ソクーロフ監督「太陽」
この映画が上映されたのはちょうど八月の暑い盛り。封切初日、土曜日だったが残業を午前中で済ませ、上映館の銀座シネパトスへ足早に向かった。かつて川が流れていたところを埋め立てた跡に作られた地下の映画館である。壁は銀座線の線路に接しており、静かな時にはゴーッと電車が走る音が聞こえ、オシャレな映画をかけるミニシアターとは趣きが違う。焼きトン屋が並び、昼から酒が呑めそうな猥雑なたたずまいには不思議な味わいがある。
次々回のために並ぶ人がいるほどのものすごい行列であった。小泉首相の靖国参拝が取りざたされており、また少し前には昭和天皇のもらしたA級戦犯への厳しい意見が記された「冨田メモ」を日本経済新聞がスクープしたこともあって、この映画もそうした政治的な雰囲気の中で盛り上がるのではないかという気配もあった。
だが、今になって振り返ってみると、騒ぎは全くといっていいほどなかった。映画の内容を考えれば当然だろう。
この映画が史実に基づいて時代考証がなされているかどうかは、たいした問題ではない。もちろん、ソクーロフ自身、学生時代には歴史学を専攻し、日本史にも関心を寄せていただけあって考証はむしろしっかりしていると言える。登場人物のセリフは『昭和天皇独白録』(文春文庫、1995年)の記述を踏まえている。
だがこの映画の目的は、天皇を史実に沿って描くことではない。ソクーロフのイマジネーションをもとに、一つの物語として奥行きをもって完結しているところにこの作品の大きな魅力がある。ベルヒデス・ガーデンでのヒトラーとエヴァの一日を描いた「モレク神」(1999年)にしてもそうだったが、どこか現実離れした神話的舞台を現代という時代に設定しようとする意図がソクーロフにはあるのではないか。
神秘のヴェールにつつまれた“神の子”。しかしそれが「私も君たちと同じ体を持っている、同じ人間なんだよ」と語る。歴史的・政治的文脈からは人間宣言云々という話題に引き寄せられてしまうだろうが、ここに描かれるのは、神秘さゆえに地上に降りられない、特異な宿命を負わされた人間の孤独である。繰り返すまでもないだろうが、それは歴史上の昭和天皇ではない。神話的な純真さが世の中の現実に触れようとしたときに誰しもが抱きやすい、恐れや望みのないまぜになった傷つきやすい感情のイメージである。
イッセー尾形の演ずる妙に癖のある昭和天皇は最初違和感があった。しかし、その愛嬌のあるキャラクターは、見ているうちに親しみを覚え、映画が終る頃にはすっかり好きになっていた。天皇を題材に取り上げるとなると一昔前ならナーバスになったろうが、そうしたこわばった構えはこの映画には全くない。政治映画ではないからこそ、この映画については素直に良かったと言える。
【データ】
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形、佐野史郎、桃井かおり、ロバート・ドーソン
ロシア・イタリア・フランス・スイス合作/カラー/115分
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コメント
私は昭和天皇は偉大な“政治家”であったと思う。
投稿: | 2007年1月12日 (金) 10時43分
↑のコメントを書いたのは私です。
名前を書き忘れた…。
投稿: みつぼ | 2007年1月12日 (金) 13時50分