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2007年1月

2007年1月30日 (火)

「ディパーテッド」

◆「ディパーテッド」

 コステロ(ジャック・ニコルソン)はアイルランド系マフィアの大物。麻薬売買や殺人など様々な犯罪に手を染め、警察からマークされているがなかなか逮捕されない。そこで州警察はビリー(レオナルド・ディカプリオ)をスパイとしてコステロの組織に送り込む。一方、コステロもまた自分の息のかかったコリン(マット・デイモン)を警察内部に送り込んでいた。警察側も、コステロ側も、自分たちの組織にもぐりこんだ“ネズミ”が誰なのかあぶりだそうと躍起になる。二時間半にわたる長丁場だが、虚々実々の駆け引きにあふれるストーリーは緊張感が持続し、観ていて決して飽きない。ジャック・ニコルソンの悪党ぶりはさすがに凄みがある。

 警察に任官したコリンの入居した部屋から議事堂が見える。サスペンス映画としても純粋に面白いが、この映画もやはり政治的なメッセージ性が強い。“ネズミ”探しで疑心暗鬼に陥るというストーリーは、9・11以降のアメリカでテロリスト探しという大義名分のもとで行なわれている騒動を暗示しており、とりわけ愛国者法をめぐる問題意識が随所に見え隠れする。なお、タイトルのdepartedとは、すでに亡くなった者という意味。身分を偽り、己の心を殺した者たちを意味しているだけでなく、変貌しつつあるアメリカ社会の姿をも指し示しているのかもしれない。
(2007年1月28日、新宿ミラノにて)

【データ】
原題:The Departed
監督:マーティン・スコセッシ
アメリカ/2006年/152分

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「エレクション」

◆「エレクション」

 香港の暴力団組織“和連勝会”は二年ごとに会長を選挙で選んでいる。今回の候補者は、冷静沈着なロク(サイモン・ヤム)と、粗暴だが行動力のあるディー(レオン・カーファイ)の二人。ディーは買収も含め様々な手段を用いてのし上がろうとしたが、人望がないため、後継の会長にはロクが選ばれた。ディーは憤懣やるかたない。そうした中、会長の正統性を示す竜頭棍が運ばれてくる──。

 私は学生の頃、中国映画をテーマとする講義を取っていたことがある。香港駐在経験の豊かな元ジャーナリストが講師として来ていた。普段観ることのなかった中国映画を色々と紹介してくれただけでなく、その読み解き方を示してくれたのが興味深かった。中国は言論の自由が必ずしも保障されているとは言いがたい。映画にしても、表立っては表現できない政治的メッセージがシンボリックに織り込まれていることが多い。たとえ娯楽映画であっても、その裏にはどのようなメッセージが隠されているのか、そこを読み取ろうと意識を向ける癖がついてしまった。深読みしすぎて空回りする危うさもあるが。

 この「エレクション」はヤクザの抗争を描いた映画であるが、邦題からすぐ分かるとおり、極めて政治色が濃い。人間が存在する限りどんな場面でも権力闘争があり得るという一般論レベルのテーマも読み取れるが、そればかりでなく、買収や当局による干渉が当たり前という中国の政治風土を一つのカリカチュアとして描いていることも想像できる。それにしても、広州に隠されていた竜頭棍が香港に運ばれてくるという筋立てにしたのはなぜだろうか? 広州と言えば、孫文の出身地である。中国における民主主義の伝統という大きな話題をほのめかしているのか。
(2007年1月26日、テアトル新宿にて)

【データ】
原題:黒社会
監督:ジョニー・トー
香港/2005年/101分

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2007年1月29日 (月)

最近読んだ雑誌から

 最近読んだ雑誌から興味を持った記事をいくつかご紹介。まずは『文藝春秋』二月号から、梯久美子「栗林中将 衝撃の最期──ノイローゼ、部下による斬殺説の真相」。硫黄島の激戦で栗林忠道がどのような最期を遂げたのかはよく分かっていない。クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」では重傷を負った末に拳銃で自決を遂げており、これは防衛庁の編んだ『戦史叢書』にそったオーソドックスな描き方らしい。ところが、ショッキングな異説が現れた。栗林は重度のノイローゼ状態にあり、米軍に投降しようとして部下に殺された、というのだ。梯はこの異説の背景を調べ、投降説はあり得ないとの結論に達する。その過程でほの見える、戦前と戦後とでの戦争観・死生観の微妙なズレが興味深い。

 塩野七生・佐藤優・池内恵「ローマ滅亡に学ぶ国家の資格」は、塩野七生『ローマ人の物語』の完結を受けて、それぞれに独特なスタンスを持つ論者三人による鼎談。塩野は感想を聞かせて欲しいという受身の姿勢で、話題が深まらない。ようやく佐藤が『愚管抄』『神皇正統記』を、池内がイブン・ハルドゥーン『歴史序説』を取り上げてそれぞれ歴史観について話題を提起し、いよいよ話が盛り上がるぞ、というところで鼎談終了。あー、もったいない…。

 保阪正康「私が会った「昭和史の証人」秘録」。私は保阪による昭和史掘り起こしの仕事には深く敬意を抱いている。他人事のような理屈で断罪する凝り固まった思考枠組みを崩してくれるだけでなく、生身の声が持つ切実な響きには、時代を超えて人間の抱える葛藤そのものがにじみ出ており、心ゆさぶられる。今回の記事ではとりわけ、死なう団事件で特高のスパイであった老人の自殺に瞑目した。長い年月、秘密を一人抱えて生きてきた孤独。それを告白できて胸のつかえが降りた、と死ぬ前に話していたそうだ。善悪是非で個々の人間を類型化してしまうのではなく、一人ひとりがその立場の中で何を思っていたのか、そこを誠実に引き出そうとする姿勢には頭が下る。

 次は、『論座』2月号から。まずは内田樹「「これを勉強することが何の役に立つんですか」に絶句する私」。昨今の風潮として、市場原理的なマインドが教育現場にまで浸透している。これに影響されて子供たちまでもが、「有用」「無用」を安易にカテゴリー分けしてしまい、あとは“費用対効果”の論理にのせられると本気で思い込んでいる。高校の世界史未履修の問題はそうした発想の表れである。ところが、「何の役に立つのか?」という判断基準そのものを養うためにこそ、子供たちは学校に通って基礎知識を習得しなければならないのだ。市場効率が社会を成り立たせる有効なシステムの一つなのは確かだろう。しかし、市場原理の際限なき徹底が、かえって市場も含めた社会全体の基礎を掘り崩してしまうという皮肉がここに見えている。

 先般公開された「ダーウィンの悪夢」についてはこのブログでも紹介した。勝俣誠「ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』は、「北」の私たちを不安にさせる」は、このドキュメンタリーの政治経済的背景を南北問題の枠組みから解説してくれる。アフリカの問題は新聞記事での扱いも小さく、なかなか目にとまらない。資源輸出型経済の破綻、企業歓迎国家への変質によりますます「北」の経済に従属せざるを得なくなる矛盾などが指摘される。

 坂下雅一「「憎しみの連鎖」から解き放たれるために──紛争地メディアの支援」は、インドネシアのマルク諸島、ルワンダ、旧ユーゴなどの具体例を取り上げながら、紛争地におけるメディアが“敵意の扇動”に加担してしまう問題を指摘し、その解決策を模索している。

 『水からの伝言』という写真集の存在を私は寡聞にして知らなかった。これによると、たとえば「ありがとう」という言葉を見せた水は、冷凍すると雪花状に美しく結晶化し、「ばかやろう」という言葉を見せた水は雪花状にならないという。つまり、“良い”言葉は美しい結晶をつくり、“悪い”言葉は醜く崩れると言いたいらしい。もちろん、擬似科学本だ。こんなうさんくさい本が教育現場の一部で使われているというのだから驚いた。菊池誠「『水からの伝言』が教えてくれないもの」は、こうしたニセ科学の発想から、人間の心の問題を“物質”や“自然”などの“客観的な事実”に求めようとするいびつな精神構造を抉り出している。同様の観点から、田崎晴明「科学の心、科学的思考、そして科学者の姿勢とは」は科学者の持つ研究姿勢について、左巻健男「お手軽化が蔓延する教育現場の怪」はTOSS(教育技術法則化運動)なる教育団体の危うさを指摘してる。

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2007年1月28日 (日)

山本譲司『累犯障害者』

山本譲司『累犯障害者──獄の中の不条理』(新潮社、2006年)

 健常者として当たり前になじんだ視線をずらし、障害者の視線に立ってみようと想像力をめぐらしても、口先ではともかく、実際には大きな壁にぶつかってしまう。ノーマライゼーションの努力は必要である。だが、その一方で、たとえ動機は善意であっても、意図しないままに健常者の世界観の押し付けになっていることが往々にしてある。本書はそうした健常者と障害者とのシビアな距離感を描き出したノンフィクションであり、貴重な問題提起をしている。

 知的障害者の家族が法律上・生活上のアドバイスを受けられないまま陥ってしまった困窮の哀しさ。触法障害者には出所後の受け入れ先がない、従って社会に居場所がないため、再び刑務所に戻らざるを得ないとい悪循環。様々なケースが取り上げられているが、とりわけ私が関心を持ったのはろうあ者の問題だ。

 ろうあ者の用いる手話と健常者の用いる手話とでは、実はほとんど別の言語に近いという。文法や心情的な微妙なニュアンスの表わし方が大きく異なり、手以外の動作も含めて、体全体の動かし方そのものが文法上重要な役割を果たしているらしい。そうした機微までは健常者の手話能力では分からない。健常者の方では意思が伝わっていると思っていても、ろうあ者の方では、伝わらないというもどかしさそのものを伝えられないケースが当然に考えられる。警察や検察の取調べの際に、手話通訳者が誤訳することもある。いずれにせよ、こうしたコミュニケーションの根本的な難しさから、ろうあ者同士の閉じた社会(deaf community)となってしまう。逆に、健常者とは異なる文化があるとする積極的な主張もあるそうだ。

 著者の山本譲司は元民主党代議士。秘書給与流用の容疑で実刑判決を受けた。都議や代議士として政治活動していた頃から福祉政策には力を入れていたが、入獄して見た現実、とりわけ刑務所の中でしか暮らせないという障害者と身近に接したことで、自分のそれまでの主張は上っ面のものに過ぎなかったと気付かされたという。現在はヘルパーをしながら執筆もしている。一度獄に落ちて、その体験をバネに這い上がってきた書き手が最近何人か出ているが、山本のこれからにも注目したい。

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2007年1月27日 (土)

進藤榮一『東アジア共同体をどうつくるか』

進藤榮一『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書、2007年)

 本格的な地域統合に途をつけた先駆例としては、現在のところEUしか見当たらない。本書は、「歴史政策学」というスタンスに立ち、EU統合の過程から地域統合に必要な条件をいくつか類推的に引き出す。それを議論の叩き台として踏まえた上で、東アジア独自の地域統合の道筋を模索する。

 EUの場合、かつてのソ連共産主義という脅威への対処から同盟関係が生まれ、同時に第二次世界大戦の反省から、域内での紛争を物理的にも防止しようという意図も含意されて経済統合が進められた。著者によると、東アジア共同体の場合には、共通の脅威としてアメリカ一極支配による「カジノ資本主義」が想定されるという。その上で、東アジア統合の可能性について、膨大なデータや先行研究の成果を渉猟しながら緻密な議論を行なっている。煩瑣な論点にまであちこち飛び回り、新書という体裁にしては読みづらい本ではあるが、東アジア共同体の成立根拠について一定の枠組みを示している点では有益であろう。

 しかし、これほど能弁に語りながらも、説得力に欠けるという印象は最後まで拭えなかった。

 第一に、安全保障上の枠組みを考える上で議論を濁している部分がある。中国脅威論に対しては一定の紙幅を割いてきちんと根拠を示した反論を行なっており、傾聴に値する。しかし、肝心の北朝鮮について軽くスルーしてしまうのは問題だろう。食糧危機による負の悪循環には触れているものの、核問題についての著者の見解が不明瞭で、北朝鮮を東アジア共同体に取り込めるかどうか、その可能性については全く論じていない。

 第二に、東アジア共同体全体でまとまったアイデンティティーのあり方について考える上で、多様な文化的差異の中でどのように共通項を築き上げるかという問題を避けて通ることはできない。しかし、政治・経済的な枠組みについてはデータをいちいち挙げて緻密な議論を展開してきたのとは打って変わって、こちらについては理念先行、抽象的な話でお茶を濁すだけ。惨めなほどに内容が薄い。

 都市中間層のライフスタイルが脱国境的に拡がっていることを指摘して地域共同体の一つの基盤になるだろうと言う。ライフスタイルの越境的な均質化は確かだろうが、それは東アジアという地域に限るものではない。欧米も含めての拡がりの中で、都市中間層は、自国内の貧困層よりも、他国の中間層の方に親近感を持つことがつとに指摘されている。これはむしろ域内で階層的な断絶を生み出すことになり、東アジア共同体全体としてのアイデンティティー形成を阻害する要因になるのではないか?

