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2007年3月18日 (日)

高木大幹『小泉八雲──その日本学』

高木大幹『小泉八雲──その日本学』(リブロポート、1986年)

 本書では、ラフカディオ・ハーンの遺した文章を読み解きながら、彼が日本という国の内奥に見出そうとした精神性、とりわけ宗教観に着目して、その思索の行方を追体験しようと試みられている。

 本書の半分近くの分量が引用で占められており、あまり感心はできない。無論、ハーンの文章を読者にもじかに味わってもらい一緒に追体験しようといざなう配慮なのだろうが、引用しながら著者のつけるコメントがただの感想文のレベルで、ハーンの思索をつっこんで分析しているとはとても言いがたい。ハーンに関してはすぐれた類書もたくさんあるわけで、その中で少々見劣りしてしまうのは残念である。

 ただ、ハーンの作品に「横浜で」というエッセイがあるのを教えてくれたのは私にとって収穫であった。この作品では、ハーンがある老僧と対話をかわすという形式で、ハーンなりに理解しようとした仏教観がつづられている。“空”や“涅槃”という言葉に対し、西洋人が抱く静的な“無”=notingというイメージと、この老僧が説く生き生きと動的な“無”とが対比されており、実に興味深い。

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