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2007年1月28日 (日)

山本譲司『累犯障害者』

山本譲司『累犯障害者──獄の中の不条理』(新潮社、2006年)

 健常者として当たり前になじんだ視線をずらし、障害者の視線に立ってみようと想像力をめぐらしても、口先ではともかく、実際には大きな壁にぶつかってしまう。ノーマライゼーションの努力は必要である。だが、その一方で、たとえ動機は善意であっても、意図しないままに健常者の世界観の押し付けになっていることが往々にしてある。本書はそうした健常者と障害者とのシビアな距離感を描き出したノンフィクションであり、貴重な問題提起をしている。

 知的障害者の家族が法律上・生活上のアドバイスを受けられないまま陥ってしまった困窮の哀しさ。触法障害者には出所後の受け入れ先がない、従って社会に居場所がないため、再び刑務所に戻らざるを得ないとい悪循環。様々なケースが取り上げられているが、とりわけ私が関心を持ったのはろうあ者の問題だ。

 ろうあ者の用いる手話と健常者の用いる手話とでは、実はほとんど別の言語に近いという。文法や心情的な微妙なニュアンスの表わし方が大きく異なり、手以外の動作も含めて、体全体の動かし方そのものが文法上重要な役割を果たしているらしい。そうした機微までは健常者の手話能力では分からない。健常者の方では意思が伝わっていると思っていても、ろうあ者の方では、伝わらないというもどかしさそのものを伝えられないケースが当然に考えられる。警察や検察の取調べの際に、手話通訳者が誤訳することもある。いずれにせよ、こうしたコミュニケーションの根本的な難しさから、ろうあ者同士の閉じた社会(deaf community)となってしまう。逆に、健常者とは異なる文化があるとする積極的な主張もあるそうだ。

 著者の山本譲司は元民主党代議士。秘書給与流用の容疑で実刑判決を受けた。都議や代議士として政治活動していた頃から福祉政策には力を入れていたが、入獄して見た現実、とりわけ刑務所の中でしか暮らせないという障害者と身近に接したことで、自分のそれまでの主張は上っ面のものに過ぎなかったと気付かされたという。現在はヘルパーをしながら執筆もしている。一度獄に落ちて、その体験をバネに這い上がってきた書き手が最近何人か出ているが、山本のこれからにも注目したい。

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コメント

山本譲司は本当に偉いと思うな。

投稿: みつぼ | 2007年1月29日 (月) 08時53分

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