「ダーウィンの悪夢」
アフリカ中東部のヴィクトリア湖。かつては豊かな生態系の息づいていた湖だったが、四十年ほど前に何者かがナイル・パーチという魚を放流したことにより様相が一変してしまった。ナイル・パーチは肉食魚で他の魚を喰いつくし、以前は二百数種もの魚がいたヴィクトリア湖はほとんどナイル・パーチの天下となった。このナイル・パーチは食用となるためタンザニアの主要輸出産品となったが、ここからも連鎖的に様々な社会的矛盾が顕在化することとなる。そうした有り様を現地の人々へのインタビューを通して浮き彫りにしようとしたドキュメンタリーである。
グローバリゼーションの進展によって世界の隅々まで単一の経済システムに組み込まれてしまった。その矛盾によるしわ寄せを問おうとするのがこの映画のテーマである。観ていて最も強く感じたのは、意図的な悪人が実は存在しないという不気味さだ。ナイル・パーチを放流した者が悪いと言えるのか。しかし、彼はこんな事態を予見していたのだろうか。ヨーロッパや日本もここから魚を輸入している。だから先進国が悪い、と単純に言えるだろうか。もしそう言えるのであればむしろ話は早い。問題点を整理すれば解決策を編み出せる。先進国は、意図しようとしまいと、こうした搾取構造にのっかっている以上、心の痛みを感ずべきなのは当然である。だが、同時に、どうしたら良いのか方法が見つからないというのも事実なのだ。魚の輸入をやめれば片付くような容易い問題ではない。現地の人々が悪いと言えるのか。与えられた条件の中で、各自が自身にとって最も利益にかなうよう振舞おうとすると、ますます泥沼にはまり込んでしまうというやりきれない不条理がある。工場経営者も、売春する女性たちも、戦争待望を語る警備員も、道徳的な問題とは別の次元で、それぞれ食っていくためにできることをやろうと精一杯なのだ。
この映画を通して示されている矛盾とはどのようなものか。各自が最適行動を取れば結果として自然調和的に機能するという意味でのグローバルな自由経済システムなど所詮は幻想に過ぎないこと。経済システムの持つ匿名性により、外部不経済的なしわ寄せを、国境というフィルターを通して我々の見えない所に押し付けていること。そして、そうした経済システムは人間の便宜によって作られたはずであるにも拘わらず、むしろ人間の方を翻弄する巨大なモンスターとして我々の前に現れていること。誰それのせいだ、と特定の主体に帰責するだけでは済まない、従って解決策が見えないという根本的な不条理がある。そうした意味でこの映画は、ショッキングでやりきれない問題提起をしている。
(2007年1月8日、渋谷・シネマライズにて)
【データ】
原題:Darwin`s Nightmare
監督・構成・撮影:フーベルト・ザウパー
2004年/フランス・オーストリア・ベルギー/112分
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コメント
『ダーウィンの悪夢』は私も観た。
これについては、じっくりと話がしたい。
投稿: | 2007年1月10日 (水) 12時12分