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2007年3月14日 (水)

近衛文麿『戦後欧米見聞録』

近衛文麿『戦後欧米見聞録』(中公文庫、改版、2006年)

 第一次世界大戦の戦後処理のため開催されたパリ講和会議に出席する全権大使・西園寺公望一行の中に若き日の近衛文麿の姿があった。本書には、講和会議のかたわら欧米各地を見て回りながら彼の見たこと、感じたことが率直に綴られている。人物や風景の描写がなかなか巧みで、意外と読ませるのには少し驚いた。

 彼はヨーロッパ各地の名所旧跡をめぐりながらも、そこかしこに戦禍の傷跡を見出した。ランスの大聖堂を見ても、ここが有数の激戦地であったことに思いを馳せる。ブリュッセルでは国際法の大家・デカン男爵に会い、彼の家族が大戦で惨殺されたことを聞いて言葉をつまらせる。こうした見聞を踏まえて、このたび国際連盟が結成されることは一つの必然であるとまで言う。

 しかし、講和会議の議場に戻って近衛が目の当たりにしたのはもう一つの現実であった。彼はウィルソンの理想主義には賛辞をおくりながらも、やはり力の支配という鉄則は今なお厳然として存在すると指摘する。イギリスは植民地の代表を会議に参加させない。講和会議には二十ヶ国以上が集まりながら、実質的には五大国ですべてが決められ、他の国はその決定に同意する以外には何もできない。

 近衛は講和会議について他にもいくつか的確な見解を示している。プロの外交官の時代から、公開外交の時代に変わっており、何よりもプロパガンダが大きな役割を果たすこと。日本はこれが下手で他国に遅れを取っている。これからの外交官には政治家としての見識も必要になること。日本の利害に直接関わることについては積極的に発言するが、世界全体のレベルでの問題への知識も関心もないため、利己一点張りの国だと言われていることなど、講和会議への分析を簡潔にまとめている。

 また、イギリスに行った折には次のような観察をしている。ロイド=ジョージ首相は戦勝の勢いに乗って議会を解散し、大勝した。しかし、一時の興奮状態で出来上がった議会構成は国民輿論の真意を代表しているわけではない、必ずゆりもどしがあるであろう、冷静沈着なイギリス人らしくないと批判する。また、ジョージ王と民衆との良好で密接な関係を指摘して、こうした立憲君主制を模範とすべきだとも言っている。彼が理想とする議会政治のあり方が窺われて興味深い。

 本書はまず1920年に外交時報社出版部から刊行され、1981年には近衛の娘婿で秘書を務めた細川護貞による解説付きで中公文庫に収められた。2006年の改版時にフランス文学者の鹿島茂が寄せたエッセーがさらに付け加えられている。

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