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2007年2月 2日 (金)

韓国映画雑感②

(承前)

 その後も韓国映画はエンタテイメントとしても良質な作品を次々と生み出している。たとえば、南北首脳会談の陰で暗躍する北のスパイと公安との攻防を描いた「シュリ」(1999年)。軍事境界線をはさんだ南北の兵士の許されざる交流を描いた「JSA」(2000年)。いずれもポリティカル・サスペンスとして秀逸だった(他にも「ブラザーフッド」や「シルミド」なども公開されたが、私は未見)。

 政治問題をテーマに取り上げると、肯定的なスタンスから体制賛美をするか、批判的なスタンスから風刺作品となるか、いずれにしても政治論争に絡め取られ、どうしてもこわばった疲れを観客に残してしまう。ところが、「シュリ」も「JSA」も、政治を題材としながら、ストーリーの面白さを前面に押し出し、政治を後景に追いやることに成功している。政治と娯楽の分離、政教分離ならぬ政樂分離とでも言おうか。それだけ政治的民主主義が韓国社会で成熟していることの証拠である。

 「八月のクリスマス」のように感情の微妙な機微を描いた作品としては、「Interview」(2000年)、「イル・マーレ」(2000年)、「春の日は過ぎゆく」(ホ・ジノ監督、2001年)などが好きだ。毛色が違うが、「友へ──チング」(2001年)という作品も印象に残っている(「イル・マーレ」はアメリカでリメイクされたが未見)。

 その一方で、いわゆる“冬ソナ”ブームの流れに合わせて公開されているベタなラブストーリーは実は好きではない。韓国映画が大きく注目されるに従って私は逆に遠ざかるようになった。とは言いながら、最近にもいくつかの作品は観ている。映画ではないが、NHKで放映されていたドラマ「チャングムの誓い」は毎週欠かさず観ていた。

 「大統領の理髪師」(イム・チャンサン監督、2005年)は、図らずも大統領専属となってしまった街の理髪師(ソン・ガンホ)の物語。朴正熙の人柄、政権内部の抗争、朴政権下における言論弾圧などを、それぞれ等分な距離をおいて、時にはコミカルに描いている。この作品も政治を後景に追いやり、理髪師の視点を通して60年代から現代に至るまでの韓国社会の移り変わりを捉えているのが興味深い(2006年、渋谷・BUNKAMURAル・シネマにて)。

 「サマリア」(キム・ギドク監督、2004年)はいわゆる“援助交際”少女の気持ちの揺れとそれを見つめる父親の葛藤を描く。しかし、社会派的な力みかえりはなく、むしろ叙情的な美しさを湛えているのが印象深い。ヨジンとチェヨンは仲良し二人組みの女子高生。いつかヨーロッパに行こうとヨジンは体を売っていたのだが、警察の手入れから逃げようとして窓から落ち、息絶えてしまった。その瞬間を見てしまったチェヨンはヨジンの出会った男たち一人ひとりに会いに行く。そして、その跡をつけてゆく父親の哀しげな後姿…。サティのジムノペディ、ノクターンが流れ、けだるいメロディーに合わせてヨジンはまどろむ。映像の静かな美しさは、胸に抱えた痛みをうずかせる。私はこの作品になぜか強い思い入れを持った(2005年、恵比寿ガーデンシネマにて)。

 「うつせみ」(キム・ギドク監督、2004年)。自分の気配を消すことのできる青年テソク。彼は定職・住いを持たず、留守宅を物色しながら暮らしている。他人の家で過ごし、そこの住人の気持ちになりきることで様々な人生を体感することに生きがいを感じているかのようだ。ある日、夫から暴力を振るわれている女性ソナと出会う。テソクは、違う人生を渇望する彼女を連れて放浪の生活に出ることになる。家庭はそれぞれに様々な事情、幸不幸を抱えている。現代都市における一戸建ての塀、マンションの壁によって完全にシャットアウトされた生活空間では、他人が抱える家庭的な葛藤を窺い知るきっかけがない。その分だけ、自分にはもっと別の人生があり得たはずだという一方的な思いを強めやすい。そうした気持ちの振幅を寓話的に描いた不思議な作品である(2006年、恵比寿ガーデンシネマにて)。

(2007年1月8日記)

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コメント

俺が観た韓国映画は『シュリ』だけだな~

投稿: | 2007年2月 6日 (火) 20時26分

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