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2007年3月23日 (金)

「善き人のためのソナタ」

 十年くらい前だったろうか、タイトルはうろ覚えだがNHKスペシャルで放映された「ハンスとヨーナス」(?)という番組がいまだに印象に残っている。旧東ドイツで反体制運動に関わっていた夫妻と家族ぐるみの付き合いをしていた女性。夫妻が当局に連行されて不在の時には、その息子の面倒をみていた。子供からは母親同然に慕われていたほどの仲だ。ところが、東西ドイツ統一後に公開されたシュタージ(旧東ドイツの国家保安省)のファイルを閲覧したところ、実は彼女はシュタージの協力者で、夫妻の行動を詳しく密告していたことが判明した。後悔して涙ぐむ彼女の表情を追うというドキュメンタリーであった。

 裏切りなんてのは世の常で、ことさらシュタージ体制と絡めて言挙げする必要はない。ただ、この体制からほの見えてくる人々の葛藤はどこか異質なものに感じられた。相手への友情、愛情は確かにある。その気持ち自体に嘘偽りはないのだが、それが密告という行為としての裏切りと矛盾したままに溶け込んだ日常生活を彼らは送っていた。そんなことが本当にあり得るのかという驚きがあった。

 この番組を見たのとちょうど同じ頃、西尾幹二『全体主義の呪い』(新潮選書、1993年)を読んだ。この本でもシュタージ体制が大きく取り上げられていたが、反体制活動家の子弟が最もスパイに適しているという指摘が目を引いた。家庭では国家体制の誤りについて親が語るのを聞いている。しかし、学校ではそんなことおくびにも出せない。矛盾した二つの顔を使い分ける習慣が幼い頃から身についているため、偽装工作が自然な感じにできるようになる。そうしたメンタリティーに目をつけてシュタージは積極的にスカウトしたらしい。

 いずれにせよ、内面と建前との矛盾が当たり前なのが旧共産圏の日常生活であった。極めてストレスフルでやり切れなかったことだろう。「善き人のためのソナタ」で、劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)は東ドイツの体制を告発する文章を西側に公表する。その中で共産圏における自殺率の高さを指摘しているが、それもむべなるかなと思う。

 ドライマンの脚本による劇が上演された夜のパーティーに国家保安大臣も来ていた。主演女優でドライマンの恋人であるクリスタ(マルティナ・ゲデック)の美しさに目をつけた大臣は、ドライマンをマークして反体制活動の証拠を見つけ出せと部下に命令を下す。これを受けて監視活動を担当することになったベテランのヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)。職務に忠実な“職人肌”の彼だが、ドライマンたちの交わす会話を盗聴しているうちに、彼自身の気持ちも徐々に変化しはじめる。

 厳格な体制の監視網に絡め取られてしまった時、そこから脱け出す自由は“自殺”という方法でしかあり得ないのだろうか? この映画ではいくつかのタイプの“自殺”が描かれている。

 一つ目は、ドライマンが私淑する演出家のイェルスカ。彼は自分の作品が発表できないという絶望の果てに自殺してしまった。ドライマンが彼から受け取った楽譜「善き人のためのソナタ」が邦題の由来である。

 二つ目はクリスタ。身分を隠したヴィースラーから忠告を受けて彼女は大臣の脅しをいったんははねつけた。当然ながら大臣の逆鱗に触れる。彼女は逮捕され、尋問を受けた結果、ドライマンを裏切らざるを得なくなる。ヴィースラーが細工してうまく図ろうとしていたのだが、それを知らない彼女は自ら死を選んだ。メロドラマ的な観点からは、恋人と権力者の狭間に引き裂かれたという古典的なパターンとも言えるだろうが、ここには同時に東ドイツ国民が等しく背負っていた矛盾が込められていることも見て取る必要があろう。

 そして三つ目が、この映画の主人公であるヴィースラー大尉。彼は本来、与えられた任務について価値判断は一切行なわず、自らの感情を押し殺してただひたすら職務に専念するというタイプの典型例である。ハンナ・アレントが“悪の陳腐さ”と表現した意味でのアイヒマン的な人物であったと言える。ところが、シュタージ体制の歯車に徹しなければならないにも拘わらず、彼には“感情”というノイズが発生してしまった。この時点で役人としては自殺に等しい。いつしかドライマンをかばって肝心な所で嘘を交えた報告書を上げるようになる。整合性が保たれていたとしてもそのまま気づかれないほどシュタージはあまくない。クリスタの一件をきっかけとして彼の役人としての人生も終った。

 原題は〟Das Leben der Anderen〝で、直訳すれば「他人の生活」。シュタージの監視者からは“奴らの生活”というニュアンスになるのだろうか。ヴィースラーの立場から深読みするなら、彼自身が思いがけずも見出した“もう一つ別の人生”という意味に取れるかもしれない。

 ドナースマルク監督はまだ33歳の若さだが、シュタージ文書の調査や関係者のインタビューは丹念に行なったという。フィクションではあるが、細部に至るまでのリアリティーには目をみはる。それは映像だけでなく、登場人物の気持ちの揺れまでよく描かれており感心した。寡黙で何を考えているのか分かりづらいヴィースラー大尉、その難しい表情を演じる主演俳優ミューエのしぶい感じも良い。彼自身も旧東ドイツの出身だが、やはり監視対象となっており、二十年にわたって夫人から密告されていたらしい。

【データ】
原題:Das Leben der Anderen
監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
2006年/ドイツ/138分
(2007年3月21日、シネマライズにて)

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