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2007年3月13日 (火)

加藤九祚『天の蛇──ニコライ・ネフスキーの生涯』

加藤九祚(かとう・きゅうぞう)『天の蛇──ニコライ・ネフスキーの生涯』(河出書房新社、1976年)

 ニコライ・ネフスキー(1892~1938)の論文が『月と不死』というタイトルで平凡社の東洋文庫に収められていることは知っていたが、私はまだ読んだことがなかった。そのさわりが本書『天の蛇』に引用されている。日本語としてこなれているというレベルをはるかに超えて、詩的に情感が流れるような美しい文章であった。

 ネフスキーはロシアの帝政末期、ペテルブルク大学東洋語学部を卒業し、官費留学生として1915年に日本へ派遣された。柳田國男、折口信夫、金田一京助をはじめ多くの日本人学者たちと交流しながら民俗学の研究を行なう。とりわけ、飲めば若返るといわれる変若水(おちみず)の伝承を取り上げて月の信仰と不老不死とのつながりを論じた「月と不死」が知られている。また、言語学的な関心も強く、アイヌ語や宮古島方言について論文を発表しているほか、中央アジアの失われた言語・西夏語の研究にも精力的に取り組んだ。

 日本にいる間にロシアでは革命がおこり、国情はすっかり変わってしまった。ネフスキーは日本で結婚して子供もいる。だが、西夏語の資料はロシアが最も充実している。西夏語研究への情熱はやみがたく、彼は帰国を決意した。

 母国でネフスキーを待ち受けていた運命は過酷であった。帰国したのは1929年。すでにスターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れているばかりでなく、ソ連と日本は緊張関係にあった。日本から帰国したばかりのネフスキーに対する風当たりは厳しい。西夏語研究への情熱だけを拠り所としていたが、1937年、ついに秘密警察がやって来て収容所に送られた。連行されるとき、柳田國男の『遠野物語』をカバンに詰め込んだという。日本からついて来たイソ夫人もやがて逮捕され、二人は離ればなれとなったまま死を迎えることになる。

 著者はシベリア・中央アジア研究で知られる民族学者で、ネフスキーの学問を理解する上で必要な背景も本書にはしっかり書き込まれている。そればかりでなく、異国へのロマンに駆り立てられた東洋学者の生涯、その随所でちらつく不穏な政治の影を描き出す筆致には著者自身の思い入れが強く感じられ、胸を打つ。

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