 「儒教文化」を東アジア共通の文化的基層として取り上げ、フランシス・フクヤマの言う「社会的信頼」(Trust)やロバート・パットナムの「社会関係資本」(Social Capital)と結びつけて論じている。社会関係資本が重要であることは全く同感だ。しかし、経済的効率化があらゆる局面で進展している中、「儒教文化」も含めた伝統的価値意識は崩され、個人同士を結びつける紐帯がなくなりつつある、従って社会関係資本が機能しなくなりつつあることがむしろ現代の問題なのではないか? パットナム『孤独なボウリング』(邦訳、柏書房、2006年)の問題意識は社会関係資本の衰退に向けられており、それは他ならぬ日本にとっても切実な問題ではないのか? そもそも「儒教文化」などという括り方自体、大雑把で説得力ゼロ。社会的・文化的背景をステレオタイプで決め付けてしまう安直な物言いには本当にイライラする。

(2007年1月23日記)

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2007年1月26日 (金)

「あるいは、裏切りという名の犬」

◆「あるいは、裏切りという名の犬」

 凶悪な連続強奪事件がパリを震撼させていた。出世が決まった警視総監は、この事件を解決した者を自分の後任に指名するという。候補は、泥臭い昔かたぎのレオ(ダニエル・オートゥイユ)と、権力志向で出世に執念を燃やすドニ(ジェラール・ドパルデュー)。二人は古くからの友人だが、今では関係は冷え切っている。社交嫌いのレオには出世の気持ちなどさらさらないが、ドニは気が気でない。レオの指揮により強奪犯逮捕の段取りが組まれたが、これに不服なドニはわざと命令に反し、オペレーションは失敗。本来ならばドニの責任が問われるはずだが、レオが不運な事件に巻き込まれ、事態は思わぬ方向へと進む。二人の男の嫉妬と復讐の物語。

 ストーリー展開はスムーズ。いくつかの伏線が張りめぐらされた筋立てとなっているが、こんがらからずついていける。テンポよく緊迫感にあふれたフィルム・ノワールで、見ごたえは十分にあった。
(2007年1月22日、銀座テアトルシネマにて)

【データ】
監督・脚本:オリビエ・マルシャル
2004年/フランス/110分

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「武士の一分」

◆「武士の一分」

 三村新之丞(木村拓哉)はお毒見役という退屈なお役目に飽き飽きしていた。早く隠居して将来は子供たち相手の剣道場を開きたいと妻の加世(檀れい)に語る。中間の徳平(笹野高史)も含め、三人の貧しいが穏やかな日々。しかし、ある事件で何もかもが一変してしまう。調理の不手際で貝の毒にあたり、失明してしまったのだ。得意の剣を振ることはもうできない。武士として死んだも同然。この世のすべてから見放されてしまったような絶望感にたたき込まれた上に、信頼していた加世の不審な挙動に心がざわめく。思い余った三村は再び剣を手にする…。

 私は普段なら山田洋次の映画をわざわざ観に行くことはない。寅さんシリーズや釣りバカシリーズなどのマンネリな印象があること、また「学校」シリーズを観てすごく嫌な鳥肌が立ったことも理由である。しかし、今回は色々と評判が高いし、この人は山田洋次の映画なんて評価しないだろうと思っていた人までほめちぎるので観に行った。確かにとても良かったと思う。怒りのぶつけどころのない不条理の中、自分なりの筋道をつけようともがく葛藤には心打たれる。

 実は木村拓哉もあまり好きではない。しかし、今回、役柄にすんなりとはまっており、正直言って驚いた。また、いつも脇役として目にしてはいてもあまり意識することのなかった笹野高史が実直さと飄々としておどけた味を出しておりとても良かった。
(2007年1月20日、新宿ジョイシネマにて)

【データ】
監督:山田洋次
2006年/日本/松竹/121分

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2007年1月25日 (木)

「気球クラブ、その後」

 村上さんが入院したらしい──どこからともなくそんな知らせがとびかい、かつて気球クラブに集っていた人々が再会。クラブのリーダーであった村上と、その付き合っていたミツコの二人についてみんなが回想するという筋立て。青春の終わりがテーマなのだろうか。気球に乗って空高く上がることは、若い頃に抱く“夢”のメタファー。メモを風船にぶら下げることは“夢”をペンディングして先送り。気球に憑かれていた村上がオートバイで事故死したことは、宙に浮かべた“夢”が地上に降りざるを得なくなって、心の中の何かが崩れてしまったことを表わしている、と言えるのだろう。

 前半のうるさいまでに執拗な携帯電話のやり取り、メッセージをぶらさげた風船など、色々と寓話的設定が散りばめられており、その気になれば深読みの面白さを堪能できる。それにしても酒盛りのシーンがやたらと多い。この映画を作った人にとって、青春とは酒を飲んで騒ぐこととほとんどイコールでつながっているのかね。永作博美の年齢不詳な大人びたあどけなさは、いつものことながら目を引く。

 園子温(その・しおん)監督の作品では「桂子ですけど」(1997年)、「うつしみ」(1999年)、「自殺サークル」(2001年)などを観たことがあるが、これらの観ていて疲れるくらいに濃い雰囲気に比べると、今回は珍しく落ち着いた青春ものだ。しかし、私はどうも園監督の作品が好きになれない。工夫をこらしており決して悪いとは思わないのだが、肌合いが違うのだろう。
(2007年1月19日、渋谷シネ・アミューズのレイトショーにて)

【データ】
監督・脚本:園子温
2006年/日本/93分

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2007年1月24日 (水)

「市川崑物語」「犬神家の一族」

◆「市川崑物語」

 私はこれまで市川崑の撮った映画をとりたてて意識して観てきたわけではない。すでに映画史上の過去の偉人という印象を持っている程度のものだった。今回は、あくまでも岩井俊二ファンとして観た。凝りに凝った映像美で特筆される新旧世代の二人がどのように絡むのか興味はあったが、予想していた以上に良かった。

 市川崑の生い立ち、ディズニーに衝撃を受けてアニメ作品から始まる映画人生、多彩なフィルモグラフィー、そして脚本家にして公私にわたるパートナーであった和田夏十(わだ・なっと)とのエピソードを織り交ぜ、時折岩井のコメントが入る。それもナレーションではなく、字幕で。静かだが跳ね上がるような鋭いピアノ音が特徴的な音楽はまさに岩井ワールド。しかし、それ以上に市川崑という人の魅力が生きている。

 「初めて話の合う人に出会った」という岩井のコメントが字幕に現れる。宣伝でもこの文句は使われている。しかし、観れば分かるが、これには続きがある。岩井自身の映像作りには市川崑を意識したところが多い。だから、話が合って当たり前。いや、岩井に限らず、市川の映像技法は多くの人に強い影響を及ぼしており、彼の名前を知らなくとも様々な場面で触れる機会がある。たとえば、あのジグザグな文字組みは「古畑任三郎」「新世紀エヴァンゲリオン」などでもおなじみだ。

 初めに述べたとおり、私は市川の名前をあまり意識していなかった。あの評判に高い「東京オリンピック」(1965年)も実は未見。それでも市川のフィルモグラフィーを振り返ってみると、結構観ていたことに改めて気付いた。「犬神家の一族」(1976年)、「ビルマの竪琴」(1985年)などは当然にテレビ放映で観ているし、最近では「八つ墓村」(1996年)、「どら平太」(2000年)なども映画館でリアルタイムで観た。そもそも中学校の時に連れられて観に行った「竹取物語」(1987年)が初めての市川体験だった。その時は市川の名前は知らなかったが、とにかく映像がきれいだと見とれたことはよく憶えている。

 市川と岩井の共同監督による「本陣殺人事件」の企画が進んでいるらしい。市川の魅力を再認識し、もともと岩井ファンだった者としては是が非でも観たい。
(2007年1月20日、新宿ガーデンシネマにて)

【データ】
監督・脚本・編集・音楽:岩井俊二
プロデューサー:一瀬隆重
製作:ロックウェルアイズ、角川ヘラルド映画、オズ
配給:ザナドゥー
2006年/日本/83分

◆「犬神家の一族」

 「市川崑物語」にこの「犬神家の一族」の撮影風景やオープニングが織り込まれており、とりわけテーマ曲が何となく懐かしい感じで耳に残り、つい観に来てしまった。ディテールを観れば色々な工夫はあるのだろうが、昔の「犬神家の一族」と比べて、ストーリーは勿論、全体的な雰囲気についてもそれほど変わり映えするわけではない。市川崑ファンが昔懐かしむという趣旨の企画なのだろう。それにしても、こんな陰惨でグロテスクな筋立てを、ある種の叙情性すら漂う映像世界に仕立て上げてしまう手腕には改めて驚かされた。
(2007年1月21日、新宿スカラにて)

【データ】
監督・脚本:市川崑
出演:石坂浩二、松嶋菜々子、富司純子、松坂慶子、加藤武、大滝秀治、中村敦夫、仲代達矢、他
2006年/日本/東宝/135分

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2007年1月23日 (火)

沢木耕太郎『危機の宰相』

P1070023 ◆沢木耕太郎『危機の宰相』(魁星出版、2006年)

 ルーザー(敗者)という言葉にどのような奥行きを読み取るかによって、その人の人生観が如実に表われるように思う。高度経済成長の人物的象徴とも言うべき宰相・池田勇人。「所得倍増」という経済政策のブレーンとして池田を支えた下村治と田村敏雄。彼ら三人からルーザーという共通項を見出すのを果たして奇異に感じるだろうか?

