であり、その情緒は文化風土の中で育まれるという、藤原が昔から主張してきた勘所については好意的に受け止めていた。感情的なナショナリズムから世間的にこの本が受け止められて、藤原が本来言いたかったことが意外と浸透していないのではないかと懸念していた。佐藤は、「語り得ぬことについては沈黙せねばならない」というヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の末尾をしめくくる有名な一文を引き合いに出しながら、論理の世界と、論理では表わせない世界との区別として理解しており、全く同感である。

 それから、国家の超越性について。世俗化の傾向が強まる中、宗教は人間の生き死にの対象とはならなくなってきた。かわって、生き死にをかける対象としての超越性を国家に求めるようになってきている。そうした認識を踏まえて、「結局、我々は何らかの病気にかかっているので、病気から完全に逃れることはできないのだと思います。だからどういう病気になるかが問題なのだと思います。できるだけ他者に危害を加えない比較的ましな病気になるしかない。それぐらいしかないと思う(笑)。/私のかかっているキリスト教という病気は、他者に危害を加えることがときどきある。私がかかっているもう一つのナショナリズムも他者に危害を加える危険な病気です。だからその危険性をできるだけ、自己の利害得失から切り離して認識しておくことが必要と考えています。」(本書、226頁)という行き方は説得的に感じた。

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2007年4月13日 (金)

『保田與重郎文芸論集』

川村二郎・編『保田與重郎文芸論集』(講談社文芸文庫、1999年)

 私自身の幼い頃の読書体験の一つとして『平家物語』のインパクトは強い。無論、原典で読んだわけではない。小中学生向けにリライトされたものだったが、このスケールの大きな大河ドラマに夢中となって繰り返しむさぼり読んだ。本書『保田輿重郎文芸論集』所収の「木曾冠者」で保田はこの『平家物語』の魅力を存分に語る。その口調からは、登場人物に仮託しようとした保田の人生観がうかがわれ、私の単なる『平家物語』好きを質的に変化させてしまうくらい胸に強く迫ってきた。

 保田の源頼朝論に英雄史観の影をみる人もいるようだが、話はそんなに単純ではない。平家は没落し、鎌倉では着々と政権が樹立される。あまたの個性が、自分の置かれた立場の中で通すべき筋を通し、当然のことのように死地へと赴く。死屍累々たるドラマが重層的に積み上げられながら、平家の没落が必然的と言いたくなるくらいの確かさを以て進行する。

 ところで、頼朝は鎌倉にこもったままである。この没落劇にあまり姿を見せることがない。それだけに不気味である。歴史の大きなうねりには善悪もなければ、勝ち負けもない。ただひたすらに人知を超えたうねりが人々を次々に巻き込んでいくその中心点、台風の目のような存在として保田は頼朝を捉える。彼は無慈悲に殺す。その中には、行家、範頼、そして義経など親族も含まれる。「個人の意志よりももっと壮烈苛酷な歴史の意志の断面の図柄をみるようで怖ろしいのである」(本書、145頁)。個人というレベルをはるかに超越したすごみ、その具象化として保田は頼朝を見ているのであって、歴史上の生身の彼を思い浮かべているのではあるまい。

 保田は、木曾冠者すなわち義仲と九郎判官義経について、平家没落と鎌倉政権樹立にあたり“必然な橋”であったと言う。この二人について保田が時折“橋”という表現を用いるのが目を引く。

 保田の「日本の橋」という文章が本書にも収録されている。ヨーロッパの頑固堅牢な橋(たとえば、古代ローマのガール橋をあげている)と比較しながら、日本の橋の素朴なたたずまいに日本人の感性のあり方を読み取ろうとしたエッセイで、比較文化論ではしばしば言及される。

 このエッセイを、名古屋で見かけた橋の擬宝殊に刻まれた銘文を取り上げて結ぶあたりが印象的だ。橋を寄進したのは、秀吉の命により出征して戦没したある若武者の母親である。息子を死に至らしめた宿命に抗議の憤りを示すのではなく、しかし同時に純粋なかなしみが浮かび上がっている。そうした気持ちが相反しながら、二つながらに溶け込んでいる素朴な文面に、保田はある種の感懐をもよおしている。ロマン派的なイロニーで読み込んでいると言うべきか。義仲と義経についても、時代の移り変わりを橋渡しすべく宿命的な役割を負わされた。そこにもがきつつ、同時に滅びという形で果たすべき役割を果たしきった姿に、二律背反しつつ一如の真実を見出そうとしているのか。それは、善悪是非、一切のこと分けなど通用しない、ただひたすらな真実である。

