増田義郎『太平洋──開かれた海の歴史』
増田義郎『太平洋──開かれた海の歴史』(集英社新書、2004年)
日本地図をパッと見たとき、その地図の外側にどのような広がりを想像するだろうか? 私の不明をさらけ出すと、九州・沖縄方面は中国大陸・朝鮮半島とのつながりが思い出されて、西へとつながるルートのイメージがすぐにわく。これに対して太平洋側については、そこで行き止まりという感じ。
しかし、サブタイトルにあるように、実は太平洋は四方八方に開けた海である。本書はこうした観点に立ち、有史以前から現代に至るまでに太平洋を舞台に織り成された人類の軌跡を大きく通観する。
世界史の教科書などには、「1513年、スペイン人のバルボアが太平洋を発見した」という記述がある(なお、前回紹介した増田義郎『インカ帝国探検記』との関わりで言うと、インカ帝国を征服したピサロはかつてバルボアの部下だったことがある)。だが、スペイン人は太平洋を“発見”したのではなく、“発明”したのだ、と著者は言う。
16世紀のいわゆる大航海時代、スペインは香料の産出するモルッカ諸島への道を探していた。ところが、ポルトガルとの取り決め(トルデシリャス条約)によってインド経由のアジア航路を取ることはできず、大西洋、さらにはアメリカ大陸を越えて西へと進まねばならない。その結果、太平洋を横切り、メキシコからマニラへと至る航路が確定された。太平洋は広い。しかし、スペイン人にはこの航路以外の海域には全くと言っていいほど関心がなかった。それは当時描かれた世界地図にもはっきり示されている。つまり、その時の自分たちの必要や願望によって地理観、ひいては世界観を固定化させてしまう傾向が、太平洋をめぐる問題から見え隠れするのだ。
大航海時代以降、太平洋における利権を求めて列国は覇権を争った。先行したのはスペイン・ポルトガル、とりわけフェリペ2世の時代は歴史上にも希なほど巨大な帝国を築き上げた。しかし、アルマダ海戦をきっかけに没落。一時オランダが優勢となったが、やがてイギリスとフランスとの抗争が太平洋上でも繰り広げられた。20世紀に入るとイギリス・フランスはやや後退、かわって日本とアメリカが雌雄を決する。
いずれにせよ、ヨーロッパからやって来た白人は、太平洋の島々に暮らす人びとに大きな災厄をもたらした。伝染病や性病が蔓延し、免疫のなかった原住民の人口は極端なほどに減少した。銃火器の使用を覚えたことで、土着世界内での抗争が激化、ヨーロッパ人はそこにつけこむ。キリスト教が押し付けられて伝統的な文化を失い、強制労働に駆り立てられる。無力感を苛む彼らの心に対しては酒や阿片という習慣も用意された。初めにヨーロッパ人が来航した時には暖かく迎えられたので「高貴な野蛮人」という肯定的なイメージが生れた(このイメージがフランス啓蒙思想のディドロやルソーに影響を与えたことは周知のことだろう)のに対し、その後に乗り込んできたキリスト教の宣教師たちの眼には、原住民の風習は不道徳なものとしか映らない。白人は原住民を蔑視する。原住民は屈辱の中に滅んでいく。こうした悲劇は、著者の別のフィールドであるラテンアメリカの古代文明がたどった道と全く同じであった。
幅広いタイムスパンで描き出された通史だが、新書サイズなので内容的に濃淡の差が出てしまうのは仕方ない。しかし、航海者の行動と異文化接触を取り上げた箇所では叙述に力が入っている。クックの航海記を散文作品として読み直したり、モーム、スティーヴンソン、メルヴィル、中島敦など文学者の描写を随所で引用しているのも面白い。
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