博物館にまつわる思い出
博物館・美術館というカテゴリーを設定するにあたり、まずは私自身の思い出話から。
私の最も気分の落ち着く場所が東京に二ヵ所ある。その一つが、上野の東京国立博物館、とりわけ東洋館だ。初めて来たのは中学一年生の夏休み。自由研究の課題に中国古代文明をテーマとして選び、説明文のメモを取ったり、青銅器をスケッチしたりした。シルクロードに憧れていたので、大谷探検隊の将来品を見るのも楽しみだった。時を超え、国境を超えた未知の世界に息づく人々のドラマに想いを馳せ、胸をときめかせていた。
以来、現在に至るまで社会人になっても年に最低2回以上は通っている。当初は純粋に所蔵品を眺めに来ていた。しかし、時が経つにつれ、ここに来る意味合いが変わってきた。たとえば、深刻な壁にぶつかって自分の思い通りにならない悔しさを抱えた時、ふと気付くと東洋館の中を歩きながら物思いにふけっていることが再三ならずあった。中学生の時には抱いていた未知なるものへの憧れを、もう一度自分の胸に呼び覚ましたかったのだと思う。
大学は躊躇なく文学部を選び、一年の教養課程を経て史学科の民族学考古学専攻に進んだ。疑いの余地のない選択のはずだった。ところが、専門課程に進んだ途端、何かが違うと思い始めた。同じ専攻に所属する人たちとの肌合いの違いを感じていた。私は単に古代史マニアだったわけではない。現代史への関心も昔から強く、政治の議論が好きだった。そして何よりも、青春期にありがちな人生上の煩悶にとりつかれ、哲学書を読み漁っていた。考古学なんてまどろっこしいことなどやってられないと思うようになり、専門の授業に全く興味が持てなくなった。退学という選択肢も真剣に考えた。自然と授業から足が遠のき、大学のキャンパスに行っても図書館にこもることが多くなった。
私の通っていた大学のキャンパスには複数の図書館がある。私の気分の落ち着くもう一つの場所というのが、そのうちの旧館と呼ばれる建物だ。明治の末頃に建てられて関東大震災や戦災もくぐり抜け、重要文化財に指定されている。ここの蔵書は古い専門書や洋書(ヨーロッパ諸語ばかりでなく、中国語、韓国語、アラビア語、ペルシア語など様々な言語の本があった)中心なので、人はほとんど来ない。外の喧騒から隔絶された古びた空間の中で古今東西様々な本の背表紙を眺めているだけでも幾分かは気分が晴れた。
大学の授業のすべてがつまらなかったわけではない。今から振り返っても出席していて良かったと思うのがいくつかある。その一つが博物館学という授業だ。本来は学芸員資格取得のための講義なので(無論、その頃の私にはそんな気持ちは失せていたが)、毎週のように博物館・美術館を観に行きレポートを提出することが義務付けられた。古美術からポップアートまで幅広い展覧会を集中的かつ強制的に観ることになった。予備知識がなくてチンプンカンプンな場合がほとんどなので、自分なりに勝手に脈絡をつけてテーマをでっち上げる形でレポートをまとめた。いい加減なものだが、そうした試行錯誤をせざるを得なかったおかげで、“モノ”そのものをじっくりと観てそこから自分なりの面白さを引き出そうと努める習慣が身についた。
気軽に展覧会に行く習慣は今でも続いている。折に触れて観に行った際のメモを随時載せていきたい。
(2007年1月7日記)
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コメント
私はとにかく、博物館・美術館見物の類いを
「退屈…」
と思ってしまう方で、自分から進んで行くことは余り、ない。
が、カイロの考古学博物館はなかなか面白かった。
投稿: みつぼ | 2007年1月10日 (水) 12時04分