 剣をとった二人の間に、修身教室の倫理から正義と不義の現れをとくなどは、概して後世堕落の民の習俗である。瞬間の切迫の中にそういう空論はない。ただ勝つことが現実である。それは無上に押し流されたときに発見される。闘いは人力のきずいた線を突破した非常であり無常である。源氏ならば頼朝のために肝脳地にまみれさすが正しく、平氏なら清盛のために死すが正しい。今日私がソヴエート人ならばスターリンの完全奴隷となっていささかもスターリンにヒュマニズムがないなどの愚言を云わないし、現に私は日本人であるから、日本の正義を己の住家とする自信から敢えて云々せぬ。ある理論の眼で日本の神聖を云うことさえ、すでに今日では日本人である私にとっては、大へんな空語と思はれる。矢の放たれた瞬間は考慮や批判を超越する。その批評はその瞬間に成立した血の体系だけが描くのである。平家物語の讃仏乗の縁をとく精神は今日もまた真理となった。平家物語は平家が討たれねばならなかった理由も、滅んだ理由もいっていない。人工の正義など説いていない、描いているのはつまりその讃仏乗の縁であり、諸行無常の調べである。勝者も敗者も、剣をもった瞬間に救われていた。殺戮が一つの罪悪であるというような正論は百も承知で、抽象の殺戮でなく、具体の剣戟の場に臨んでいた。無常が押し流したのである。個人は死んでもよいが、背景の理念は何らかの形で表現せねばならない。その剣戟の場に於いては、一切は善悪から解放されていた。(本書、162~163頁)

 宿命と言えば大仰ではあるが、人には誰しもそれぞれに与えられた何がしかのものがある。それを、他人との比較で様々に良し悪しを云為するのは全く無意味であろう。与えられたものをそのまま引き受ける、そこには理屈の介在する余地はない。自分の立つべき立場の中でただひたすら自分のなすべきことに努めるしかないし、結果としての成功・失敗という判断も所詮は後知恵に過ぎない。日本人なら日本人として生きよ、という言い方をナショナリズムとまとめてしまうのは簡単であるが、そうしたまとめ方自体、「日本に生れた自分」を他人事のように見て小賢しく理屈づけようとする軽薄さが感じられる。

 本書は保田が戦前に発表した文章のみを収録している。戦後になって保田は、その文章が若者を喜んで戦地に赴かせたとして、戦争協力者、御用文士のレッテルを貼られた。しかし、見方を変えれば、それだけあの不安な時代状況の中で人の気持ちを捉えるだけの力がみなぎった文章であったということだ。政治的なバイアスを取り払って読み直してみる価値はあるように思う。

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2007年4月12日 (木)

山内昌之『歴史学の名著30』・佐々木毅『政治学の名著30』

 各分野における名著をリストアップした解説本は割合と多い。とりわけ、中公新書で出ていた『~の名著』シリーズは手引きとして参考になった。ふと気になったのでいま調べたところ、そもそも中公新書の第一弾が桑原武夫・編『日本の名著──近代の思想』(1962年)だった。大学に入るかまだかくらいの頃、古本屋の店頭ダンボール箱売り(神保町では今でも見かける)で百円でこれを買って読んだが、まだ読書経験の乏しい頭にとって費用対効果の効率が極めて良かったと得した気分になったことを覚えている。

 いずれにせよ、こうした『名著』ものは、取り上げられた一冊につきその筋の専門家一人の手で紹介するという分担執筆のスタイルを取るのが普通だろう。これに対して、一人の視点で書き下ろしているのがここに掲げた二冊の特徴である。学者だから当然と言ってしまえば当然なのだが、それにしてもこれだけジャンル横断的に該博な読書量には本当に恐れ入る(ここまで書きながら、一人で書いた『名著』ものとして浅羽通明『アナーキズム──名著でたどる日本思想』『ナショナリズム──名著でたどる日本思想』(いずれもちくま新書、2004年)があるのを思い出した。最近、幻冬舎新書で出た『右翼と左翼』(2006年)も含めて、読もうと思いつつ忘れていた…)。

