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2007年2月22日 (木)

増田義郎『古代アステカ王国』

増田義郎『古代アステカ王国』(中公新書、1963年)

 スペイン・ポルトガルによって先鞭のつけられた大航海時代の背景としてキリスト教、とりわけカトリックの熱情が動因として強く働いていたことはよく知られている。コロンブスがパロス港を出帆したのと、イベリア半島におけるイスラム勢力最後の拠点グラナダが陥落したのとが同じ1492年の出来事であったのは偶然ではない。

 イスラム勢力から領土を奪い返す、いわゆる失地回復運動(レコンキスタ)の先頭に立ったのがスペイン(カスティリャ及びアラゴン)とポルトガルであった。彼らはローマ教会から精神的支援を受けたため、異教徒に対する戦いは、同時にカトリックへのリゴリスティックなまでの帰依をも意味していた。それは、やはり同時代に勃興しつつあった宗教改革への対抗意識をもたらし(ルターがローマ教会批判の口火をきったのは1517年)、イエズス会の宣教師は大海原へと乗り出す冒険者たちの船に同乗して世界各地へと散って行った。

 以上が、大雑把ながら古代アステカ王国滅亡を取り巻く時代背景である。本書の主人公エルナン・コルテスが宣教師を従軍させて、征服した各地でカトリックを押し付けようとした理由が分かるだろう。

 スペインとアステカ、二つの異文化の接触が、それぞれの宗教的宇宙観のあり方をはからずも浮き彫りにしているのが興味深い。コルテスを含め当時のスペイン人にとって、キリスト教徒と異教徒とを画然と分けるのは当然であった。長年にわたってイスラム勢力と戦ってきた経験を踏まえて異教を信ずる者がこの世にはあり得ると考えていた点で、実は多元的な世界認識があった。その上で異教徒征伐という使命感が成り立っていた。

 ところが、異文化と衝突した経験が全くなかったアステカ人は、あくまでも自分たちの宇宙観に基づいて相手を認識するしかなかった。アステカの神話には、ケツァルコアトルという白い顔をした神がいる。スペイン人がやって来たとき、アステカ王モンテスマは彼らをケツァルコアトルの再来と信じて抵抗をあきらめてしまった。モンテスマの死後、クワウテモク王が徹底抗戦の方針に転じてコルテスを窮地に追い詰めたときにも、スペイン人捕虜を生け贄に捧げる儀式に熱中して追撃の好機を逸したり、占いが外れて戦意を喪失したりということが続く。強権的な軍事帝国であったさしものアステカも、1521年、わずかなスペイン人によってあっという間に崩されてしまった。

 歴史を読む面白さは、登場する人物像の陰影が描きこまれているかどうかで違ってくる。アステカ王モンテスマとクワウテモクのパーソナリティーの違い。奸智に長けたコルテス。そして、登場頻度は少ないが、マリンチェと呼ばれた謎の女性に興味が引かれた。彼女は、コルテス軍に敗れた現地勢力から降伏の印に送られた奴隷の一人。もとは別部族の貴族の出身だったらしい。現地のいくつかの言葉に通じているので、スペイン語も覚えた後に通訳として活躍。アステカ王国への進撃に際しても自ら積極的な役割を果たしたという。後にコルテスの子供を生み、その子は混血児であったにも拘らずコルテスの後継者に指名されたそうだ。慣れ親しんだ土地へ進撃する異邦人に協力した心境には何があったのだろうか? 彼女の数奇な人生もまた一つの物語の題材になりそうだ。そうしたエピソードを拾い集めるのも歴史を読む醍醐味である。

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