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2007年2月27日 (火)

増田義郎『コロンブス』

増田義郎『コロンブス』(岩波新書、1979年)

 コロンブスが西に向けての航海に乗り出すに際しては、“新キリスト教徒”と呼ばれた改宗ユダヤ人が、資金援助やスペイン女王イサベルへの口利きなど様々な助力をしたという。私はいわゆる“大航海時代”に宗教的背景があることは世界史の常識として知っていたが、改宗ユダヤ人や神秘主義思想など複雑な問題が伏在していることにまでは考えが及んでいなかった。

 改宗ユダヤ人とは何者か? 初期イスラムに“啓典の民”の存在を許容する寛容さがあったことは一般に意外と知られていないが、もともとイベリア半島にいたユダヤ人はイスラム勢力の支配下でも彼らと共存していた。しかし、北アフリカのベルベル人を中心としたムワッヒド朝は異教徒に対して厳格な態度を取る傾向があり、そうした彼らの台頭と共にユダヤ人はキリスト教圏へと逃げ込んだ。当初はキリスト教徒ともうまくやっていたが、やがてユダヤ人の経済的・社会的成功をねたむ雰囲気が漂い始める。反ユダヤ暴動が勃発するなど不穏な情勢の中、一部のユダヤ人はカトリックに改宗し、“新キリスト教徒”と呼ばれた。

 彼ら“新キリスト教徒”には、当面の便宜のため形式だけ改宗した者と自発的に改宗した者とが混在していた。後者にとっては、ユダヤ教を捨てきっていないのではないかという疑惑の眼差しにさらされるのがつらい。そのため、後者の人々が前者の“偽”キリスト教徒に対してつらく当たるという一種の防衛機制が働いた。中世の異端審問はとりわけスペインで激しかったことは知られているが、“偽”のキリスト教徒をあぶり出そうとするユダヤ人同士の葛藤として深刻であったことは興味深い。この熱心な“新キリスト教徒”は豊かな経済力をバックに国王や大貴族ともつながりを持っており、彼らがコロンブスを支援したのである。

 当時のスペインを含めたヨーロッパ世界の知識人にはエラスムスの思想が影響を与えていた。心の奥底においてこそ神は求められるという神秘主義的傾向が強まり、反転してキリスト教会内での腐敗を批判するモメントとなった。他の地域とは違ってそれがスペインにおいては宗教改革の運動には結びつかず(イスラム勢力との戦いでローマ教会との密接なつながりがあったため)、むしろカトリック再建のために教義の厳格化という方向に進んだことは周知の通りである。

 こうした傾向はコロンブスの手記からも見えてくるらしい。彼の航海には、単なる冒険心という以上に、宗教的使命感が強く作用していた。“神の摂理”の中に自分の事業が組み込まれているという歴史観の下で彼は生きていた。“新大陸”にあるはずの黄金も、イェルサレムの聖墓再建のために使うべきと考えており、そうした点で信仰心篤いイサベル女王と精神的に響きあっていたはずだと著者は指摘する。

 歴史を振り返るにあたっては、どうしても現代の我々自身の持っている歴史観のフィルターを通して観てしまいがちだ。コロンブスという人物を考えるにしても、未知のものへの挑戦が大事だ、ベンチャーだ云々という通俗化した見方がどうしても耳目に入りやすくなる。だが、それはコロンブスという過去の人物に仮託しながら現代の我々の価値観を映し出しているだけで、ことはそんなに単純な話ではない。当時の人々と我々とでは物事に取り組む考え方にも大きな違いがあり得る。そこの機微に思いを致し、逆に現代に生きる自分自身のものの見方を相対化して捉えかえす。そのように頭を解きほぐすきっかけが得られるところに歴史の細部をみつめる醍醐味がある。

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