 山内昌之『歴史学の名著30』(ちくま新書、2007年)で取り上げられているラインナップを見ると、たいてい名前くらいは知っている(ただし、伊達千広『大勢三転考』、劉知幾『史通』、アッティクタカー『アルファフリー』は本書で初めて知った)。しかし、知ってはいるが、きちんと読み通していない歴史書が多い。実は読もうと思って手元に確保してあるものも結構あるのだが、名著と言われる歴史書にはボリュームで圧倒されてしまうものが多くてなかなか読み進められないのだ(たとえば、ギボン『ローマ帝国衰亡史』やブローデル『地中海』を思い浮かべよ)。ところが、本書はそれぞれの読みどころを懇切に説いてくれるので、改めて面白そうだと気持ちがそそられた。さしあたって、原勝郎『日本中世史』『東山に於ける一紳縉の生活』やトロツキー『ロシア革命史』などはその魅力を本書で初めて気付かされたので、読んでみようと思っている。

 私はほとんど独学に近い形でだが政治思想史を一通りかじったことがある。そのため佐々木毅『政治学の名著30』(ちくま新書、2007年)で取り上げられているラインナップについては、実はそのほとんどに目を通したことはある(ただし、「Ⅳ 政治と宗教」で取り上げられているアウグスティヌス『神の国』、カルヴァン『キリスト教綱要』、ロック『寛容書簡』は未読)。しかし、あくまでも「目を通した」だけであって、本書を読みながら内容への理解が浅かったかなあと痛感させられることもしばしば。歴史書については「面白そうだから読んでみたい」というワクワクした気持ちがわいたが、政治学の古典については「おさらいしないとやばいなあ…」と切迫した義務感を抱えてしまった。

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2007年4月11日 (水)

福田恒存『人間・この劇的なるもの』

 “自由”とか“個性”とかいう観念のインフレは、現代社会を特徴付けるメルクマールの一つだと思っている。この言葉の持つ詐術(敢えてこう言いたい)に私は戸惑わされた経験を持つ。この観念を、理屈の上では理解できるような気がした。しかし、胸の奥まで得心のゆかないもやもやしたわだかまりが常にまとわりついていた。

 わだかまりの理由の一つは、この言葉の多義的な難しさだ。政治思想史的な文脈における“権利”としての“自由”にせよ、感覚的な意味合いでこだわりをなくした精神状態としての“自由”(私は早くから老荘思想にひかれていた)にせよ、同じ“自由”という言葉を用いて語られても、論ずる人の立場や感性に応じてここに込められたニュアンスが根本的に相違してくる。そうした微妙に輻輳する襞を判じ分けないと混乱してしまうし、むしろその混乱を恣意的に利用して得手勝手な“自由”論を展開することだってできる。“自由”なる言葉は実にトリッキーである。

 我々は“自由”を求めているのではなく、“必然”のうちに身をさらすことを渇求している。“個性”なるものもつきつめれば“個性”ではない──。こうした逆説をつきつけられて瞠目したのが福田恒存『人間・この劇的なるもの』(中公文庫、1975年)であった。我々の陥りやすい錯覚を辛辣だが真摯な舌鋒で突き崩してくれる点で卓抜な“自由”論だと思う。

 ここが肝心なポイントだが、いわゆる“自由”を否定するからといって安易な運命決定論へと結びつけるのは愚かしいことである。

 すでにいったように、私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である。そういえば、誤解をまねくであろうが、こういったらわかってもらえるであろうか。私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わえるのだ。自己が居るべきところに居るという実感、宿命感とはそういったものである。それは、なにも大仰な悲劇性を意味しない。宿命などというものは、ごく単純なものだ。

 ワイルドがいっている。芝居ではハムレットがハムレットを演じ、ローゼンクランツがローゼンクランツを演じる。だが、この人生では、ローゼンクランツやギルデンスターンがハムレット役を演じさせられることがある。

 それは本人にとって苦しいことだ。それを、私たちは自由と教えられてきた。私たちは自由である。したがって幸福である。むりにそう思いこもうとする。これ以上の自己欺瞞はない。すべてを宿命と思いこむことによって、無為の口実を求めることも自己欺瞞なら、すべてが自由であるという仮想のもとに動きながら、つねに宿命の限界内に落ちこみ、なお自由であると思いこむことも、やはり自己欺瞞なのである。つまり、二つの錯覚がある。人生は自分の意志ではどうにもならぬという諦めと、人生を自分の意志によってどうにでも切り盛りできるという楽観と。老年の自己欺瞞と青年の自己欺瞞と、あるいは失敗者の自己欺瞞と成功者の自己欺瞞と。(本書、21~22頁)

 私は福田の文化ナショナリズム的な発言に必ずしも共感するわけではない。しかし、本書に人生論としての深みがあるのは間違いなく、折に触れて繰り返し読み返してきた愛読書のうちの一冊だ。現在は版元で品切れらしく入手が難しいのは残念である。