 沢木のノンフィクションにはスポーツを題材として取り上げたものが多い。私はスポーツには全くと言っていいほど興味がないのだが、『敗れざる者たち』には心をとらえられ、とりわけ『一瞬の夏』のカシアス内藤の姿には、落胆、共感、諸々の気持ちがたかぶるのを抑えられなかった。不遇だけど頑張った、という類の話ではない。勝ち負けとは全く異なる次元で、その人を衝き動かしていた“やむを得ざる何か”を描き出しているところに大きな魅力がある。

 池田は病を得て官僚としての出世競争から早々と脱落したが、時代の運命の中で一国の総理となった。彼を支えた下村や田村にもそれぞれに葛藤があった。スポーツと経済論戦、舞台は違う。しかし、当たり前な世間の視線からは漏れてしまっていた、彼らそれぞれが内に秘めていた“やむを得ざる何か”、そこに注がれる沢木のまなざしがやさしく熱い。

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2007年1月22日 (月)

アトランダムに3冊

 読んだ本について書きとめたメモをいちいち整理してなかったのでバラバラです。たまたま見つけた去年のメモを切り貼りしました。従って、何の脈絡もありません。

◆池内恵『書物の運命』(文藝春秋、2006年)
 気鋭のアラブ研究者が雑誌や新聞に執筆した書評・論考をまとめた一冊。専門分野以外の書評もしっかりしているが、専門の中東問題についていくつか興味深い指摘があった。「中東」幻想は、マルクス主義など従来の概念枠組みが崩れて判断基準を失ってしまった一部の知識人にとって代替的な拠り所となっている。従って、彼らの発言は、その論じ方の裏を読むと、中東問題そのものについて論じているというよりも、むしろ日本内部での論争枠組みを中東問題に投影しているに過ぎないこと。また、「近代化論」や「原理主義」という用語は、反米意識の裏返しとして中東肯定がまずありきという風潮の中、有効な認識ツールとして使えなくなっていることなど、アラブ社会の内面を熟知した若手ならではのリアルな認識を踏まえた議論には説得力がある。

◆小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ、2006年)
 陽明学・水戸学を軸として幕末以降、近代日本の思想史を読み直そうと本書は試みている。日本思想としての陽明学について知りたいと思って書店に行っても安岡正篤の本か専門家の研究書しか見当たらない。アカデミックで手頃な類書がなかったので興味を持って手に取ったのだが、本書には感心できなかった。語り口は軽妙といえば確かにそうも言えるが、一方的な断定が目立ち、悪ふざけが過ぎる。内容的な判断は保留して、思想史を勉強する事項整理のためと割り切って通読する分には役立つと思う。

◆富岡多恵子『釋迢空ノート』(岩波現代文庫、2006年)
 折口信夫という人の残した足跡はまことに大きく、彼の全体像を把握するのはなかなか骨が折れる。私は以前、民俗学に興味を持っていたことがあり、当然ながら折口のテクストにも多少は触れたことがある。しかし、彼の民俗学や古代研究には、歌人としての折口のもう一つの顔が分かちがたく絡まっており、詩的な感性に乏しい私にとって、魅力を感じつつ、しかし私が入り込むような世界ではないのだろうという引け目を感じたことが記憶に残っている。本書では、折口の家庭環境における父への軽蔑、人からははばかれる同性愛、大阪という町の中で彼の繊細さは浮き上がり、むしろ気質的な暗さを内向させてしまったことなどが描かれる。富岡が詩人としての感性を武器に折口の情緒的な内面まで、跳ね返されながらもなおかつ踏み込みもうとする丁々発止の切り結びには迫力がある。

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2007年1月20日 (土)

「ハミングライフ」

(以下、内容に触れていますので注意)

 父親の反対を押し切って上京した藍(西山茉希)は就職活動中。服飾の仕事をしようと面接をいくつも受けているが、なかなかうまくいかない。仕方ないので通りがかりの雑貨店でアルバイトを始める。その日、公園で犬をみつけた。名づけてドドンパ。そばにある木のウロをのぞくと、小さな箱がある。中には誰かさんのメッセージ。犬のイラストがかわいかったので持ち帰り、代わりにお返事を入れた。こうして、物語づくりの好きな見知らぬ誰かさんとの文通が始まる。

 一つ一つの小さな営み。注意して目をこらしてみると、誰かの残した確かなしるしが街のあちこちに刻み込まれている。つまらないものと見過ごしてしまうかもしれない。しかし、そこに込められた人それぞれの想いを一つ一つ丁寧に拾い上げていくことは、逆に自分自身にとってかけがえのないものが一体何なのか、自らに問い直すきっかけとなる。

 雑貨店の理絵子さん(佐伯日菜子)が初めて仕入れたというカエルの置物。見知らぬ誰かさん(井上芳雄)のつづる物語。藍は他の人が抱く様々な想いに触れ始めたが、そんな時、せっかく仕事に慣れてきた雑貨店は店じまい。さらにドドンパがいなくなり、手紙を入れていた箱が消え、落ち込んだ藍は、自分の打ち込めるものは何なのか、もう一度考えなおすことになる。就職の面接では型通りの受け答えしかできなかった彼女だが、他の人にとってのかけがえのないものに共感し、何かを失うつらさを知ったいま、自分自身のものを着実につかみ取れそうだ。

 少女マンガっぽい雰囲気は好みが分かれると思うが、私は悪くないと思う。監督の窪田崇の作品を観るのはこれが初めてだけど、映像のつくり方がとてもうまい。とりわけ、街を描くときの光のあて加減がいい。登場人物の気持ちの揺れとそれに反応するかのような街並みそのものが持つ表情を浮かび上がらせ、通りすがりにはどうでもいいかもしれないが、そこで暮らす人の視線を感じさせる。藍が故郷の母親と電話で話している時の、部屋の中のぼんやりした薄暗さと窓の外に見える夕暮れ色に染まった街と空とのコントラストが私は好きだ。

 難点があるとすれば、主役の西山がこの映画のイメージと微妙にずれること。彼女の存在感は決して悪くないのだが、あまりにも美形なので、このしっとりとしたストーリーから浮き上がってしまう気がした。もう少し泥くさい方がいいと思うのだが、かと言ってたとえば池脇千鶴だと逆にはまり過ぎてつまらない。難しい。

【データ】
監督:窪田崇
原作:中村航
配給:フロンティアワークス
2006年/日本/65分/カラー/シネマスコープ
(2007年1月16日、テアトル新宿でのレイトショーにて)

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2007年1月19日 (金)

東京都写真美術館

 ホールで上映中の「恋人たちの失われた革命」を観に来たのだが、上映開始まで時間があったので展示を観てまわった。

 「球体二元論:細江英公の世界」展。土方巽を故郷の秋田で撮った『鎌鼬』(1969)が印象深い。村はずれのキチガイ、それを村人が穏やかに受け入れるという感じ。屋根から飛び降りる土方を見て驚く子どものおびえた表情がかわいい。暗黒舞踊について私は詳しいことを知らないのだが、あの雰囲気が農村の風景の中では意外と素直に収まるので驚いた。モダンというよりも、逆に土着的な情念の表れなのだろう。そこから切り離して無機質な都市空間に置いて観ようとするから妙な違和感があったのだと納得した。

 三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』(1963)。三島の力みかえったポーズを見ていると、思わず吹き出してしまいそうだ。三島のナルシシスティックな構えが私はどうにも好きになれない。これに対して、土方や大野一雄の、異世界に没入してしまったおどろおどろしさがこの世に顕現したかのような姿には、不思議と視線を釘付けにする強さがある。

 「地球(ほし)の旅人──新たなネイチャーフォトの挑戦」展。菊池哲男、前川貴行、林明耀の三氏による動物写真、風景写真の展示。動物たちのユーモラスで愛嬌のある表情に顔をほころばせ、山岳雪渓の雄大さには胸がすくような心地よさ。細江の濃い世界を観た後には一服の清涼剤のようで気持ちが落ち着く。

 「光と影──はじめに、ひかりが、あった」展。光と影のコントラストをテーマに焦点をしぼり、モホイ・ナジ、マン・レイから現代の写真家までを取り上げている。私は写真論には詳しくないので、光の出し具合そのものに工夫をこらした作品には実はあまり興味がそそられなかった。

 写真美術館では常に三つの展示を並行して行なっているので、丁寧に観ていると時間がかかる。ホールや近くのガーデンシネマでの映画鑑賞を組み合わせると一日かけて優雅な時間を過ごせる。(2007年1月14日)

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2007年1月18日 (木)

「恋人たちの失われた革命」

 1968年のパリ。いわゆる“五月革命”と呼ばれた学生運動が盛り上がる世相を背景として、芸術や恋に情熱を燃やした青年たちの夢見る日々と挫折を描く。モノクロームの映像は、レトロスペクティヴな懐かしさを感ずる人もいるだろうが、私には一時代昔の別世界を垣間見るような感じ。音楽は、登場人物の心情を点描するように時折ピアノが入るだけで、全体を通して静か。その分、青年たちの微妙な表情の動きを捉えようと意識が働く。とりわけ、フランソワ(ルイ・ガレル)とリリー(クロティルド・エスム)の表情はモノクロームの効果で陰影がくっきりと描かれ、目がさめるように美しい。

 私は、学生運動に参加したことを自慢げに語る単細胞オヤジが大嫌いだ。そういうおっさんどものノスタルジーをかき立てる映画かと、実は警戒しながら観ていた。しかし、そのようなコンテクストからは切り離して観る方がいいだろう。青年期にありがちなシニカルな強がりと、一方で繊細な純情とがバランスの取れない葛藤、そこを青年たちの表情の揺れをパッチワークするように描いているところにはひきつけられる。とりわけ、リリーがパトロンのいるアメリカへ旅立ち、フランソワが一人部屋に残されてしまうあたり、ドラマとしての盛り上がりは極力排して淡々と進行しているだけ余計に、自分をその立場に置き換えて寒々とした部屋の雰囲気をつい想像してしまい、身につまされる思いがした。

 評判が高いらしく、客席の大半は埋まっていた。しかし、正直に言うと、退屈だったことも否定できない(こういう作品を退屈だなんて言うと、鑑賞眼のある方々から軽蔑されそうだが…)。隣に座っていたカップルの女性は頻繁に座る姿勢を変えて落ち着きがなかったし、上映が終わった途端うしろからため息のもれるのが聞こえた。こうしたタイプの映画を観慣れない人にとって三時間にわたる拘束は拷問に近いのかもしれない。デートにはふさわしくないと思う。

【データ】

原題:Les Amants Réguliers
監督:フィリップ・ガレル
2005年/フランス/182分/モノクロ
配給:ビターズ・エンド
(2007年1月14日、東京都写真美術館ホールにて)

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2007年1月17日 (水)

「パプリカ」

◆「パプリカ」

 他人の夢に侵入できるPT機器。不安神経症治療のために開発されたものだったが、何物かによって盗まれてしまった。人々の無意識が混淆し始めるパニックの中、パプリカと呼ばれる“夢探偵”が出動する。筒井康隆の原作を手際よくアレンジし、人間の無意識が織り成す有象無象をイメージ化したアニメーションである。

 今敏には「パーフェクトブルー」(1997年)や「千年女優」(2001年)などの作品があるが、いずれも登場人物が目まぐるしく入れ替わるスピーディーでリズミカルな映像作りの巧みさに感心した。そうした映像構成が、今回の「パプリカ」でも、夢に現れる取り留めない無意識の世界を描き出すのに効果的に使われている。流れるように転変する映像に平沢進の音楽がうまくのっており、これも良かった。帰りにサントラを買ってしまった。

【データ】
監督:今敏
原作:筒井康隆
音楽:平沢進
声の出演:林原めぐみ、江守徹、大塚明夫、古谷徹、山寺宏一、筒井康隆他
2006年/90分
配給:ソニー・ピクチャーズ
(2007年1月13日、テアトル新宿にて)

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「硫黄島からの手紙」

◆「硫黄島からの手紙」

 クリント・イーストウッド監督による硫黄島シリーズ第二部。第一部「父親たちの星条旗」ではアメリカ側の視点で戦争の不条理が描かれていたが、こちらは日本側の視点で硫黄島の凄惨な戦いを描く。

 栗林中将の親米的な部分を強調するなどアメリカの観客を意識したと思われるシーンもあるが、概して冷静かつ公平に戦場を描こうとした重みはずっしりとある。こうした映画が日本人を主役としてハリウッドで作られたこと自体、少々感慨深い。渡辺謙は「ラスト・サムライ」に引き続き日本の良き武人像を演じた。かつて海外ではMIFUNEがそのイメージだったが、これからはKEN WATANABEなのだろうな。

【データ】
監督:クリント・イーストウッド
製作:スティーヴン・スピルバーグ
出演:渡辺謙、二宮一也、伊原剛志、中村獅堂、加瀬亮他
2006年/アメリカ
(2007年1月13日、新宿ミラノ座にて)

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2007年1月16日 (火)

「海でのはなし。」

 宮崎あおいと西島秀俊は以前から気になっている俳優だ。カゲのある表情、それも透明感のあるピュアなカゲリを表情で出せると言おうか。私が観ようとする映画によく出てくるので意識するようになった。そんな二人を主役にスピッツの曲をイメージしているというのだから期待しないわけがない。

