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2007年3月27日 (火)

ベネディクト・アンダーソン講演「ナショナリズムのゆくえ」

 ベネディクト・アンダーソンが慶應大学の三田キャンパスで講演を行なった。『想像の共同体』(邦訳・増補版、NTT出版、1997年)はすでに政治学の古典として定評を受けている。一昨年に翻訳の出た『比較の亡霊』(邦訳、作品社、2005年)を途中まで読んでほったらかしていたのを思い出し、講演を聴く前に読破してやろうと思い立ったのだが、約600ページという浩瀚なボリュームのハードルはなかなか高い。こちらは気長に読むことにして、とりあえず聴きに行った。

 タイトルは「ナショナリズムのゆくえ」(“Can Nationalism Still Change?”)。近代におけるナショナリズムの位置づけを歴史的な観点から大きく捉えかえしながら、現在の動向を探るという趣旨である。質的にも構成としてもさすがに充実した内容で、テープ起こしすればそれなりの本になりそうだ。慶應義塾大学出版会から連続講演会の記録がよく出されているから、そういう形で出版されるのだろうな。

 アンダーソンはナショナリズムの展開を三段階に分けて把握している。第一段階は、18~19世紀にかけてアメリカ大陸で湧き上がった独立運動。いわゆるアメリカ独立戦争(独立宣言は1776年)だけでなくラテンアメリカ諸国の動向も世界史的には重要である。いずれも君主政の廃止、共和政の確立を目指した点に特徴を求めていた。

 第二段階が19世紀のヨーロッパ(オスマン帝国支配地域も含む)。この段階では、大国に抑圧されているという自意識を持った人々が自分たちの文化を見つめなおし、ある意味でロマンティシズムとも言うべき高揚感を伴った点に特徴がある。

 第三段階は第二次世界大戦後の反植民地闘争である。植民地支配を受けた人々が、そのまさに支配を受けていた植民地行政の枠組みをもとに人工的にナショナリズムを組み立てたというもがきは『想像の共同体』で指摘されている通りである。

 こうしたナショナリズムの捉え方にはそれほどの新味は感じなかったが、女性解放やマイノリティーの位置づけというテーマとの関わりに目を配りながら話を進めていたのが印象に残った。たとえば、ゲイやレズが社会的に許容されつつあることを取り上げ、これには女性参政権の実現と同じロジックがあると指摘する。つまり、同じアメリカ人なのだから女性にも参政権をあげるべきだ。同様に、ゲイやレズであっても、同じアメリカ人なのだから異なる扱いをしてはいけない、という感じに。

 今回の講演では“ポータブル・ナショナリズム”というキーワードを出してきたのがおもしろい。インターネットなど通信メディアの技術的な向上が、異郷に移住した人々にもたらす影響を次のように論じていた。かつては移住先のメディアを通して情報にアクセスするしかなかったので、その地へ同化するきっかけとなった。ところが、現在ではネットを通して四六時中どこにもアクセスできるようになった。生れた国の情報も容易に入手できるので移住先への同化を促す圧力は弱まっている。その結果として、移住先でのアイデンティティーと生国とのつながりを維持したアイデンティティーとが切り離された形で両立される。どこにも持ち運び可能なナショナル・アイデンティティー、すなわち“ポータブル・ナショナリズム”である。

 アンダーソン自身はこのような事態にあまり好意的ではないような口ぶりだったが、いずれにせよ越境のしやすさとナショナリズムというテーマが彼の現在の主要関心事のように窺われた。『想像の共同体』では出版とナショナリズムとの関係が論じられていたが、メディアの技術的進歩を踏まえてさらに深めた議論をこれから展開しそうで興味深い。

 この講演会は「変わりゆくナショナリズムとアジア」という連続講演会の二日目。慶應義塾創立150周年記念事業の一環らしい。アンダーソンの講演に先立ち朝鮮半島研究の小此木政夫がスピーチしていた。福沢諭吉の脱亜論で言うアジアとは地理的観念ではなくあくまでも古い体制のシンボルとしての意味で、金玉均や兪吉濬たちを援助したことからも分かるように近代化をすすめた上でのアジアの連帯をむしろ彼は考えていた、と福沢擁護の論陣を張ったのもご愛嬌。会場は満遍なく埋まっていた。私がこの大学に通っていた頃には無味乾燥にだだっ広い階段教室だったが、最近改装されたらしく、いかにも大ホールらしい雰囲気になっていたのは少し驚いた。
(2007年3月27日、慶應義塾大学三田キャンパスにて)

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