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2007年4月10日 (火)

「秒速5センチメートル」

 新海誠の作品で初めて観たのは「雲のむこう、約束の場所」(2004年)だった。実はストーリーはあまり覚えていない。ただ、映像のノスタルジックな美しさには胸にしみこんでくるような清々しさがあって、気持ちを強くひきつけられた。

 今回の「秒速5センチメートル」もやはり映像が詩的に美しい。「雲のむこう、約束の場所」でもそうだったが、とりわけ空の描き方が私は好きだ。時間に応じた色合いの微妙な感じを描き分けているばかりでなく、空間的な奥行きの広がりを感じさせる映像構成には息を呑む。そうかと思うと、たとえば電車の中、駅の待合室、切れかかった電灯のまたたきなど、何気ない一コマにも丁寧に目配りしており、日常のほのかな情感もたくみに描き出している。

 「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」と全三話、オムニバス形式のアニメーションである。テーマは“距離感”ということになるのだろうか。中学校に進学したばかりの頃、転校で離ればなれとなった二人が再会しようとジリジリした焦り。宇宙の彼方に視線をまっすぐに据えた青年と、そうした彼にあこがれのまなざしを向ける少女との、決して交わることのない二つの視線のすれ違い。社会人になって心がすり減らされた無気力感の中、ふとしたきっかけで過去の純粋な心情にはるか向けられた追憶のまなざし──。一つひとつをたどっていくとあまっちょろいが、そこは目をつぶろう。その時時の年齢に応じた戸惑いが登場人物のモノローグによって綴られるのだが、単なるセリフではなくリリカルな心情告白という形を取っている。

 とりわけ第三話、山崎まさよし「One More Time, One More Chance」が流れ、そこにめくるめくように転変する映像をシンクロさせながら、忘れかけていた様々な想いを振り返るあたりでは胸にグッときた。これは好きな曲だっただけになおさら強く迫ってくる。そう言えば、この曲を初めて知ったきっかけも映画で、篠原哲雄監督「月とキャベツ」(1996年)だった。リフレインのあたりなど映像との相性がとても良い。

【データ】
原作・脚本・監督:新海誠
音楽:天門、山崎まさよし
2007年/日本/カラー/60分
(2007年4月7日、渋谷、シネマライズにて)

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2007年4月 9日 (月)

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展・「イタリア・ルネサンスの版画」展

東京国立博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ──天才の実像」展

 レオナルド・ダ・ヴィンチについては研究書・解説書などあまた刊行されている。そうした中でも田中英道『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社学術文庫、1992年)が印象に残っている。この本では、レオナルドの各方面にわたる思索の跡が彼の芸術、とりわけ絵画にあらわれているとして、彼の遺した手稿を丹念に読み解いていく。アカデミックな評伝としての体裁と著者自身の思い入れとが良い形でかみ合っており、読み応えがあった。

 東京国立博物館でいま開催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチ──天才の実像」展でもやはりレオナルドの手稿の扱いがメインとなっている。こちらでは彼の自然科学的な探求に焦点が当てられており、田中英道による評伝とはまた違ったイメージが浮かび上がって興味深い。

 たとえば、人体のスケッチ、物理現象についてのメモなどが多数展示されている。物の形態にしても、動きにしても、そこに一貫して作用している法則を彼は導き出そうとしていたことが分かる。こうして把握された法則をもとに、リアリスティックでかつ豊かな表情を見せる芸術表現が生み出された。今回の展示で一番の目玉は「受胎告知」のオリジナルが来ていることだが、この有名な絵画を成り立たせている要素を分解して遠近法の鮮やかな応用を観客に示すことにも力が注がれている。

 こうした自然界の法則を発展的に応用して、現実には存在しない有翼人物を描き出したり、バネ仕掛けのライオンを作ったり、人力飛行機や永久機関を試してみたりと、イマジネーションを広げていく様子が魅力的だ。レオナルドの模索した筋道が観客にもたどれるよう展示に工夫がこらされており、とても楽しかった。(~6月17日(日)まで開催)

国立西洋美術館「イタリア・ルネサンスの版画──ルネサンス美術を広めたニュー・メディア」展

 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展はおもしろいだけに評判も高い。それだけに、日曜日に行ったせいもあろうが、混み具合が尋常ではなかった。会場から出てきた頃には疲れてヘトヘト。上野駅に向かう途中、国立西洋美術館の前を通りかかると「イタリア・ルネサンスの版画──ルネサンス美術を広めたニュー・メディア」展をやっていた。入ってみると、こちらはガラガラ。じっくり展示品を観ていると気持ちが落ち着いてきて、疲れも癒えた。時代的にも重なるわけだし、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展で疲れた方々には是非こちらにも寄ることをおすすめしたい。