 だが、結論から言うと、これは明らかに駄作だろう。ストーリーがあまりにもベタで、あきれるというのを通り越して、吹き出してしまうのを我慢していたくらいだ。曲の合わせ方もいまいち。スピッツの曲と宮崎・西島の取り合わせはイメージ的にぴったりだと思うだけに、本当にもったいない。

 上映終了後に監督の大宮エリーとおすぎのトークがあった。何でも、スケジュールの都合から一日で構想を立て二日で撮影を終えたらしい。その点だけで言うと、確かによくここまで小器用にまとめ上げたと感心はする。しかし、それはあくまでも製作側の都合だ。金を払って観に来た立場からするとどうにもいただけない。おすぎの映画評はいつもシビアで的確だと思うが、監督とは個人的に仲が良いらしく今回は歯切れが悪かった。「こういう映画があってもいいと思うのよ」「西島クンが出ているだけでもう最高!」というノリで、作品そのものについてのコメントは濁していた。

【データ】
監督・脚本:大宮エリー
2006年/71分/カラー
配給:リトルモア
(2007年1月12日、ユーロスペースのレイトショーにて)

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2007年1月15日 (月)

中岡望『アメリカ保守革命』

 昨年のアメリカ中間選挙の結果を受け、ブッシュ政権へのネオコンの影響力は低下した。9・11同時多発テロからイラク戦争に至るまでマスメディアにも盛んに登場したネオコン──その思想的な核心がどこにあるのか、実は私はいまだにピンときていない。政策の誤りをあげつらうのはたやすい。しかし、彼らを駆り立てた動因が何であったのか、そこをしっかりと押さえておかなければ建設的な批判はできない。

 そうした中、本書は戦後アメリカ政治史の文脈におけるネオコンも含めた保守主義の系譜が整理されており、一つの見取り図を得たという点で有益であった。

 一般的に保守主義の思想的な特徴としては次の点が指摘される。第一に、神の前において人間の賢しらを戒め、進歩主義的な観念論を偽りごととして批判する。それは、戦後政治においては反共・反リベラルとして特徴付けられる。第二に、政府機能は縮小させ、かわって各人の家族や共同体への帰属意識を重視する。第三に、経済的な自由競争、自己責任原則を主張する。ただし、これらが一律に主張されるわけではなく、宗教的倫理重視の伝統主義者と経済的自由重視のリバタリアンとが絡み合っている。

 アメリカでは、F・D・ローズヴェルト政権のいわゆるニューディール政策によってリベラルが政治の主流となりつつあった。そうした趨勢に対して戦後、保守主義思想は自前の立場を主張し始める。いわゆる保守主義革命は三段階に分けられ、第一段階は1950年代、理論構築の時期。第二段階は1960年代半ばからで、保守主義者は共和党に入って政治活動を開始した。そして、1981年に誕生したレーガン政権への参加が第三段階となる。

 しかし、レーガン政権への参加に伴う人事抗争、さらにはソ連という共通の敵が消滅したことにより、保守主義者内部の争いが表面化した。具体的には、キリスト教右派などポピュリスティックな人々を中心とするペイリオコン(Paleo-Conservatism=旧保守)と、インテリ中心のネオコン(Neo-Conservatism=新保守)とに分裂したのである。

 両者は次の点で相違する。第一に、ペイリオコンとは異なり、ネオコンは宗教的倫理観を最優先課題とは考えない。たとえば、ネオコンの中に同性愛者がいたらしいが問題にもならなかったという。ペイリオコンには生まれながらの伝統主義者が多いのに対し、ネオコンには左翼からの転向者が多いという出自の違いもある。

 第二に、ペイリオコンの主張が極めて情緒的であるのに対し、ネオコンは政策科学的な理論武装をもとに論陣を張った。たとえば、ペイリオコンは福祉国家を悪しきものとして一方的に排斥するだけである。しかし、ネオコンは統計データを分析して比較考量し、福祉政策によって依存者が増えるというマイナスよりも、福祉政策を撤廃したときの生活困窮者の問題の方が深刻であるならば、福祉政策路線を継続させるというリアルな対応を取る。こうした政策ブレーンとしての有用性がレーガン政権以降ネオコンが重用された理由である。

 第三に、国際政治への対応として、ペイリオコンは伝統的な孤立主義を主張する。共産主義は倒れたのだからこれ以上アメリカは世界にしゃしゃり出てゆく必要はない。これに対してネオコンは、国際秩序の形成にアメリカは責任を持つべきであり、そのためには軍事介入も躊躇してはならないと考えている。

 ネオコンにはユダヤ人やカトリックが多く、その世界観には一神教的・十字軍的な使命感が垣間見られると指摘される。イラク戦争の理由を石油利権等の分かりやすいファクターで説明しようとする議論がたまに見られるが、そんな単純な問題ではない。こうした思想的な側面からさらに掘り下げた説明を私は最も期待していたのだが、紙幅の制限のためでもあろう、本書ではなかなか難しいようだ。

 アーヴィング・クリストル(Irving Kristol)がネオコンの理論的なキーパーソンとなるらしい。しかし、彼も含めてネオコンのスタンスを一貫的に主張した理論書はないという。ちなみに息子のウィリアム・クリストル(William Kristol)はホワイトハウス入りして政策立案で大きな役割を果たした。

 独善的な理念の暴走を戒めるというのが保守主義思想の真髄であったはずだ。そこから考えると、ネオコンというのは、まとっている衣は保守主義であっても、根本的にどこか異質な部分がある。その異質さを浮き彫りにした研究があれば是非とも読んでみたい。

【取り上げた本】

中岡望『アメリカ保守革命』(中公新書ラクレ、2004年)

(2007年1月3日記)

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2007年1月14日 (日)

「送還日記」

 韓国政府によって逮捕された北朝鮮のスパイを我々はどのように考えるだろうか。北朝鮮が様々に問題含みな体制であることを目の当たりにしている現在、決して良い感情を持つことはないだろう。

 韓国の公安当局によるあの手この手の攻め技にも耐えて数十年ものあいだ非転向を貫いた北朝鮮のスパイが、南北の協定によって北へ送還されるまでの日々を数年にわたって撮り続けたドキュメンタリーである。

 監督は比較的若い世代に属する。言動からみると、朴正熙もしくは全斗煥政権時代に学生運動に参加した世代だろう。韓国の学生運動世代は、軍事政権への反発から、韓国政府の言うことはすべて疑ってかかるという癖がついており、監督は北朝鮮のスパイについても冤罪だと思っていたらしい。

 当然ながら、監督の基本的な政治姿勢としては反韓国保守政権の立場で、南北統一のために北朝鮮と共同歩調を取るべきという考え方を持っている。しかし、映画を撮り進めるうちに国際的な政治環境が大きく変化した。これに伴い、北朝鮮の抱えるいびつな問題から眼を背けることもできなくなってきた。そうした変化が監督たちの視線にも微妙な揺れを及ぼしているのがこの映画の一番興味深いところだ。

 ある日本人ジャーナリスト(石丸次郎)が、もともと北に親近感を持っていたにもかかわらず、北の実情を知るにつれて「いまや南北関係が問題なのではない。北朝鮮そのものが問題だ」と発言するシーンがある。監督はそれを否定しないが、「しかし、アメリカが強硬姿勢を崩さない以上、戦争体制の継続はやむを得ないのではないか」というコメントをつける。焦点のずれた強弁にしか聞こえないが、裏読みするならば監督自身の動揺が屈折して表われているとみることができるだろう。

 監督たちと非転向囚との付き合いをみている限り、一対一の人間関係としてのあたたかい雰囲気もある。しかし、彼らが折に触れて共産主義万歳、金日成主席万歳というイデオロギー論をぶち上げることには、北に同情的な監督たちといえども食傷気味なのがうかがえる。

 彼ら非転向囚と監督との間に、本当に感情的な面での交流があったのか、この映画を通してみるだけでは実のところよく分からない。北に帰った非転向囚たちがピョンヤンでのイベントに出席し、パリッとした服装に勲章をぶら下げた姿を見た時には、監督たちも違和感があったようだ。「彼らは帰るべきところ、家族のところに帰ることができて本当によかった」というコメントが映像にかぶさる。だが、監督たちのコメントから「南北統一のために」という政治スローガンがいつしか消えているのは、私の聞き落としだろうか。

【データ】
監督 キム・ドンウォン
製作 プルン映像企画
韓国/2003年
(2006年4月、渋谷シネラセットにて)

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2007年1月13日 (土)

ノンフィクションを2冊

P1050025 ◆髙山文彦『麻原彰晃の誕生』(文春新書、2006年)


 オウム真理教をどのように捉えればよいのか、なかなか糸口が見えない。そうした中、本書は麻原彰晃という人物のたどった軌跡を丹念な取材によって描き出し、彼の抱えたコンプレックスにまで踏み込もうとしたノンフィクションである。

 内容的には興味深いのだが不消化感が否めない。オウム真理教を考える上で、オカルトの話題が避けられないのはわかる。しかし、本書の後半、日猶同祖論で有名な酒井勝軍(さかい・かつとき)に麻原が関心を持ち、酒井が探し求めていたという“ヒヒイロカネ”をオウムもまた探し求めていたという話題に集中してしまうのは明らかに脱線だ。

 “ヒヒイロカネ”の研究に生涯をかけた市井の人物がいたことには、オウムという文脈を離れたところで興味はわく。だが、麻原及びオウム真理教に集った人々の精神形成をどのような社会的背景の下で位置づけるかという問題関心で読もうとする人には不満が残るだろう。

◆奥野修司『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋、2006年)

 神戸市須磨区のいわゆる「酒鬼薔薇」事件は現代社会を映し出す鏡であるかのように位置づけられ、いまだに議論が絶えない。ところが、これよりも二十年以上前に似たような事件があったことは一部では知られていたものの、格別な注目は引いてこなかった。本書はその昔の事件の関係者に肉薄し、少年法の問題を浮き彫りにしようと試みる。

 犯人が殺人を犯したにも拘わらず法的に保護され、こともあろうに弁護士になっていたという事実は衝撃的である。それ以上に私は、遺族の長年にわたる葛藤に胸を打たれた。殺した側は社会的地位を築き上げて優雅な生活を送る。対して遺族は、殺された少年の記憶を抱えて生活も希望も何もかもがズダズダに引き裂かれたまま。二重の不条理に耐え忍ばねばならない姿には本当に言葉がない。

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2007年1月12日 (金)

ソクーロフ監督「太陽」

P1050028_2 アレクサンドル・ソクーロフ監督「太陽」

 この映画が上映されたのはちょうど八月の暑い盛り。封切初日、土曜日だったが残業を午前中で済ませ、上映館の銀座シネパトスへ足早に向かった。かつて川が流れていたところを埋め立てた跡に作られた地下の映画館である。壁は銀座線の線路に接しており、静かな時にはゴーッと電車が走る音が聞こえ、オシャレな映画をかけるミニシアターとは趣きが違う。焼きトン屋が並び、昼から酒が呑めそうな猥雑なたたずまいには不思議な味わいがある。

 次々回のために並ぶ人がいるほどのものすごい行列であった。小泉首相の靖国参拝が取りざたされており、また少し前には昭和天皇のもらしたA級戦犯への厳しい意見が記された「冨田メモ」を日本経済新聞がスクープしたこともあって、この映画もそうした政治的な雰囲気の中で盛り上がるのではないかという気配もあった。

 だが、今になって振り返ってみると、騒ぎは全くといっていいほどなかった。映画の内容を考えれば当然だろう。

 この映画が史実に基づいて時代考証がなされているかどうかは、たいした問題ではない。もちろん、ソクーロフ自身、学生時代には歴史学を専攻し、日本史にも関心を寄せていただけあって考証はむしろしっかりしていると言える。登場人物のセリフは『昭和天皇独白録』(文春文庫、1995年)の記述を踏まえている。

