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2007年3月19日 (月)

劉岸偉『東洋人の悲哀──周作人と日本』

劉岸偉『東洋人の悲哀──周作人と日本』(河出書房新社、1991年)

 学生の頃、益井康一『漢奸裁判史』(みすず書房、1977年)という本をたまたま図書館で見つけて読んだことがあった。“漢奸”とは漢民族への裏切り者のこと。具体的には日本への協力者を指す。汪兆銘や周仏海らと共に周作人(1885~1967年)の名前もあがっていた。周作人といえば、あの魯迅(本名・周樹人、1881~1936年)の弟で、彼もまた文学者として活躍していたことくらいは知っていた。中国近代文学における第一人者の弟が“漢奸”として指弾され、正史からほぼ抹殺されたに近い扱いを受けていることに漠然と興味を抱き、その頃から頭にひっかかっていた。

 魯迅が東北大学の医学部に留学したものの、まず中国の精神の医者にならねばならないと志を立てたことは有名な話である。兄より四年ほど遅れて日本に留学(1906~1911年)した周作人は初めから文学の勉強を始めた。兄の社会派的な問題意識に対し、弟が内向的で人生論的な希求が目立ったという気質の違いが興味深い。周作人は西洋文学(特にギリシア神話に関心を示したらしい)を勉強したほか、日本の文学者と交流を深めた。

 1911年に中国へ帰国したが、折りしも辛亥革命が勃発。清朝は倒れ、中華民国が成立した。その後、実権を握った袁世凱が独裁体制をしくなど社会的な混乱が続く中、魯迅や陳独秀、胡適らを中心に新たな文学・思想運動が進められた。北京大学の教授となっていた周作人も加わり、『新青年』に西洋や日本の文学の翻訳を掲載するなど旺盛な執筆活動を行なった。とりわけ白樺派の紹介に意を注ぎ、その頃の彼にはヒューマニスティックな理想主義が色濃かったことがうかがわれる。ところが、相も変らず混乱した情勢に幻滅した彼は社会の表舞台に背を向け、内面の世界に沈潜するようになった。

 本書の特徴は、日本文学の動向と双生児的な戸惑いが周作人にも見え隠れするとして、比較文学の観点から彼と永井荷風とに共通点を見出そうとしているところにある。周作人は荷風を愛読していたが、時世に背を向け江戸趣味に韜晦したあたりにひかれたらしい。周作人は、理想への幻滅から、主観的な意味で“真実”として迫ってくる感情の流出に重きを置くようになった。対世間的には隠遁を選び、文学の表現形式としては小説でも評論でもなく、“戯作者”精神をもった随筆に居場所を求めた。“漢奸”という政治論的なバイアスで周作人のイメージが頭にこびりついていたので、こうした形で彼の内面を文化史的なコンテクストに位置づけるという研究は非常に新鮮に感じられた。

 本書はもともと日中比較文化論の博士論文として執筆されたものであるため、このテーマとの関わり以外には周作人の伝記的な詳細に触れられていない。彼の内面的な葛藤と当時の時代背景とをバランスよくまとめた評伝があれば是非とも読んでみたい。

 なお、蛇足ながら。魯迅は1936年にこの世を去っている。歴史にifを言うのは無意味だろうが、彼が長生きをして戦後の中華人民共和国の体制を目の当たりにしていたらどうなったろうか? 魯迅が社会批判で示した鋭いメスさばきが共産党の支配に素直に従ったとは到底思えない。弟とは違った形で彼もまた悲劇を迎えたかもしれない。

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