国末憲人『ポピュリズムに蝕まれるフランス』
【民主主義の祖国が抱える葛藤】
シラク後をめぐるフランス大統領選挙の役者もそろそろ出揃いつつあるようだ。今回は国末憲人『ポピュリズムに蝕まれるフランス』(草思社、2005年)を取り上げよう。
本書の題材となっているのは前回、2002年のフランス大統領選挙。大方の予想を裏切って決選投票に進出した極右・国民戦線のルペンに対し、保守派と左翼がスクラムを組んでシラク再選が決まった。
「民主主義に敏感なフランスの感性が証明された」──選挙結果を受けてこうした論評が新聞をにぎわせた。しかし、本当にそうなのか? 本書は、“ポピュリズム”という政治学的には定義の極めて難しいキーワードを軸として、フランス革命以来「民主主義の祖国」としての誇りを抱いてきた国家が直面している混乱、具体的には選挙による代表制と政教分離という2つの柱が破綻をきたしている現状を報告する。
テーマは非常に興味深い。ただし、本書は関係者を取材してまわった感触を通り一遍に叙述するだけで終わっており、現場を見て歩いた者ならではの考察が示されていないのが少々物足りない感じがした。
【フィクションとしての選挙】
制度というのは一つのフィクションである。20世紀初頭の異端的な社会学者ロベルト・ミヘルスがつとに指摘していたように、民主主義という衣をかぶってはいても、実際の政治運営が字義通り「民主的」に運営されるなんてことはまずあり得ない(森博・樋口晟子訳『現代民主主義における政党の社会学』木鐸社、1973年)。
フランスもまた例外ではなく、「民主主義」というたてまえとは裏腹に、実際に国家の舵取りを行っているのはごく少数のエリート層である。この奇妙な矛盾は薄々気づかれていながらも、選挙による政権交代という手続きを通すことで覆い隠されてきた。
しかし、社会が成熟することで政治的争点がかつてのイデオロギー対立から身近な問題へと細分化されるにつれ、保守派と社会党との違いが見えなくなった。つまり、政治に変化が期待できなくなり、その分、保守派も社会党もトップはエリート校出身者でほとんどが占められているという事実が際立つようになってきた(保守派の中でもサルコジ内相に人気があるのは、彼がエリート出身ではないからだ)。
倦怠感・閉塞感が漂う中、欺瞞であろうともこのシステムによって今までの社会運営がなされてきたことへの挑発的な気持ちが社会全般に行き渡るようになる。それが、極右というスタンダードから外れた勢力への得票という形で表れたと言えるだろう(無論、移民政策、治安対策などの問題も倍加的に影響を与えている)。
【政教分離という原理の矛盾】
「政教分離」もまたフランスをはじめ近代社会を成り立たせてきたフィクションである。以前、イスラムの信仰を持つ少女がスカーフをつけて公立学校に通うことが政教分離に反するのではないかという論争が過熱したことがある。ここからいくつかの問題が露わになった。
第一に、他者への寛容を目的とするはずの「政教分離」という原則が、結果としてイスラムに対して「不寛容」な態度を取ることになったという逆説的な事実である。
第二に、これは本書を読んで初めて知ったのだが、実はこのスカーフの少女は生まれながらのムスリムではなかった。両親はフランス生まれのユダヤ人で、彼女は自分の意志でイスラムに改宗していたのである。彼女に何があったのかは分からない。特別な政治的背景が見られるわけでもない。思春期によぎる戸惑いの中、たまたまイスラムに魅かれたというだけのことなのかもしれない。
問題なのは、あくまでも彼女の個人的な事情に過ぎないことが、「政教分離」という政治的論争の枠組みに無理やり押し込められ、彼女の思惑を超えた所で世論が大騒ぎすることになった経緯である。
フランスの場合、ユグノー戦争以来繰返された宗教対立により、こうした問題への過敏なまでの反応があるのはやむを得ないのかもしれない。しかし、「政教分離」という原則論ばかりが暴走することのはらむ逆説的な意味を問い直すことは必要であろう。
選挙による代表制と政教分離。いずれも日本にとっては欧米から輸入した観念に過ぎない。本家本元のフランスで陥っている混乱は、もし日本だったらどのような視点に立って考えることができるのか。そこを念頭に置きながら読むと興味深い。
【著者プロフィール】
朝日新聞記者。1963年岡山県生まれ。87年「アフリカの街角から」でノンフィクション朝日ジャーナル大賞優秀賞を受賞。同年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社入社。パリ特派員(01‐04年)などを経て外報部次長。この間ルワンダ内戦、イスラム過激派テロ、パレスチナ紛争、イラク戦争などを取材。連載「テロリストの軌跡」で02年度日本新聞協会賞を受賞。他の著作に『自爆テロリストの正体』(新潮新書、2005年)。
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コメント
フランスといえば若者の暴動は盛んに報じられた。
日本では若者の暴力が体制や権力といった外に向かわず、
いじめや家庭内暴力などの内側に向かっているというのは
浅薄な見方であろうか…?
塩野七生が書いていたが、昨年の総選挙が終わった頃、外国人に
「日本では怒れる若者はどうしているですか?」
と聞かれ、
「みんなコイズミに投票にしたのです」
と答えて、塩野自身、複雑な気持ちになったそうね。
投稿: みつぼ | 2006年12月15日 (金) 08時45分
その「怒れる若者」をどのように解釈するかが結構問題だよね。
話が少々ずれるが、ミツボ氏もこれから読むであろう『ナショナリズムという迷宮』に面白い指摘があった。
魚住さんが、「ニートやフリーターと呼ばれる経済的に弱い立場にある若年層は小泉自民党に投票したのではないか」という本田由紀さんの指摘を踏まえて、小泉改革によって不利益を受けるはずの人々が自分の首を絞めるような投票行動をしたことをどのようにあ解釈するかと問題提起している。
佐藤が、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』をもとに、イメージの持つ力について分析する議論が興味深かった。
どうでもいいが、昨日12/15、八重洲ブックセンター本店の前で塩野七生を見かけたよ。
投稿: トゥルバドゥール | 2006年12月16日 (土) 01時41分