 だがこの映画の目的は、天皇を史実に沿って描くことではない。ソクーロフのイマジネーションをもとに、一つの物語として奥行きをもって完結しているところにこの作品の大きな魅力がある。ベルヒデス・ガーデンでのヒトラーとエヴァの一日を描いた「モレク神」(1999年)にしてもそうだったが、どこか現実離れした神話的舞台を現代という時代に設定しようとする意図がソクーロフにはあるのではないか。

 神秘のヴェールにつつまれた“神の子”。しかしそれが「私も君たちと同じ体を持っている、同じ人間なんだよ」と語る。歴史的・政治的文脈からは人間宣言云々という話題に引き寄せられてしまうだろうが、ここに描かれるのは、神秘さゆえに地上に降りられない、特異な宿命を負わされた人間の孤独である。繰り返すまでもないだろうが、それは歴史上の昭和天皇ではない。神話的な純真さが世の中の現実に触れようとしたときに誰しもが抱きやすい、恐れや望みのないまぜになった傷つきやすい感情のイメージである。

 イッセー尾形の演ずる妙に癖のある昭和天皇は最初違和感があった。しかし、その愛嬌のあるキャラクターは、見ているうちに親しみを覚え、映画が終る頃にはすっかり好きになっていた。天皇を題材に取り上げるとなると一昔前ならナーバスになったろうが、そうしたこわばった構えはこの映画には全くない。政治映画ではないからこそ、この映画については素直に良かったと言える。

【データ】
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形、佐野史郎、桃井かおり、ロバート・ドーソン
ロシア・イタリア・フランス・スイス合作/カラー/115分

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2007年1月11日 (木)

中国国家博物館名品展「悠久の美」

  中国国家博物館名品展「悠久の美」

 三年ほど前に、中国歴史博物館と中国革命博物館とが合併して中国国家博物館となった。その改築休館に合わせて所蔵品の一部を日本で展覧されることになったという。青銅器から唐三彩までが時代順に並べられており、展示品目がしぼられているのでゆっくり観て回っても疲れることはない。

 私は唐三彩の色合いというのが実はあまり好きではない。だが、殷の時代の青銅器は昔から気にかかっていた。武器と酒器が中心で、いずれもおそらくは祭祀用。とりわけ、酒器に細かく刻み込まれた饕餮文(とうてつもん)はいつ見ても強烈な印象を残す。すき間を一切あまさず文様で埋め尽くそうとする粘っこい執拗さは、盲目的なまでの意志の強さを感じさせる。それこそ呪術的なまがまがしさが醸し出され、観る者の視線をつかんで離さない。

 見所の一つは、滇(てん)の青銅器だろう。滇とは現在の雲南省あたりに栄えた国である。近年は、古代中国文明を単一の枠組みで捉えるのではなく、周辺文化圏のそれぞれにオリジナリティーを持った存在感を考古学的に解明する作業が着々と進められている。滇もそうした文化圏の一つで、北方とはまた異なった高度な青銅器技術を有しており、紀元後一世紀くらいに中国文明に飲み込まれてしまうまで存続していた。「漢委奴国王」印と同じ形式の金印が出土しており、「邪馬台国」と同様、漢王朝と朝貢関係を結んでいたことが分かる。ある時期までは牛をモチーフとした青銅器が多いこと、子安貝を納めた貯貝器(ちょばいき)が多く見つかっていることなど、黄河・長江流域の青銅器とは異なった特徴があり、興味深い。

(2007年1月7日、東京国立博物館にて)

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2007年1月10日 (水)

博物館にまつわる思い出

 博物館・美術館というカテゴリーを設定するにあたり、まずは私自身の思い出話から。

 私の最も気分の落ち着く場所が東京に二ヵ所ある。その一つが、上野の東京国立博物館、とりわけ東洋館だ。初めて来たのは中学一年生の夏休み。自由研究の課題に中国古代文明をテーマとして選び、説明文のメモを取ったり、青銅器をスケッチしたりした。シルクロードに憧れていたので、大谷探検隊の将来品を見るのも楽しみだった。時を超え、国境を超えた未知の世界に息づく人々のドラマに想いを馳せ、胸をときめかせていた。

 以来、現在に至るまで社会人になっても年に最低2回以上は通っている。当初は純粋に所蔵品を眺めに来ていた。しかし、時が経つにつれ、ここに来る意味合いが変わってきた。たとえば、深刻な壁にぶつかって自分の思い通りにならない悔しさを抱えた時、ふと気付くと東洋館の中を歩きながら物思いにふけっていることが再三ならずあった。中学生の時には抱いていた未知なるものへの憧れを、もう一度自分の胸に呼び覚ましたかったのだと思う。

 大学は躊躇なく文学部を選び、一年の教養課程を経て史学科の民族学考古学専攻に進んだ。疑いの余地のない選択のはずだった。ところが、専門課程に進んだ途端、何かが違うと思い始めた。同じ専攻に所属する人たちとの肌合いの違いを感じていた。私は単に古代史マニアだったわけではない。現代史への関心も昔から強く、政治の議論が好きだった。そして何よりも、青春期にありがちな人生上の煩悶にとりつかれ、哲学書を読み漁っていた。考古学なんてまどろっこしいことなどやってられないと思うようになり、専門の授業に全く興味が持てなくなった。退学という選択肢も真剣に考えた。自然と授業から足が遠のき、大学のキャンパスに行っても図書館にこもることが多くなった。

 私の通っていた大学のキャンパスには複数の図書館がある。私の気分の落ち着くもう一つの場所というのが、そのうちの旧館と呼ばれる建物だ。明治の末頃に建てられて関東大震災や戦災もくぐり抜け、重要文化財に指定されている。ここの蔵書は古い専門書や洋書(ヨーロッパ諸語ばかりでなく、中国語、韓国語、アラビア語、ペルシア語など様々な言語の本があった)中心なので、人はほとんど来ない。外の喧騒から隔絶された古びた空間の中で古今東西様々な本の背表紙を眺めているだけでも幾分かは気分が晴れた。

 大学の授業のすべてがつまらなかったわけではない。今から振り返っても出席していて良かったと思うのがいくつかある。その一つが博物館学という授業だ。本来は学芸員資格取得のための講義なので(無論、その頃の私にはそんな気持ちは失せていたが)、毎週のように博物館・美術館を観に行きレポートを提出することが義務付けられた。古美術からポップアートまで幅広い展覧会を集中的かつ強制的に観ることになった。予備知識がなくてチンプンカンプンな場合がほとんどなので、自分なりに勝手に脈絡をつけてテーマをでっち上げる形でレポートをまとめた。いい加減なものだが、そうした試行錯誤をせざるを得なかったおかげで、“モノ”そのものをじっくりと観てそこから自分なりの面白さを引き出そうと努める習慣が身についた。

 気軽に展覧会に行く習慣は今でも続いている。折に触れて観に行った際のメモを随時載せていきたい。

(2007年1月7日記)

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2007年1月 9日 (火)

「ダーウィンの悪夢」

 アフリカ中東部のヴィクトリア湖。かつては豊かな生態系の息づいていた湖だったが、四十年ほど前に何者かがナイル・パーチという魚を放流したことにより様相が一変してしまった。ナイル・パーチは肉食魚で他の魚を喰いつくし、以前は二百数種もの魚がいたヴィクトリア湖はほとんどナイル・パーチの天下となった。このナイル・パーチは食用となるためタンザニアの主要輸出産品となったが、ここからも連鎖的に様々な社会的矛盾が顕在化することとなる。そうした有り様を現地の人々へのインタビューを通して浮き彫りにしようとしたドキュメンタリーである。

 グローバリゼーションの進展によって世界の隅々まで単一の経済システムに組み込まれてしまった。その矛盾によるしわ寄せを問おうとするのがこの映画のテーマである。観ていて最も強く感じたのは、意図的な悪人が実は存在しないという不気味さだ。ナイル・パーチを放流した者が悪いと言えるのか。しかし、彼はこんな事態を予見していたのだろうか。ヨーロッパや日本もここから魚を輸入している。だから先進国が悪い、と単純に言えるだろうか。もしそう言えるのであればむしろ話は早い。問題点を整理すれば解決策を編み出せる。先進国は、意図しようとしまいと、こうした搾取構造にのっかっている以上、心の痛みを感ずべきなのは当然である。だが、同時に、どうしたら良いのか方法が見つからないというのも事実なのだ。魚の輸入をやめれば片付くような容易い問題ではない。現地の人々が悪いと言えるのか。与えられた条件の中で、各自が自身にとって最も利益にかなうよう振舞おうとすると、ますます泥沼にはまり込んでしまうというやりきれない不条理がある。工場経営者も、売春する女性たちも、戦争待望を語る警備員も、道徳的な問題とは別の次元で、それぞれ食っていくためにできることをやろうと精一杯なのだ。

 この映画を通して示されている矛盾とはどのようなものか。各自が最適行動を取れば結果として自然調和的に機能するという意味でのグローバルな自由経済システムなど所詮は幻想に過ぎないこと。経済システムの持つ匿名性により、外部不経済的なしわ寄せを、国境というフィルターを通して我々の見えない所に押し付けていること。そして、そうした経済システムは人間の便宜によって作られたはずであるにも拘わらず、むしろ人間の方を翻弄する巨大なモンスターとして我々の前に現れていること。誰それのせいだ、と特定の主体に帰責するだけでは済まない、従って解決策が見えないという根本的な不条理がある。そうした意味でこの映画は、ショッキングでやりきれない問題提起をしている。

(2007年1月8日、渋谷・シネマライズにて)

【データ】
原題:Darwin`s Nightmare
監督・構成・撮影:フーベルト・ザウパー
2004年/フランス・オーストリア・ベルギー/112分

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2007年1月 8日 (月)

戦場つながりで2冊

たまたま2冊続いただけで、このつながりに深い意味は何もありません。P1050023

◆馬渕直城『わたしが見たポル・ポト──キリング・フィールズを駆けぬけた青春』(集英社、2006年)

 カンボジアといえば、映画「キリング・フィールド」(1984年)の凄惨な映像をまず思い浮かべる。それだけショッキングな映画であった。しかし、本書によるとあの映画及び原作となった手記はかなり眉唾ものらしい。著者は報道カメラマンにあこがれてカンボジアに身を投じてから三十年が経つ。現地で出会った一ノ瀬泰造、共同通信の石山幸基記者の死をのりこえ、晩年のポル・ポトのインタビューに成功するなど筋金入りだ。映画はウソであっても、そうしたセンセーショナリズムとは違った根深い苦しみをカンボジアは被った。死地をかいくぐった人ならではの視点には、新聞報道や定説とは異なった迫力がある。

◆梯久美子『散るぞ悲しき──硫黄島総指揮官・栗林忠道』(文藝春秋、2005年)

 クリント・イーストウッド監督の硫黄島二部作「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」(現時点で後者は未見)が公開された。本書は、硫黄島の戦いにおける日本側指揮官・栗林忠道中将を描いたノンフィクションである。昭和の軍人というと教条的かつ高圧的という印象が強いが、角田房子の描く本間雅晴や今村均を挙げるまでもなく、敬意を表すべき人々もやはりいた。栗林中将もそうした一人である。

  彼が際立つのは、第一に子どもへの絵手紙を欠かさず書き送るなど、当時の日本軍人には珍しく家庭への配慮を隠さなかったこと。第二に、連合軍の戦略を分析した上で大本営の押し付ける作戦を覆す芯の強い合理主義(本来、軍人ならば当然なのだが…)。