 交通手段の限られた時代、遠隔地まで一つ一つの美術作品を見に行くことは困難である。そこで、多くの人に作品を見てもらうため、版画というジャンルがさかんになった。版画の流通により、別の作者が構図や人物のポーズを真似ることが普通に行なわれた。それを“影響”と考えればいいが、トラブルもおこった。たとえば、デューラーはイタリアを訪れたとき、自分の作品が勝手に複製されて流通しているのを見て差し止めの訴訟をおこしたらしい。展示は地味ではあるが、版画という視点からルネサンス期の一側面が垣間見えてくるのが興味深い。(~5月6日(日)まで開催)

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2007年4月 8日 (日)

「檸檬のころ」

「檸檬のころ」

 多感な高校生の頃、ほのかに秘めた気持ちのゆらめきを描いた映画が私は意外と嫌いではない。あまっちょろいと言われるかもしれない。そもそも私自身、斜に構えてケチをつけようとする癖があるので、こうした作品を観ながら気恥ずかしいこそばゆさに体がムズムズすることもある。が、そのこそばゆさもひっくるめて快い。高校生活に思い残したわだかまりを心の奥底で引きずっているのか。あるいは、今では薄れてしまった純粋な心情を蘇らせたいという願望があるのか。

 ここで注意しておくが、高校青春もの全般が好きと言っているのではない。感覚的なものなので線引きが難しい。たとえば、アットランダムにだけれど、石川寛監督「好きだ、」(2006年)、安藤尋監督「blue」(2003年)、古厩智之監督「この窓は君のもの」(1995年)、本来はテレビ用アニメだがスタジオジブリ製作の「海がきこえる」(1993年)といったあたりを思い浮かべる。こう書きながら、いずれも東京ではなく地方を舞台にしていることに気づいた。今回観てきた「檸檬のころ」もまたそうである。

 栃木県のローカル線沿いにある高校が舞台。ブラスバンドで指揮をする秋元(榮倉奈々)は野球部の佐々木(柄本祐)と付き合い始めるが、同じく野球部で幼なじみの西(石田法嗣)の視線が気まずい。将来は音楽ライターになろうと夢を描いている白田(谷村美月)はクラスの誰とも関わりを持たず自分ひとりの世界に閉じこもっていたが、バンドをやっている辻本(林直次郎)とふとしたきっかけで話がはずみ、彼への想いに目覚める。こうした5人が大学受験をひかえた日々に感じた戸惑い。そこに、それぞれの立場でケリをつけて自分なりの方向を見出していく姿を描く。

 榮倉奈々は、そのスラリとした立ち姿に清潔感のある魅力があって、控えめな優等生らしい雰囲気をよく出していた。ただし、少々影が薄い。彼女の知名度は割合と高いからだろう、榮倉が主役扱いとなっているが、むしろ谷村美月の方が存在感が強かった。自分の世界を追求して突っ走るかと思うと急に落ち込んだり、そうした素っ頓狂な役柄が、かえってかわいらしく感じられた。谷村演ずる白田に、タイプは違うのだが高校時代の私自身の一側面を投影して感情移入しているのかもしれない。

【データ】
監督・脚本:岩田ユキ
原作:豊島ミホ(幻冬舎、2005年、私は未読)
2007年/ゼアリズエンタープライズ/115分
(2007年4月7日、渋谷、シネアミューズにて)

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2007年4月 7日 (土)

「ボビー」

「ボビー」

 1968年、ジョンソン大統領の不出馬宣言を受けて民主党は予備選挙の真っ最中にあった。ロバート・ケネディはカリフォルニア州を制し、大統領の座へと一歩近づいたかに見えた。しかし、その夜、兄同様に凶弾に倒れてしまう。この映画は、ロバート・ケネディ暗殺の現場に居合わせて巻き添えを食った人々に焦点を当て、運命の夜までにそれぞれがたどった数日間を描き出した群像劇である。

