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2007年2月20日 (火)

増田義郎『インカ帝国探検記』

増田義郎『インカ帝国探検記──ある文化の滅亡の歴史』(中公文庫BIBLIO、2001年)

 サブタイトルから分かるように、インカ帝国滅亡の過程を、著者自身の現地踏査や膨大なスペイン語原資料の渉猟によって描き出している。本書が初めに刊行されたのは1961年(1975年に中公文庫の一冊となり、2001年には若干の補訂をほどこした上で中公文庫BIBLIOシリーズとして再刊された)。それから半世紀近くもの月日が経っているが、読み物としての面白さは全然色あせていない。

 インカ帝国についての考古学的研究は着実に積み重ねられ、新事実も色々と発見されていることと思う。しかし、歴史学的に事実を把捉することと、読み物として歴史を読むこととでは、おのずと読み手の態度は違う。やはり、登場人物の息づかいがヴィヴィッドに伝わってくるかどうか、本としての魅力はそこにかかってくる。

 スペイン人のコンキスタドーレス(征服者)がやって来たとき、インカ帝国内部もまた大きな転機を迎えていた。エクアドル方面に領土拡張のため陣頭指揮に当たっていたワナイ・カパック帝が急死。嫡男だが文弱のワスカールと、庶子だが軍事的才能に恵まれ先帝から気に入られていたアタワルパとの二派に分かれての抗争が始まった。いったんワスカールが帝位を継いだものの、軍事力を握るアタワルパには強い警戒感を示し、機会を捉えて抑圧策を弄する。アタワルパは反撃に出て、ワスカール派をたたきつぶした。

 ピサロがペルーに上陸したのは、アタワルパが帝位を奪い取った直後の時期であった。ピサロ一行はわずか200名の小勢。予想とは裏腹に高度な文明を誇るインカ帝国の威容に恐れをなす者もいた。対するアタワルパは自信に満ちている。異邦人がやって来ても余裕を崩さず、変なまねをしようものならいつでも殺してやるという態度を取った。

 まともに戦っては勝ち目がない。そこでピサロは作戦を練り、アタワルパを生け捕りにした。インカ帝国のシステムは太陽神崇拝に基づく絶対専制君主制であった。“日の御子”(インカ)の命令には絶対服従という倫理規範が人びとの皮膚感覚にまで染み付いていた。逆に言うと、インカの命令がなければ組織的な反抗を行なうという発想すら出てこない。ワスカール派の残党がアタワルパの悲運に快哉を叫び、この機会を利用しようとしたことも背景にある。いずれにせよ、インカ帝国はあっという間に瓦解してしまった。

 ピサロはしばらくアタワルパを傀儡として統治を行なったが、やがて邪魔となったため処刑してしまう。皇族が後継を名乗って独立政権を形成し、スペイン人が押し付けようとするキリスト教をはねつけながら昔ながらの祭祀を維持した。コンキスタドーレスによる制圧後も三十年以上にもわたってスペイン人を翻弄し続ける(彼らが根拠地としていた“幻の都”が、世界遺産にも登録された有名なマチュピチュである)。とりわけトゥパク・アマルは先住民による抵抗のシンボルとなり、ペルーの日本大使館占拠事件を起した「トゥパク・アマル革命運動」の名前の由来として記憶している人もいるだろう。

 世界史の教科書を読むだけでは、「1533年、ピサロがインカ帝国を滅ぼす」という簡単な記述で終ってしまう。しかし、その背景には複雑なドラマが織り成していることを一つ一つ読み取っていくと、歴史をみる視点に奥行きがでてくる。様々に輻輳する事実連関がタテにヨコに拡がっていくのが見えてきて、面白い。

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