太田雄三『B・H・チェンバレン』
太田雄三『B・H・チェンバレン──日欧間の往復運動に生きた世界人』(リブロポート、1990年)
バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain、1850~1935年)は科学的なジャパノロジー(日本学)に先鞭をつけた一人である。イギリスの出身。1873年、22歳の時に“お雇い外国人”として来日。海軍兵学寮で英語を教えていたが、1886年からは東京帝国大学で博言学(言語学)と和文学(国語国文学)の講座を持つようになった。『古事記』を初めて英訳したほか、『日本事物誌』(“Things Japanese”)という日本にまつわる博物誌も刊行している。
チェンバレンはラフカディオ・ハーンと文通を通して交流が深かったが、ハーンの名声の影に隠れ、その評判は芳しくない。チェンバレンには西洋至上主義の傾向があって日本を見下していたというのが理由らしい。そうした中、手紙などの未公刊資料を渉猟することで、チェンバレンは日本への愛着を持っていた、むしろ西洋至上主義的な価値観への批判者であったと指摘し、彼の再評価を図るのが本書の目的となっている。彼は自らの生い立ちを語ることは少なかったというが、資料的な欠落は、弟であるヒューストン・チェンバレンの自伝を参照して補っている。
なお、ヒューストンはヴァーグナーの娘と結婚してドイツに帰化。人種論イデオロギーで知られ、彼の主張はナチズムにも影響を与えている。第一次世界大戦に際して兄弟は仲たがいしたらしい。
丹念に第一次資料にあたって説得力を持たせようとしているので、チェンバレンの伝記的な道のりをたどる上で本書は有益であろう。ただし、描き方が表面的なような気もする。手紙の一節を引きながら、真摯で求道者的な誠実さが彼の持ち味であったというが、本書を通読してもそうした人物像の輪郭がなかなか浮かんでこない。
それから、時代背景の中での彼の位置づけも明瞭ではない。私はいちいち年表をめくりながら読んでいたのだが、予備知識の乏しい読者に対しては不親切な書き方のようにも思った。文明開化という時代背景、ジャパノロジーの展開、当時の不穏な政治状況と兄弟間の葛藤など、面白そうな題材が色々とあるので、書き方を工夫すれば面白い評伝となったろうに残念である。
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