 ヴェトナムの影におびえLSDに逃避する若者たち。ヴェトナム送りを免れるために偽装結婚するカップル。過酷な労働条件にあえぐヒスパニックの移民。株でもうけた大金持ちと芸術家気取りのその妻。進歩派気取りだが思考形態は封建的そのもののホテル支配人。黒人への偏見と闘う民主党の黒人スタッフetc.人種も出身階層も様々な人々の織り成す人生ドラマを垣間見ることで、ヴェトナム戦争期にアメリカが抱えていた矛盾を浮かび上がらせる。

 ケネディ神話はいまだに健在なのだなあというのがこの映画を観ての第一印象である。それ以上に深い感懐は覚えなかった。ケネディ兄弟がアメリカ政治に大きなインパクトを与えたことは事実だし、そこに見果てぬアメリカン・ドリームを重ね合わたくなる気持ちも分からないではない。しかし、こうまで伝説化されたケネディ像を押し付けられると少々辟易してしまう。たとえば、この映画の撮影部分ではロバート・ケネディは後姿しか出てこない。何となくイエス・キリストの生涯を描いた古い宗教映画を連想した。もちろん、実写映像と組み合わせているので整合性を慮ったのだとは思う。しかし、そうした実写へのこだわりも含めて、神話化への衝動にはあまり感心しない。

【データ】
原題:BOBBY
監督・脚本:エミリオ・エステヴァス
出演:アンソニー・ホプキンス、デミ・ムーア、シャロン・ストーン、マーティン・シーン、イライジャ・ウッド他
アメリカ/2006年/120分
(2007年4月7日、渋谷、アミューズCQNにて)

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2007年4月 6日 (金)

島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』

島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房、2007年)

 私は中沢新一、島田裕巳のどちらに対しても特に悪意は持っていない。本書を読む前からも、読んだ後も。島田が展開する中沢批判を理解しつつも、同時に中沢への興味がむしろ強まっていくという奇妙な読み方を私はしていた。島田なりに中沢の思想を整理するのを見ながら、何やらデモーニッシュに怪しい魅力が中沢にはあることをかえって印象付けられたからだ。

 実のところ、私は中沢のあまり良い読者ではなかった。最近では『精霊の王』(講談社、2003年)や『アースダイバー』(講談社、2005年)を興味深く読んだものの、他の著作ではたいてい途中で脱落してしまう。彼の晦渋でまわりくどい言い回しで示されたイメージにひかれつつも、どこか感性が違うせいか、読みながら気分がのらないのだ。それでも気になるという微妙な距離感があった。

 中沢という人にはちょっと不思議な印象を以前から持っていた。感覚の深みを鋭く見つめているように思って感心したこともあれば、逆に何と陳腐なことを言っているのかとあきれたり。その落差というか、振幅の激しさそのものに興味がわいていた。島田は中沢についてこう指摘する。中沢は宗教学者ではなく、いまだにチベット密教の修行者の世界から抜け出していないこと。誤解をおそれて相手に応じて発言のニュアンスを変えていること。彼をどう評価したらいいのか戸惑った印象からも私は納得できるように感じた。

 島田の批判は、必ずしも中沢を標的にしなくとも成り立つように思われる。たとえば、『虹の階梯』(私は未読。平河出版社、1981年。中公文庫、1993年)で中沢が描き出したヴィジョンを俎上にあげている。中沢はヴィジョンだけを示して、そこに至る方法論は書かなかった。その方法論を修行という形で麻原が編み出した。だから、オウム真理教に信者が集まった、という。しかし、そうしたヴィジョンにひかれる人々がそもそも潜在的にいたわけだ。彼らは『虹の階梯』がなくても別の形で同じものを求めたのではないか。

 本書で核心をなす議論は“霊的革命”と“リセット願望”とのつながりを指摘したあたりにある。現実の世界を変革すべきもの、否定すべきものと捉え、その忌むべき現実世界を破壊するカタルシス──。中沢が示したそうした傍観者的に身勝手な破壊願望に、テロを正当化する危うさを島田は見出している。

 “リセット願望”は私にとって他人事ではない。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と大惨事が立て続けに起こる中、私はまだ学生だった。友人との雑談で、「こんなことおおっぴらには言えないけど、今度は何が起こるんだろうって期待感があるよね」と互いに話し合ったのを覚えている。あるいは9・11のとき、「アメリカ、ざまーみろ!」と身が震えたことも思い出す。

 無論、良識的な立場からは間違った態度であることは重々承知していた。だから、人前でこんな発言をすることには後ろめたさがあった。しかし、こうした感覚が理屈以前にわきおこったことも事実なのである。島田の言う傍観者的で身勝手な“リセット願望”は、中沢に限らず、オウムに限らず、そして私自身にも限らず、多くの人々が心中に感じたのではないか、ただポリティカルな配慮から軽々しく口には出さなかっただけなのではないか、そうした疑いを抑えられない。

