戦場つながりで2冊
たまたま2冊続いただけで、このつながりに深い意味は何もありません。
◆馬渕直城『わたしが見たポル・ポト──キリング・フィールズを駆けぬけた青春』(集英社、2006年)
カンボジアといえば、映画「キリング・フィールド」(1984年)の凄惨な映像をまず思い浮かべる。それだけショッキングな映画であった。しかし、本書によるとあの映画及び原作となった手記はかなり眉唾ものらしい。著者は報道カメラマンにあこがれてカンボジアに身を投じてから三十年が経つ。現地で出会った一ノ瀬泰造、共同通信の石山幸基記者の死をのりこえ、晩年のポル・ポトのインタビューに成功するなど筋金入りだ。映画はウソであっても、そうしたセンセーショナリズムとは違った根深い苦しみをカンボジアは被った。死地をかいくぐった人ならではの視点には、新聞報道や定説とは異なった迫力がある。
◆梯久美子『散るぞ悲しき──硫黄島総指揮官・栗林忠道』(文藝春秋、2005年)
クリント・イーストウッド監督の硫黄島二部作「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」(現時点で後者は未見)が公開された。本書は、硫黄島の戦いにおける日本側指揮官・栗林忠道中将を描いたノンフィクションである。昭和の軍人というと教条的かつ高圧的という印象が強いが、角田房子の描く本間雅晴や今村均を挙げるまでもなく、敬意を表すべき人々もやはりいた。栗林中将もそうした一人である。
彼が際立つのは、第一に子どもへの絵手紙を欠かさず書き送るなど、当時の日本軍人には珍しく家庭への配慮を隠さなかったこと。第二に、連合軍の戦略を分析した上で大本営の押し付ける作戦を覆す芯の強い合理主義(本来、軍人ならば当然なのだが…)。
中将といえば一般兵卒からすれば雲上人。ところが戦後、捕虜を尋問したアメリカ軍は、ほとんどの兵隊たちが栗林から直接声をかけられたことがあるというので驚いたらしい。硫黄島に送られたのは戦争末期になって召集された老年兵ばかり。アメリカ軍の精鋭が五日で占領できると豪語した激戦をそうした日本軍が一月以上にもわたって持ちこたえることができたのは、兵隊たちの気持ちを指揮官が完全に掌握していたからだ。それは意図的なものではなく、家庭への細やかな思いやりと通ずるものだろう。そうした情愛と作戦立案で見せた合理精神とが良い形でミックスした軍人の姿は、独善的な思い込みで国家の命運を左右した軍事指導者と著しいコントラストをなす。
(2007年1月4日記)
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コメント
発売中の文芸春秋に栗林中将に関する記事が載っているようだが…。ぜひ読んでみたい。
投稿: | 2007年1月10日 (水) 12時13分