 中将といえば一般兵卒からすれば雲上人。ところが戦後、捕虜を尋問したアメリカ軍は、ほとんどの兵隊たちが栗林から直接声をかけられたことがあるというので驚いたらしい。硫黄島に送られたのは戦争末期になって召集された老年兵ばかり。アメリカ軍の精鋭が五日で占領できると豪語した激戦をそうした日本軍が一月以上にもわたって持ちこたえることができたのは、兵隊たちの気持ちを指揮官が完全に掌握していたからだ。それは意図的なものではなく、家庭への細やかな思いやりと通ずるものだろう。そうした情愛と作戦立案で見せた合理精神とが良い形でミックスした軍人の姿は、独善的な思い込みで国家の命運を左右した軍事指導者と著しいコントラストをなす。

(2007年1月4日記)

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2007年1月 7日 (日)

最近の小説を3冊

P1040016  年末年始の一週間近く、インフルエンザで寝込んでいました。ボーっとベッドに転がっていると実に退屈。小説を買い込んだままほったらかしにしてあるのが結構たまっているのを思い出して、この機会に引っ張り出して読みました。

◆柴崎友香『その街の今は』(新潮社、2006年)

 夏の暑さがまだしつこく残る九月の大阪。歌ちゃんは会社が倒産したため、行きつけだった下町のカフェでバイトをしているが、次の仕事や男友達のことで気持がゆれる落ち着かない日々を過ごしている。彼女は大阪の昔の写真が好きだ。「自分が今歩いてるここを、昔も歩いてた人がおるってことを実感したいねん。どんな人が、ここの道を歩いてたんか、知りたいって言うたらええんかな? 自分がいるとこと、写真の中のそこがつながってるって言うか……。」昔の人の足跡もしっかりと包み込みながら街は少しずつ容貌を変えていく。そうした街の姿に、彼女自身新しい人生へと踏み出す戸惑いを重ね合わせる。格別に強い印象はないが、生まれ育った街への若い女性ならではの愛着が軽やかに描かれており好感を持った。

◆森絵都『いつかパラソルの下で』(角川書店、2005年)

 人はそれぞれにコンプレックスなり、トラウマなり、生きていく上でどことなくやりづらいというわだかまりを抱えている。その苛立ちから周囲とぶつかってしまう。そして、それは得てして誰かのせいにしやすい。たとえば、親のせい、家庭のせい。しかし、ある時、そうしたかたくななこだわりがふっきれ、ようやく自身の抱えるものを直視し、受け流せるようになる瞬間がある。この作品は、そうした瞬間をサラッと涼やかなタッチで描いており、読後感はなかなか快かった。

◆梨木香歩『家守綺譚』(新潮文庫、2006年)

 舞台はおそらく明治時代。著述をなりわいとする学士・綿貫征四郎は、学生時代に事故死した親友・高堂の実家で縁あって家守をしている。死んだはずの高堂が掛け軸の中から舟をこいで現れたのを皮切りに、不思議なことが次々と起こる。驚きつつも、目の前の出来事を無理やり納得させられてしまう綿貫の戸惑いがどこか可笑しい。季節の移り行きに応じ、草花にまつわるテーマがほのめかされる風雅な連作怪異譚。品の良いレトロ趣味を活かした作品集で、是非一読をお勧めしたい。

(2007年1月3日記)

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2007年1月 6日 (土)

バウマン『リキッド・モダニティ』

 ジークムント・バウマン(森田典正訳)『リキッド・モダニティ──液状化する社会』(大月書店、2001年)を取り上げます。今回はお勉強メモです。今、病み上がりで頭が回らず、うまくまとめられませんでした。取りあえず掲載しますが、書き直すことはないでしょう。著者のバウマンは1925年、ポーランド生まれ。現在はイギリスで活躍している著名な社会学者で、リーズ大学・ワルシャワ大学名誉教授です(2007年1月2日記)。

 我々を取り巻く“近代”と呼ばれる時代状況。これを端的に言い表すのはなかなか難しいが、伝統に縛られた共同体的なつながりが解かれ、個人を単位とした社会へ移行した点が大きな特徴として挙げられるだろう。

 ただし、一言で“近代”と言っても、近年は様相が大きく変わってきた。一定の共通枠組みによる見通しの中で、規範的にも物的にも個人をまとめあげて動員してきた従来の時代を「ハードウェア」型近代とするなら、これに対して現在進行しつつある状況を本書ではLiquid Modernity=「液状化した近代」と呼ぶ。

 「われわれの生きる時代は、同じ近代でも個人、私中心の近代であり、範型と形式をつくる重い任務は個人の双肩にかかり、つくるのに失敗した場合も、責任は個人だけに帰せられる。そして、いま、相互依存の範型と形式が溶解される順番をむかえている」(本書11ページ)。横の関係が全く切り離されてバラバラとなった中、自分が何をするのかという目標も、そのために用意する手段も参照すべき模範もなく、そもそも目標を立てる上での主体となるアイデンティティ形成も含めてそうした一切を自己の責任においてなさねばならないという徹底した個人主義の時代。いわば出発点も到達点もすべてが移ろう中で個人が戸惑うイメージがこの「液状化した近代」という言葉には込められている。

「それはちょうど椅子取りゲームの椅子のようなもので、形もスタイルもまるで違い、数も場所も刻々と変化する。人間は椅子取りゲームの椅子のような場所を求めて、つねに右往左往しつづけ、そのあげく、どんな「結果」も、安息もえられず、鎧をとき、緊張を和らげ、憂いを忘れることのできる最終目的地に「到達」したという充足感ももてない。(すでに、ひさしく)解放された個人が進みつつある道の果てにも、新しい居場所はみえてこない。」(本書、44ページ)

 我々は一定の見通しがあって、はじめて自身の目標を設定し、そこへ向けて邁進できる。しかし、あらゆる物事が変転する混乱の中では立ちすくむしかない。

 こうした個人化の進展は自己責任原則の徹底をも意味する。不幸は他ならぬ自分自身のせいである、挫折したのは自分の怠け癖のせいである、努力する以外に救済手段はない、というわけである。望もうが望むまいが関係なく時代の宿命的な成り行きにあり、そんな厳しい個人主義ゲームに参加したくないと言っても、退出の自由は許されない。

 もちろん、一つの精神論としては間違っているとは言えない。ただ、ここで問題なのは、あらゆる物事について自己決定できるという前提の下での形式的なイメージとしての“個人”と、現実の人間が持つ自己実現能力との間には大きなギャップがあることだ。本人の努力ではどうにもならない問題までもが自己責任という名目の下で断罪されてしまう。

「…病気にかかると、そもそも、健康管理指導を守らなかったからだと逆に責められる。また、失業者が就職できないのは、さしづめ、技量の習得を怠ったか、仕事を真剣に探していないか、たんに、仕事がきらいだからだと勘ぐられる。個人が仕事や自分の将来に自信がもてないのも、友人をつくることや他人を説得することが苦手だからか、自己主張の術と、相手に好印象をあたえる能力を習得していないからだときめつけられる。とにかく、だれもがこうした見方の真実性を疑わないのは、これが真実だと信じさせられているからだろう。ベックがもの悲しいいい方で、いみじくも語ったように、「組織の矛盾は人間の生き方によって伝記的に解決」されるのだ。社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、それらへの対処は個人に押しつける。」(本書、45ページ)

 こうした傾向の中、パブリックな感覚は失われつつある。個人の自己責任という教えが徹底されると、自分の目の前のできる能力の範囲内のことだけしか考えなくなり、政治や社会の問題についてまでは目を向けない。また、政治的な目標のために連帯することもなくなった。かつては社会的な矛盾がしわ寄せされた人びとが手を組んだ。いまや失敗はすべて本人のせいなのだから手を組む必然性はない。

 現代社会における特異な共同体のあり方を「クローク型共同体」としてバウマンは紹介する。

「劇場にでかける人間は、複層のそれなりの決まりにしたがって、普段着を異なる服を着る。こうした行動は劇場にでかけること自体を、「特別な出来事」とするのと同時に、劇場にあつまる観客を、劇場の外にいるときとは比べものにはならない均一な集団に変える。昼間の関心や趣味がどんなに違っていても、人びとは夜の公演になると同じ場所にあつまってくる。観客席に座るまえ、人々は外で着ていたコートやアノラックを劇場のクロークにあずける。公演中、すべての目、全員の注目は部隊にそそがれる。喜びに悲しみ、笑いに沈黙、拍手喝采、賞賛の叫び、驚きに息をのむ状況は、まるで台本に書きこまれ、指示されているかのように一斉におこる。しかし、最後の幕が降りると、観客たちはクロークから預けたものをうけとり、コートを着てそれぞれの日常の役割にもどり、数分後には、数時間まえにでてきた町の雑踏のなかへ消えていくのである。
 クローク型共同体はばらばらな個人の、共通の興味に訴える演目を上演し、一定期間、かれらの関心をつなぎとめておかなければならない。その間、人々の他の関心は一時的に棚上げされ、後回しにされ、あるいは、完全に放棄される。劇場的見世物はつかのまのクローク型共同体を成立させるが、個々の関心を融合し、混ぜあわせ、「集団的関心」に統一するようなことはない。関心はただ集められただけで、新しい特性を獲得することもなく、演目がつくりだす共通の幻想は、公演の興奮がさめると雲散霧消する。」(本書、257-258ページ)

 徹底した個人化の流れの中にあって、現実の人間はその矛盾に苛まれている。共同性を回復しようというかりそめの努力も、所詮はガス抜きに過ぎない。適宜なガス抜きを繰返すことで、個人化の傾向をむしろ永続化させる。

 バウマンの議論からは、ではどうすればいいのかという具体的な処方箋は見えてこない。しかし、様々なスタンスに立つ社会学者の議論を丁寧に消化した上で、以上に紹介したものに限らず現代社会を取り巻くおびただしくも豊かな論点が盛り込まれているので知的刺戟に満ちた一冊だと言える。

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2007年1月 5日 (金)

都築響一『TOKYO STYLE』

P1040017_2 『TOKYO STYLE』ちくま文庫、2003年
『賃貸宇宙』(上・下)ちくま文庫、2005年

 たまに知り合いの家を訪問したとき、部屋の中の何気ないレイアウトにも、その人の普段のたたずまいが何となく感じられて妙に納得してしまうことがある。私はまず本棚に目がいく.。意外な本が置いてあって「え、この人が」と一瞬虚をつかれても、よくよく考えてみると、その人の全体的な雰囲気の中に、むしろ奥行きをもってきちんと収まる。不思議なものだ。

 ちなみに私自身の部屋は、正直言って人を呼ぶにはあまりふさわしくない。本が棚に収まりきれず、段ボール箱につめて積んであったり、床にじかに積み上げて崩れていたり。片付けないと足の踏み場もないと文句を言われる。しかし、ちらかっているようでも、これはこれで私なりの秩序観=コスモスの表れなのだ(開き直るのはいいが、おおげさだね)。

 雑然とした部屋が私は結構好きだ。もちろん、文字通りのゴミためはご免こうむりたい。表現が難しいが、住む人の個性が筋道として浮かび上がってくるようなちらかり具合とでも言おうか。結局、その人なりに自然と落ち着く形に素直に従っておけば、本人の気持が安定するし、だからこそ部屋の個性が見えてくるのだろう。

 いずれにせよ、そうしたタイプの様々に個性的な部屋を見せてくれるのがこの写真集である。自分の身近にいないタイプの人びとの部屋を見られるというだけでも貴重ではないか。別に覗き見趣味はないけれど。

 取り上げられるのは、音楽、美術、劇団、その他得体の知れぬことにのめり込んでいる人たちの部屋が多い(すべてというわけではない)。決して美しい部屋ばかりではない。むしろ大半は汚い。しかし、ついつい見入ってしまう。意外と生活の智慧がにじみ出ていて役立ちそうなのも見つかったりする(ただし滅多にない)。

 何よりも、この部屋に住んでいる人は、いつも何を考え、何をして暮らし、何を夢見ているのか。そうした想像をめぐらし、時には感傷にふけりながら別の人生を追体験してみるのが楽しいし、刺戟的なのだ。