 島田の議論はポイントをきちんとおさえていると思う。ただしそれは、中沢個人に責任を帰している点においてではない。中沢個人なんて別にたいした問題ではない。我々の社会の抱える問題、とりわけ安定しているかのように見える社会が内包したニヒリスティックな破壊衝動、そこを中沢をたたき台にして照射しようとしている点で真摯な問題提起を試みているものと私は受け止めている。

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2007年4月 4日 (水)

梅佳代『うめめ』

 昼休み、職場を抜け出してよく行く書店がある。ここは美術書のスペースがきちんと確保されているのでお気に入り。大型書店ほど量は多くないが、とりわけ写真集の棚がセレクトされた上で質的に充実しているので見やすい。

 私はカメラに関しては素人でよく分からないのだが、写真集を眺めるのは楽しい。ただし、それなりに値段がはるので気軽には買えない。面白そうなのがあっても衝動買いはできるだけセーブし、ここに通って何回か立ち見を繰り返しながら、ふと気持ちがその本とシンクロした時に買う(と言いつつも、植田正治の写真を再編集した『吹き抜ける風』(求龍堂、2006年)が新刊として出ているのを見かけた時には即決でレジに向かったが)。

 さて、お題に掲げた梅佳代『うめめ』(リトルモア、2006年)。出た当初から何となく面白そうだと思ってパラパラめくっていたし、木村伊兵衛賞を受賞したのも知っていた。しかし、買ったのはつい先週のこと。決め手は2枚の写真。

 一枚は、夏祭りの時であろうか、手にシャボン玉を浮かべた幼稚園くらいの女の子。特にかわいい顔立ちをしているわけではないが、首をかしげた笑顔が健康的にコケティッシュな良い感じで、つい見入ってしまった(断っておくが、私はロリコンではない)。

 もう一枚は、デパートの屋上、戦隊ものヒーロー、サイン会でのワンシーン。会議室用長机の前に背筋をピンとのばして座る着ぐるみのヒーロー(何という名前なのかは知らない)が、サインペンをしっかりにぎり、次のお客さんを待っている。デパート屋上のものさびれた雰囲気を思い浮かべて、やけに姿勢の良い戦隊ヒーローとのキッチュな取り合わせが妙におかしい。思わず吹き出してしまった。一人で笑っていると不審がられるので買おうと決断した次第。

 とにもかくにも、この『うめめ』、よくこんなシャッターチャンスを逃さなかったものだと感心する。別に大げさなものではない。ほほ笑ましいと言おうか、くすぐったいように笑える。

 木村伊兵衛賞を『うめめ』と同時受賞した本城直季『small planet』(リトルモア、2006年)も実際の風景をミニチュア模型のように撮るというアイディアは面白いが、それはど興味は引かれなかった。ここしばらくずっと気にかかっているのが中野正貴『TOKYO NOBODY』(リトルモア、2000年)。刊行されてからもう7年経つが、いまだに面陳されている。奥付をみるとすでに8刷。お正月やお盆の早朝だろうか、人間の誰もいない東京の各地を撮りためた写真集。よく見知っているはずの風景が違った容貌を見せており、その微妙な違和感が良い。手元に置いておきたいと思ってはいるのだが、なかなか買おうというインスピレーションがわかない。なぜなのか、我ながらよく分からない。いずれ買うだろうとは思うのだが。

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2007年4月 2日 (月)

「さくらん」

「さくらん」

 吉原の遊女を主人公とした時代ものという心づもりで観に行くと腰をぬかすだろう。蜷川実花の撮る写真は目にどぎついまでにカラフルな鮮やかさが強く印象に残っていた。そうした彼女の色彩感覚にそのまま動きを持たせたのがこの映画である。安野モヨコの原作を私は知らない。蜷川実花の映画初挑戦ということでカラフルな映像絵巻が繰り広げられるだろうと見当はついていたものの、吉原のお話ならストーリーはどう工夫してもまったりした感じになるのだろうと思っていた。ところが、蜷川の映像に椎名林檎の激しいリズムが重なって実にきらびやか。退屈はしない。これは時代劇ではないので、その点お間違いのないように。

 主演の土屋アンナは、私には「下妻物語」でのヤンキー役の印象が強くこびりついているのだが、「さくらん」でもキャラクターがあまり変わらない。メーキャップするとパッチリと大きく見ひらいた目が際立ち、安野モヨコの作品にそのまま出てきそう。花魁にしては異形の相だけど、それだけに存在感が強い。菅野美穂や木村佳乃も上玉の役柄で登場するが、その割には地味で華がない。土屋の引き立て役か?

