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2007年3月22日 (木)

太田雄三『E・S・モース──〈古き日本〉を伝えた親日科学者』

太田雄三『E・S・モース──〈古き日本〉を伝えた親日科学者』(リブロポート、1988年)

 エドワード・S・モース(Edward Sylvester Morse、1838~1925年)は大森貝塚を発見し、日本の考古学に大きな転回点をもたらしたことで知られている(そのレポートは近藤義郎・佐原真訳『大森貝塚』(岩波文庫、1983年)で読むことができる)。日本史の教科書には必ず登場するので聞いたこともないなんて人はまずいないだろう。本書は、そうした日本考古学の先達としてではなく、日本という国を深く愛した彼の眼差しに焦点を合わせてモースの人物像を描き出そうとしている。

 モースは正規の大学教育を受けていない。ただ、若い頃から貝の採集にとりつかれていたいわば“貝オタク”で、そのコレクションやスケッチの才能を見込まれてハーヴァード大学の博物館で助手として働きはじめた。早くも三十代にして腕足類の分類学については学界でも権威として認められるようになっていた。

 彼はもともと日本に対して格別な関心はなかった。日本近海に生息する貝類の研究のため1877年に私費で日本にやって来たところ、請われてそのまま東京帝国大学で教鞭をとる成り行きとなり、ここから彼と日本との強い絆がはじまる。と言っても、彼が日本に滞在したのはほんのわずかな期間に過ぎない。1879年には契約が終了してアメリカに帰国し、その後も何回か来日したものの、1883年を最後に日本の土を踏むことはなかった。

 モースの来日当初、彼と宣教師との間で進化論をめぐり論争があった。彼が進化論について講演したところ、聴衆の中に宮家や重臣をはじめ当時の政治エリート層がずらりと並んでいたという。彼が来日したのは明治の御一新から間もない頃。キリスト教の禁令が解かれたものの、その広がりに対する警戒心は依然としてくすぶっており、キリスト教の教義を論破するものとして関心が抱かれたらしい。新知識を吸収しようという熱意もあったのだろうが、キリスト教と進化論とのせめぎ合いがこんなところでも顔を出しているのが興味深い。

 本書は、モースの日本紹介者としての側面を描くことを目的としている。彼が集めた日本陶器のコレクションは当時としては世界随一のもので、現在ではボストン美術館に所蔵されている。彼の陶器への薀蓄には動物学者としての形態分類の技法が生かされていたというのが面白い。また、短期間ながらも日本滞在中に見聞したことを丹念に記録しており、『日本その日その日』(1~3、石川欣一訳、平凡社・東洋文庫、1970~1971年)として刊行されている。彼はアカデミックな訓練を受けていなかったからこそ、かえってバイアスなしに柔軟に観察できたのではないかと指摘されている。

 モースは帰国後も日本についてたびたび講演を行なった。しかし、そこで述べられているのは“古き良き日本”というイメージばかり。日清・日露戦争で世界の注目を集め、その近代化の進展に多くの聴衆は関心があったろうが、そうした時事問題には一切触れていない。明治初期に訪れた時の日本の面影が、あたかも時間がとまったように彼の脳裏には固着していた。もともとが動物学者であって時事的テーマに関心がなかったと言ってしまえばそれまでだが、それでも彼が熱く語っていたものは一体何だったのだろうか。“古き日本”の面影に投影していた彼自身の心象風景はどのようなものだったのか、そこをこそ掘り下げて描き出して欲しかった。

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