 実は、愛読書として折に触れてめくっている。ただ、写真集を廉価で文庫にしてくれたので仕方ないとは思うのだが、ページがポロポロとはがれやすいのが悲しい…。

【著者プロフィール】
都築 響一 1956年東京生まれ。ポパイ、ブルータス誌の編集を経て、全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』刊行。以来現代美術、建築、写真、デザイン等の分野での執筆・編集活動を続ける。93年『TOKYO STYLE』刊行。96年『ROAD‐SIDE JAPN』を刊行、同書で第23回木村伊兵衛賞受賞。

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2007年1月 4日 (木)

ソマリア情勢の背景③

(承前)

【内戦、旱魃、国連の介入】

 1991年、有力な武装勢力の一つであるアイディド将軍派が首都モガディシオに攻め込み、バーレは海外に亡命した。武装勢力各派は集まって暫定政権を樹立することに合意。暫定大統領には実業家出身のアリ・マハディが就任した。

 ところが、バーレ政権を倒したのは他ならぬ俺だという自負心の強いアイディドがおさまらない。彼は自ら大統領を名乗り、マハディ派に攻撃をしかけた。バーレ派の盛り返し、北部のソマリランドの独立宣言などの事態が重なって、後継政権の枠組みが定まらないまま内戦に突入、国家としての機能は事実上消滅した。

 こうした中、ソマリアを深刻な旱魃が襲うという不運が重なった。餓死者が続出し、最悪な時期には一日推定3,000人が亡くなったという。さらに悲しいことに、飢饉→食料品には希少価値→売りさばいて一部の者がぼろ儲けという利権構造が生れたとも言われる。

 国連は人道援助の方法を模索した。しかし、武装勢力が割拠する無政府状態では援助団体の安全すら確保できない。1992年、国連安保理はソマリアの各武装勢力に対し停戦勧告を行ない、PKOを組織した。これは停戦監視と人道援助を目的とした従来型のPKOで第一次国連ソマリア活動(UN Operation in Somalia Ⅰ=UNOSOMⅠ)と呼ばれる。だが、この場合には当事者全てからの合意を得るのが前提となるのだが、アイディド派などいくつかの武装勢力は国連部隊の受け入れに難色を示し、所定の目的を達することはできなかった。

 しかし、手をこまねいている間にも飢餓で多くの人びとが倒れつつある。早急に手段を講じなければならない。1992年12月の国連安保理決議を受けてアメリカを中心に統一タスクフォース(Unified Task Force=UNITAF)が結成された。UNITAFは援助活動を円滑に進めるためにソマリア国内の港湾・空港など各拠点を確保。アメリカ中心の圧倒的な軍事力を目の当たりにしてアイディド派は様子見を決め込んだ。この時の活動により、一日推定3,000人亡くなっていたところが1,000人にまで飢餓状態を緩和させることができた。

【国連活動の質的転換】

 勿論、これだけでは抜本的な解決にはならない。UNITAFが撤退すれば、元の状態に戻ってしまうことは明らかだ。ガリ国連事務総長は援助ルートの確保ばかりでなく、そもそもソマリアの国家再建のためにも各勢力の武装解除にまで踏み込むべきだと主張し、アメリカの同意も取り付けた。その結果、翌1993年に開始されたのが第二次国連ソマリア活動(UN Operation in Somalia Ⅱ=UNOSOMⅡ)である。紛争当事者の合意を得て停戦監視に専念するという従来の方針から、紛争の積極的な解決を目指す方向へと任務の質を大きく拡大した点にUNOSOMⅡの特徴がある。

 しかし、今回はアイディド派が最初から妨害の意図を明らかにしていた。UNOSOMⅡのメンバーであるパキスタン軍の兵士がアイディド派の襲撃を受け、24名が殺害されるという事件が起こった。UNOSOMⅡは反撃に出て、アイディド派のラジオ局や武器保管所を破壊。UNOSOMⅡとアイディド派との全面戦争となり、その過程で一般市民にも犠牲者が出る事態に立ち至った。

 同年10月3日、アイディド将軍の身柄を拘束するためアメリカ陸軍のレインジャー部隊が動員された。しかし、情報不足からアイディド派の幹部数人を逮捕するにとどまり、肝心のアイディドは取り逃がした。そればかりか、アメリカ軍が投入した戦闘ヘリ・ブラックホーク2機が撃墜され、18名の死者を出すという深刻な失敗であった(この事件の過程はリドリー・スコット監督「ブラックホーク・ダウン」(2002年)が詳細に描写している)。

 アメリカ兵の死体がモガディシオ市内で引きずりまわされる映像がテレビに流れた。アメリカの議会やマスメディアでは、アメリカの国益に必ずしもかなうわけではない軍事行動にアメリカの若者の命を危険にさらすのは問題だと批判する声が高まった。

 また、モガディシオでの市街戦に発展して一般市民にも500名以上の犠牲者を出したため反米感情が高まり、「アメリカ帝国主義はソマリアを再び植民地化しようとたくらんでいる」というアイディド派のプロパガンダが浸透する下地をつくってしまった。

 結局、10月のうちにクリントン大統領がソマリアからの撤退方針を表明。アイディド派もこれを受けて矛を収めた。翌1994年にソマリアの各武装勢力が集まって再び暫定政府樹立の協議が行なわれたが、アメリカ軍の撤退に乗ずる形でアイディド派が支配地域を拡大、内戦は激化の一途をたどる。

 ソマリアの各勢力には国家再建への意欲がない。このままでは国連や人道援助団体の関係者が危険にさらされるだけだ。──そうした判断により、1995年3月までにUNOSOMⅡの全部隊が撤収した。

【人道的介入のディレンマ】

 以上の国連によるソマリアへの介入は、個別の国益を離れた人道目的による初めての軍事介入という点で、どのように評価するかは別として画期的な出来事であった。その後、国連の調査委員会がまとめた報告書では次の三点が反省点として指摘されている。

 第一に、政府が存在しない状態で国連が活動する場合、必然的に国連が統治機能を肩代わりせざるを得なくなる。しかし、それが新たな植民地主義だと誤解されてしまった。

 第二に、ひとたび武力行使が行なわれると、エスカレートしやすい。この指摘を敷衍すると、軍事介入は紛争当事者のどちらかの側につく、少なくともそう受け止められてしまうという困難が伴う。純粋な中立というのはあり得ない。

 第三に、国連活動に参加する国々の問題として、自国の国益につながらなければ敢えて犠牲を払おうという用意はない。実際にクリントン政権はソマリア問題の苦い記憶のためルワンダのジェノサイドへの介入に躊躇することになった。そして、国連の主要メンバーたるアメリカの支持がなければ国連の活動は成立しないという現実がある。

 具体的な問題としては他に、伝統的な社会風土への理解が十分に行き届いていなかったこと、国連側の意思疎通・調整がうまくいっていなかったことも指摘される。

 人道的介入の問題は、根本的には正戦論のアポリアにいきつく。深刻な人権侵害が行なわれているのを黙って見過ごすわけにはいかない。だが、第一に、歴史上のあらゆる戦争は自衛のため、“真の人道と平和”のためという名目で行なわれてきた。“正義のための武力行使”がひとたび正当化されると、その濫用を防ぐ手立ては難しくなる。

 第二に、主権国家を基本アクターとした外交の伝統的な枠組みにおける内政不干渉の原則に背馳する。ソマリアの場合には、そもそも交渉当事者としての政府そのものが崩壊していたため問題を難しくした。

 第三に、第二次世界大戦後の国際秩序を大きく規定している国連憲章で謳われた武力不行使の原則とぶつかってしまう。二度の大戦という惨禍を踏まえ、正・不正の基準を厳しくすることで出来うる限り戦争の可能性をなくそうという意図が国連憲章にはある。ただし国連憲章第七章には、平和を脅かす深刻な事態が発生した場合に国連が主体となって武力を組織し鎮圧することが規定されているが、ここの運用そのものが議論の対象となっており、広範なコンセンサスが得られないままである。

【参考文献】
柴田久史『ソマリアで何が?』岩波ブックレットNo.302、1993年
ベネディクト・アンダーソン(白石さや・白石隆訳)『増補 想像の共同体』NTT出版、1997年
松田竹男「ソマリアの教訓」、桐山・杉島・船尾編『転換期国際法の構造と機能』(国際書院、2000年)所収
最上敏樹『人道的介入──正義の武力行使はあるか』岩波新書、2001年
滝澤美佐子「ソマリアと人道的介入」、日本国際連合学会編『国連研究第2号 人道的介入と国連』(国際書院、2001年)
下村靖樹『ソマリア──ブラックホークと消えた国』インターメディア出版、2002年
小池政行『現代の戦争被害──ソマリアからイラクへ』岩波新書、2004年
遠藤貢「崩壊国家と国際社会:ソマリアと「ソマリランド」」、川端・落合編『アフリカ国家を再考する』(晃洋書房、2006年)所収
Jeffrey Clark, Debacle in Somalia, Foreign Affairs, America and the World 1992/3
Chester A. Crocker, The Lessons of Somalia, Foreign Affairs, May/June 1995
Walter Clarke and Jeffrey Herbst, Somalia and the Future of Humanitarian Intervention, Foreign Affairs, March/April 1996

(以上、2006年12月31日記)

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2007年1月 3日 (水)

ソマリア情勢の背景②

(承前)

【分断されたソマリア】

 19世紀にヨーロッパ帝国主義によるアフリカ分割が進められる中、ソマリ人の居住地域は五つに分断された。すなわち、イギリス領ソマリランド、イタリア領ソマリランド、フランス領ソマリランド(現在のジブチ)、エチオピアのオガデン地方、イギリス保護領東アフリカ(現在のケニア)である。このうち初めの二つ、イギリス領ソマリランドとイタリア領ソマリランドとが合併して独立したのが現在のソマリアである。1960年、いわゆる“アフリカの年”のことであった。

 独立の当初からソマリアは分断の契機をはらんでいた。実は、北部のイギリス領ソマリランドが独立したのは1960年の6月26日。南部のイタリア領ソマリランドも含めた「ソマリア共和国」が成立したのは7月1日で、5日のタイムラグがある。

 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』で指摘されるように、植民地支配のために設けられた行政機構の枠組みは、支配を受けた側の国民国家的なアイデンティティーの形成に大きな影響を与えた。アンダーソンがフィールドとしたインドネシアの場合には、それぞれに風俗習慣も言語も異なる数百もの島々に散在する人びとがオランダの植民地行政という枠組みから“インドネシア人”としての一つのアイデンティティーを作り上げた。これに対してソマリアの場合、風俗習慣も言語も共通するソマリ人が、行政機構の違いによってそれぞれに異なった国民国家アイデンティティーを獲得したと言える。

 ソマリア共和国成立後、イタリア領であった南部主導で憲法が起草され、南部出身者が大統領に就任した。植民地時代以来の教育・法律・経済制度の違いもあり、イギリス領であった北部は独立当初から不満をくすぶらせる。そして、内戦が始まった後の1991年5月、ソマリア共和国成立の際に南部と結んだ合併条約を破棄し、「ソマリランド共和国」として独立を宣言することになる。

 なお、ソマリア政府が消滅した現在、「ソマリランド共和国」は独自の行政機構や議会を整え、他国から国家承認を受けていないという一点を除けば国家としての実質的な機能を備えているという。“崩壊国家”の中で事実上国家としての実効支配を行なう主体が現れた場合の国際法上の位置付けが未整備である点については遠藤貢(2006年)が論じている。

 また、北部のもうひとつの“独立国家”プントランドは連邦制を主張し、ソマリア暫定政権に参加している。

【バーレ将軍の軍事独裁】

 1969年、第二代大統領シルマルケ暗殺に伴う混乱の中、シアド・バーレ将軍がクーデターをおこし、政権を掌握した。バーレ政権は社会主義を標榜し、ソ連の支援を受ける。

 氏族間の対立が絶えないソマリアを近代化しようとバーレ政権は強引な中央集権化政策を進め、伝統的な氏族主義の慣習を禁止した。しかし、表の制度としての行政機構と裏の制度としての長老同士による調停とが並存することになり、かえって国内が混乱した。