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「蟲師」

「蟲師」

 人にとりついた蟲(ウィルスのように自然界のあちこちにうごめく物の怪のような存在と言えばいいのだろうか?)を払うことをなりわいとする蟲師のギンコ(オダギリ・ジョー)は旅を続けている。彼は自分自身の素性を知らない。ある日、昔なじみの淡幽(蒼井優)からすぐ来て欲しいとの連絡を受けた。行ってみると彼女は倒れていた。淡幽は蟲の記録をとり続けているのだが、訪ねてきた老女の蟲師から聞いた話を筆記しているうちに何やら異常が起こった様子。実はその老女の話にはギンコの失われた記憶の秘密が隠されているのだが…。

 大友克洋が初めて実写に取り組んだ作品。華々しい蟲退治のシーンでもあるのかと思っていたら、意外に落ち着いたトーンで一貫していた。漆原友紀の原作を私は知らないのだが、設定を理解するのに時間がかかったせいかストーリーの成り行きがいまいちのみこめないままだった。前半部分、ギンコが蟲払いを行なうシーンと、ぬい(江角マキコ)と少年との出会いのエピソードとが交互に出てくるので、てっきり同時進行している話題が後で一つになるのかと思っていたら、時間的な前後関係になっていた。前知識を持っていた方が楽しめるだろう。

 映像が二つの点でよく出来ている。一つ目は、蟲の描き方。蟲が自然界に溶け込んでうごめいている様子がCGの効果で違和感なく描写されていた。二つ目は、木々の豊かな風景。「電気の明かりが増えてきたな」というセリフがあるので時代設定は明治初期なのだろうが、日本の近代化する以前の暗がりと木々の青さとが非常に印象的だった。こうした映像づくりのおかげで、怪しのものが日常にとけこんでいる雰囲気がよく出ている。

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2007年4月 1日 (日)

「不都合な真実」

 アメリカ発で異例なほどヒットしたドキュメンタリー映画としてはマイケル・ムーア「華氏911」を思い浮かべる。ノリがよくて確かに小気味よくみられた。しかし、ブッシュ政権批判というよりも人身攻撃に近い悪ふざけが目立つ。ドキュメンタリー映画として守るべき一線を越えて、単なるアジテーションに過ぎない。ブッシュ政権に何らシンパシーを感じていない私でも不快な後味の悪さが残った。こんなトンデモ映画がなぜ日本でももてはやされるのか理解に苦しんだ(と言いつつ、一部の情緒的反米知識層の存在がうすうす感じられたが)。

 今度はゴアである。やはり民主党系である。あまり気は進まなかったのだが、私は話題になった映画はできるだけチェックするよう心がけている。そろそろ上映期間も終わりそうなので重い腰を上げた。

 結論から言うと、意外によくできていた。観て決して損はしない映画だと思う。私が今さら言うことでもないが、地球温暖化をテーマとした啓蒙映画である。データを示したグラフや実際に環境が変化しつつある映像で迫られると、否応なしにその説得力に圧倒されてしまう。地球温暖化と言っても氷河期以来の周期的なものではないかという説もあることを半端な知識として知っていたが、グラフの異常な伸びを突きつけられてあえなく粉砕された。

 観客を飽きさせないためには物語が必要である。データや映像だけでも十分質の高いドキュメンタリー映画はできるが、見慣れていない観客は退屈してしまう。そうならないためには、誰か主人公をフィーチャーして、その人物のライフストーリーと重ね合わせるのも一つのやり方だ。この映画にはゴアのプロモーション映画という雰囲気があって、ひょっとすると次の大統領選をにらんでいるのかなとも疑わせる。しかし、その点は割り引いた上で、政治ネタを織り込みながら工夫したのだと私は肯定的に受け止めている。

 ゴアの好き嫌いは別として、一つのライフワークを持っている政治家にはやはり敬意は抱く。それにしても、アメリカの政治家というのはプレゼンが実にうまい。一般の人々に迎合しすぎず、高飛車にもならず、環境問題の啓蒙活動を行なう姿がさまになっていた。

【データ】
原題:An Inconvenient Truth
監督:デイビス・グッゲンハイム
出演:アル・ゴア
アメリカ/2006年/96分

(2007年3月31日、日比谷・みゆき座にて)

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