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2007年3月30日 (金)

こうの史代『夕凪の街 桜の国』

こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)

 桜の花がひらきはじめた。見ながら、何とはなしにこの作品を思い出し、本棚から引っ張り出して読み直した。

 原爆投下より十年後、掘っ立て小屋の並ぶ広島の街並みから物語が始まる。被爆後、しばらくは健康そうでも急に倒れ、血を吐いて死んでしまうことがある。姉がそのように死んでいったのを目の当たりした皆実はやがて自分にも同じ運命が降りかかるであろうと薄々感じている。何よりも、被爆直後の惨状が忘れられない。自分は本来生きてちゃいけない人間なんだ、という後ろめたさをずっと引きずっていた。

 世の中は順調に復興しつつある。その中で、原爆の影がいつまでも日常生活に忍び込んでいる不安な日々。そうしたある家族の戦後と現代の姿を描いた作品である。井伏鱒二『黒い雨』でもそうだったが、原爆症を遺伝と結びつけて考える向きもあるため、とりわけ結婚の時に差別的な態度にぶつかってしまうことがある。この作品では被爆者に対する差別は描かれていないが、皆実自身や、弟が結婚しようとしたやはり被爆者である京の消極的な態度、あるいは舞台が現代に変わっても、孫のぜんそくが原爆症によるのではないかと心配する祖母の苛立ちという形で、原爆の影を引きずっている様子が垣間見える。

 私は“反戦平和”というテーマを大々的に打ち出した作品がどうにも好きになれない。もちろん、異議を唱えるつもりはない。ただ、一つの“正義”に転化してしまうことで、本来抱えていたはずの悲しみから主張だけが切り離され、上滑りに独り歩きを始めてしまう。その時の押し付けがましさがたまらなくうさんくさい。

 しかし、この作品にはそうしたイヤな印象がない。とりわけ絵柄のほんわりとしたタッチが好きだ。深刻な話でも、見ていてホッとするようなやわらかさがある。言葉で書くと堅くなってしまいかねないところをしっとりと解きほぐしてくれる。そのおかけで、登場人物それぞれの抱えた悲しみが、声高にではなく、静かに胸にしみこんでくるような感じがした。

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