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2007年2月23日 (金)

蔵研也『リバタリアン宣言』

蔵研也『リバタリアン宣言』(朝日新書、2007年)

 リバタリアンの議論には思考実験としての刺戟があって興味を持っているのだが、本書はつっこみがあまい。はっきり言って愚書である。教養のない学者が本を書くとこんなブザマな代物が出来上がるという典型的な例だ。

 それから、現代の社会哲学的なコンテクストにおいて“自由”を論じているにも拘わらず、コミュニタリアニズムやロールズの“公正としての正義”論に言及がないのも奇妙なことである。巻末の参考文献一覧を見る限り、著者は勉強不足のように思う。

 アトム的個人を前提とし、その集積体として人間社会を捉え、資源配分の効率の問題として国家の必要・不必要を論じるのが本書の骨格となっている。個人に許されるべき裁量に制限をかけている点で、国家に頼る社会設計は“道徳的”ではないとされる。

 よく分からないのだが、この著者は何を以て個人の“自由”と想定しているのだろうか? たとえば、こういう問題がある。効率の論理に従った経済学的な考え方で人間行動を捉えようとする場合、意思決定に際して参照すべき情報が質・量ともに均質であることを前提とし、その上で競争モデルが構築される。しかし、複雑化した社会においては、①情報へのアクセスのしやすさによって出発点で格差が生じる、②情報量があまりに膨大なので個人では処理しきれない、といった問題が出てくる。従って、個人の意思決定がスムーズに行なわれることはあり得ないという意味で、“自己決定”を保障すべき前提が担保できない。このような“情報の非対称性”という問題に対し、リバタリアンはどのように考えるのだろうか?

 著者の議論の背景には、あらゆる選択肢を検討した上で自分の責任において選んだのだから、結果について引き受けるのは当然だ、という倫理観がある。この考え方自体はまっとうだと思う。しかし、出発点の段階から選択肢が限られているとき、こんな楽観的な“自由”論を展開されたところで、“公正”の観点から果たして説得的と言えるだろうか? 

 ハイエクの思想の理解があまいのではないか? ハイエクの自由主義の背景としては、“知”に溺れやすい人間の傲慢を戒め、社会設計において人間のでっち上げた不自然な理屈が暴走することへの懸念がある。その具体例として、ファシズムや共産主義が俎上にのせられた。しかし、彼の全体主義批判で示された問題意識は、単に制度の問題に限られるものではない。ある特定の理論が“正しい”とみなされ、その理論を社会全体に一貫させようと考え始めた時点で、実は人知の傲慢が表われている。そして、効率モデルに基づく自由“原理”主義もまたその傲慢の罠にはまっていると言える。

 身を切るように切実な試行錯誤を通して勝ち取られた“自由”は何にも代えがたく貴重だ。しかし、本書の著者のように、机上ででっちあげた理屈だけで“自由”を論じているのは、そのこと自体がハイエクの思想からすると戒めるべき傲慢さの表われであろう。こうした逆説が本書の著者に理解できるだろうか?

 “自由”を効率の問題に還元して考えること自体、別の観念の奴隷となっていると言えないだろうか。我々は、我々の欲求を、我々自身の“意志”に基づいて作り出しているのではない。効率的な経済システムで運営される社会にあっては、むしろこのシステムの方が各自の中に欲求を映し出していく。“自由”を求める主体が各自の内面にあってその集合体として社会が組み立てられているのではない。まず、社会があって、その中で“自由”を求める(と錯覚している)我々自身の価値観が規定されている。

 効率モデルの中で個人の“自由”を徹底させたところで、システムから発せられた指令が個人というゲートを通過して再びシステムに還っていく、そうした循環を純化させるだけのことであろう。個人はシステムに吸収されて個性をますます失い、従属化されていく。こうした逆説が本書の著者には理解できるだろうか?

 本書の基本的な主張は、笠井潔『国家民営化論』(光文社・知恵の森文庫、2000年)と変わらない。笠井の場合には、自己責任における自殺も認めるため安楽死を制度化せよという主張からも分かるように、人間の生き死にも含めてどこか突き放してしまう、ニヒルで確信犯的なすごみが魅力であった。これに比べると、本書の著者は平板でつまらない。その人の人生観のにじみ出てこない“自由”論など、そもそも論ずべき価値すらない。また、先に述べたように著者の勉強不足は明らかで、学説整理という点では森村進『自由はどこまで可能か』(講談社現代新書、2001年)の方をおすすめする。

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