 また、氏族単位でソマリア国内がバラバラになっているだけでなく、民族的にもソマリ人が分断されている状況を見て、ソマリ人すべての統一=大ソマリア主義を掲げた。

 そうした中、1974年に隣国エチオピアで革命がおこった。皇帝ハイレ・セラシエは廃位され、メンギスツ将軍が全権を掌握した。これに伴う混乱に乗じてバーレはソマリ人が多く住むエチオピア東部のオガデン地方に軍隊を進めた。大ソマリア主義に基づくばかりでなく、バーレの母親がオガデン出身であるという個人的な事情もあったらしい。

 しかし、オガデン獲得の野心は思うように満たされなかった。支援を当て込んでいたソ連がエチオピア支持に回ったのである。

 かわってアメリカがバーレ政権に接近してきた。1970年代、イラン・イスラム革命やソ連のアフガン侵攻などにより中東の地政学的環境が大きく変動していた。中東・北アフリカ地域に新たな橋頭堡を求めるアメリカと、ソ連から見放されたバーレとで利害が一致し、アメリカは積極的な軍事支援を行なった。この時に供与された兵器類はバーレ政権崩壊後、各武装勢力の手に渡り、内戦を血みどろのものとする。

 バーレの過酷な独裁政治に対し、1988年頃から各地で反政府運動が盛り上がり始めた。冷戦構造の崩壊によりソマリアの地政学的な価値は低下し、1990年、バーレの人権抑圧を理由にアメリカは支援を停止した。バーレの支配力は凋落して各地に武装勢力が割拠するのを防ぐことはできなくなった。

(つづく)

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2007年1月 2日 (火)

ソマリア情勢の背景①

Map 【はじめに】

 エチオピアが隣国ソマリアの暫定政府を支援するという形で軍事介入を本格化させた。首都モガディシオを含むソマリア中南部を事実上掌握していた“イスラム原理主義”(この表現には色々と問題があるが、新聞報道に従い便宜上用いる)勢力「イスラム法廷」の拠点に対してエチオピア軍は2006年12月24日に爆撃を開始し、28日までにモガディシオを占領。撤退した「イスラム法廷」は徹底抗戦の姿勢を示し、泥沼化するおそれもある。

 もう十六年にもわたって内戦状態にあるソマリア。北部のソマリランド、プントランドが独立宣言を出したほか各地に武装勢力が割拠し、その離合集散によってあたかも戦国時代の様相を呈している。欧米諸国や隣国エチオピアが後押しする暫定政府があったものの、ほとんど実権はなかった。

 そうした中で頭角を現してきたのが“イスラム原理主義”勢力の連合体「イスラム法廷」である。武装勢力によるとどまることのない流血の混乱に人びとが飽き飽きしているところへ、イスラムの基本に立ち返ることを主張する勢力が秩序建て直しへの期待を受けて登場したという成り行きは、アフガニスタンのタリバンを思い起こさせる。「イスラム法廷」は暫定政府や各地の武装勢力と戦い、2006年6月には首都モガディシオを占領するまでに急成長を遂げた。

 こうした「イスラム法廷」の動向に深刻な懸念を抱いたのが隣国エチオピアであった。エチオピア東部のオガデン地方には百万人ほどのソマリ人が住んでいる。ここにイスラム過激派の影響が浸透して反政府活動が活発になることを恐れたのである。“イスラム原理主義”ネットワークを押さえ込むための“対テロ戦争”の一環という位置付けをアピールすれば欧米諸国からの支持を取り付けられると見込んでいるのは間違いない。また、エチオピアと国境紛争を抱えているエリトリアが「イスラム法廷」を支援しており、今回の軍事介入にはエチオピアとエリトリアとの代理戦争としての側面があるとも指摘されている。

 今回は、ソマリア情勢の背景をまとめてみたい。ここからは、植民地化された地域におけるナショナル・アイデンティティーの揺らぎ、人道的介入のディレンマ、“対テロ戦争”の是非など複雑な問題が絡み合っているのが見えてくる。

【氏族主義の社会】

 ソマリアの人口は、2004年度で800万人とされる。その90%がソマリ人。遊牧を主な生業としている。また、やはり国民の90%超がイスラム教スンニ派を信奉している。一つの民族がこれだけのパーセンテージを占めるのはアフリカでは珍しい。

 ソマリア社会を動かす基本的な政治単位は父系制に基づく血縁集団としての氏族である。氏族はさらに支族、ディヤ(補償)集団と細分化される。ディヤ集団は数百人から数千人規模である。

 ディヤ=補償集団とは聞きなれない表現だが、次の意味合いがある。たとえば、ケンカで人を殺してしまったとしよう。和解処理のため、加害者はラクダ50頭を用意する。同時に、加害者の属するディヤ集団全体としても別に50頭を用意し、合計100頭を損害への補償として被害者の属するディヤ集団に送る。被害者の遺族はそのうちの50頭を受け取り、残り50頭は被害者の属するディヤ集団全体のものとなる。こうした形で連帯責任を負うのがディヤ集団である。

 従って、警察など行政機構が事件の処理に関わることがあっても、最終的にはディヤ集団の長老同士の話し合いによって裁定される。その意味で、ディヤ集団を軸として氏族主義的な人間関係がソマリア独特の秩序を成り立たせている。ところが、バーレ政権時代の中央集権化政策はこうした氏族中心の慣習を全面的に禁止したため、国内秩序が混乱してしまったと言われる。

 また、氏族間の様々な対立関係には牧草地や水源などの利害が密接に絡んでおり、こうした問題もその後の内戦を深刻にした一因となっている。

※地図は外務省のHPから転載した。参考文献は最後に掲げる。(2006年12月31日記)

(つづく)

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2007年1月 1日 (月)

帝人事件──もう一つのクーデター③(戦前期日本の司法と政治⑤)

(承前)

【法律によるクーデター】

 帝人の監査役として事件に連座した河合良成(戦後、幣原内閣で農林次官、第一次吉田内閣で厚生大臣を歴任)は当時彼の取調べを担当した検事がもらした次のような発言を書き留めている。

「俺達が天下を革正しなくては何時迄経っても世の中は綺麗にはならぬのだ、腐って居らぬのは大学教授と俺達だけだ、大蔵省も腐って居る、鉄道省も腐って居る、官吏はもう頼りにならぬ、だから俺は早く検事総長になりたい、さうして早く理想を行ひたい」(河合良成『帝人事件──三十年目の証言』講談社、1970年)。

 社会を良くするためには君たちに多少の犠牲があったとしてもやむを得ないとその検事は明言したらしい。

 この帝人事件をめぐっては司法省出身の大物政治家のそそのかしによって若手検察官が動いた形跡がある。捜査の陣頭指揮を取っていた黒田検事はこの事件の最中に過労のためであろうか病死したのだが、彼の葬儀に右翼団体や憲兵隊司令官から花輪が贈られていたことは、彼がなんらかの勢力とつながっていたことを推測させると複数の当事者が指摘している。

 事件当時警視総監だった藤沼庄平は、検察が警視庁刑事部に何の相談もなく動き出したことへの不快感を示しながら、事件の背後には塩野季彦(司法官僚出身の政治家。近衛文麿内閣・平沼騏一郎内閣・林銑十郎内閣で司法大臣)がいたと回想している(藤沼庄平『私の一生』1957年。なお、藤沼は戦後の幣原内閣で三土が内務大臣として復活した際、東京府知事兼警視総監という異例のポジションに抜擢される)。

  また、河合は「司法部内における最大の巨峰平沼騏一郎氏を中心として、ときどき会合を催し、帝人問題、あるいはこれに対する方針を論議していた事実は確実にあったと私は信ずる。私は今でも証人を持っている。それは最近(昭和42年ごろ)にいたり、私の一友がそういう会議の席に列していたことを私に告白したのである」(河合、前掲書)と記している。

 平沼も塩野も司法省出身の政治家である。とりわけ事件当時枢密院副議長の地位にあった平沼は検事総長、大審院長(現在の最高裁判所長官に相当)、司法大臣と司法関係の最高職をすべて歴任した大物で、首相候補の一人と目されていた。しかし、右翼結社・国本社の主宰者でもあり(塩野も国本社メンバー)、元老・西園寺から「平沼のような神がかりを天皇のお側に近づけてはいけない」と嫌われていたため、枢密院議長や首相への道が阻まれていた。そこで、平沼グループが倒閣運動の一環としてこの事件を画策したという噂がささやかれている。

 昭和十二年十二月十六日、東京地方裁判所は帝人事件の被告に対して全員無罪の判決を下した。判決文中には事件そのものが「空中の楼閣」であったと記され、裁判長は「今日の無罪は証拠不十分による無罪ではない。全く犯罪の事実が存在しなかったためである。この点は間違いのないようにされたい」と語った。

 すでに政権はいくつも移り変わり第一次近衛文麿内閣が発足していた。時の司法大臣・塩野季彦は控訴しないとの談話を発表せざるを得なかった。衆議院では弁護士の齋藤隆夫(民政党)の発議により帝人事件の人権蹂躙を批判する決議が上程され、同じく弁護士の片山哲(社会大衆党)の賛成討論を経て可決された。

 この間、昭和十一年二月二十六日、高橋是清・蔵相や齋藤実・前首相らが陸軍の青年将校によって射殺された。首相官邸も襲撃され、岡田首相は人違いによって一命を取り留めた。いわゆる二・二六事件である。

 以上の経緯を時系列的に整理すると、まず昭和七年の五・一五事件で犬養毅が殺され、政党政治は事実上息の根を止められた。次の齋藤内閣は昭和九年の帝人事件で倒れた。続く岡田内閣も昭和十一年の二・二六事件によって倒されてしまう。事件後に成立した廣田弘毅内閣(昭和11~12年)において軍部大臣現役武官制が復活したほか、馬場鍈一・大蔵大臣により軍事費重視の予算が組まれることになる。また、帝人事件の翌昭和十年には天皇機関説問題で美濃部達吉が貴族院議員の辞職に追い込まれている。

 帝人事件の捜査にあたった若手検察官たちの発言をみると、社会改革のためには手段を選ばないという点で陸海軍の青年将校たちと共通の論理が見られる。つまり、五・一五事件が海軍の青年将校によって、二・二六事件が陸軍の青年将校によって銃剣を以て行われたクーデターであったとするなら、帝人事件は検察内部の“青年将校”が法律を以て行ったもう一つのクーデターであったと言うことができる。

 三土は裁判で次のような弁論を行なっている。

「若し本件の如くに何等の根拠なきに拘らず、捜査権を悪用し、人間の弱点を利用し、事件を作為的に捏造して政変までも引起すことが許されるならば、内閣の運命も二、三の下級検事の術策に左右せられることになりますが、国家の為め是程危険な事がありませうか。実に司法権の濫用は「ピストル」よりも、銃剣よりも、爆弾よりも、恐しいのであります。現に此一事件に依って司法「ファッショ」の起雲を満天下に低迷せしめたのであります」(野中、前掲書)

【補足】

 帝人事件については意外なほどに研究が少なく、真相はいまだに解明されていない。

 事件の概要を知るのに役立つものとしては、東京日日新聞政治部記者の野中盛隆『帝人疑獄』(千倉書房、1935年)、事件の当事者であった河合良成『帝人事件──三十年目の証言』(講談社、1970年)あたりが挙げられる。ただし、前者は事件が結審する前に書かれたので内容的に不十分である。後者は当事者の記したものなので資料的には貴重だが、第三者の視点を経たものではない。事件の弁護にあたった今村力三郎の訴訟記録も重要な資料だが、当然ながら一般読者には向かない。

 今月刊行されたばかりの保阪正康『検証・昭和史の焦点』(文藝春秋、2006年)に「帝人事件は検察ファッショを促したか」が収められている。これが現時点では一番読みやすくまとまったものだろう。

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