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2006年12月15日 (金)

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」

 映画も話題の柱にしたいので、もう一つおまけ。今年の二月頃に観た青山真治監督「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の感想をつづったメモがあったので、載せておきます。

 【エリ・エリ・レマ・サバクタニ】

 青山真治の映像センスに私はしびれている。 
 吹きすさぶ風の動きと共に大きく波うつ荒々しい砂丘。強風ではためくテントの中には死体が転がり、世界の滅びを予感させる光景がまず観客の目を奪う。

 何よりも圧倒されるのは、ラスト近くの演奏シーンだ。晴れやかに澄み渡った透明感のある空の下、草原のゆるやかに広がる丘陵地帯、青と緑のコントラストは胸がすくように美しい。存在するものすべてを包み込むような壮大な空間の中、4台の音響装置がそびえ立っている。大地をゆるがすノイジーな爆音が、観客の耳と、そして胸の中にまで鋭くつんざき、音響の高揚につれて映像がぶれる。まるで、目に見えるものの輪郭をすべて打ち消そうとするかのようだ。音響と映像、さらには観る者の思考作用までもが混線し、一種のトランスともいうべき不思議な映像体験。宇宙との一体感、というと大げさだが、そうした感覚を描き出そうとしているのがよく伝わってくる。

 ストーリー云々という以前に、青山真治の繰り出す映像一つ一つに気持ちが魅きつけられた。一歩引いたスタンスから世界を俯瞰するような視線、ノイズと透明感とが共存するかわいた映像世界。どこか私自身の心象風景が呼び覚まされるようで、充実した2時間を過ごすことができた。

 2015年、“レミング病”の流行が人々を震え上がらせている近未来の世界。それは、感染すると自分の意志とは関係なく自殺してしまうという正体不明の奇病であった。

 世の中の騒ぎを尻目に、ミズイ(浅野忠信)とアスハラ(中原昌也)の二人は音の素材を集める活動に没頭し、世捨て人同然の生活を送っている。彼ら二人の奏でる音楽には“レミング病”の発症を抑える効果があるらしい──そんな噂を聞きつけた大富豪のミヤギ(筒井康隆)が、“レミング病”に感染した孫娘のハナ(宮崎あおい)を連れてミズイとアスハラのもとに現れた。

 ふとミヤギがつぶやく、「神よ、なにゆえに我を見捨てたもうや(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)」。

 この映画に一貫するテーマは“音”である。様々な素材に秘められた独特な“音”の持ち味を活かすシーンが大半を占め、セリフは極端なまでに少ないが、そうした中でも次の2つのシーンが印象に残っている。

 まず、映画の主要舞台の一つ、ペンションでの会話。ミヤギがペンションの女主人(岡田茉莉子)に、自分の息子夫妻、つまりハナの両親が“レミング病”で死んだことについて語る。「みんな死んでしまった、だけど…」と言いかけたとき、「私の心の中にいつまでも残ってる、って言いたいんでしょ」と女主人が話の腰を折ってしまう。「…よく分かりましたね」「そんなのよくあることよ」

 一人が抱える個別的な悲しみは、無論その人にとってかえがたいものであるのは当然だ。しかし、他人にもまたその人なりの別な悲しみを背負っているわけで、自分の悲しみが自分ひとりに降りかかった特別なことであるかのように語ろうとするおこがましさ。

 もう一つ印象に残っているのは、ミズイがミヤギに向かってつぶやいた次の言葉。
 ──「自殺するのは“レミング病”のせいなのか、それとも本当に死にたいのか、区別できるんだろうか?」

 もちろん、答えはない。ただ、飛躍かもしれないが、この答えに関わることで、青山真治が以前に撮った作品「EUREKA」(2000年)をいま思い浮かべている。

 乗客のほとんどが殺されてしまったバスジャック事件で生き残った兄妹(宮崎将、宮崎あおい)と運転手(役所広司)、心に傷を負った彼ら3人は一緒に事件の現場を再訪する旅に出る。過去に起こったことを直視し、その一切を受け容れるために。旅の果てにたどり着いた山の頂で、それまで能面のように黙りこくっていた少女がハッとした表情を見せた(“何か”に気付いた=EUREKA!)。その途端、モノクロで進行していた映像が一挙にカラーに反転、彼らのたたずむ山の頂が、さらにはるか上方から俯瞰するように映し出される。つまり、自分たちのいまいる世界の広がりに気付くこと、その中に自分たちの抱える傷もあること、そうした一切を理解することが問題の“解決”につながる──。

 トラウマは“治せない”。ただ、原因となっている出来事を記憶の深みから掘り起こし、対面し、納得する。そうしたプロセスを経ることで神経症はおさまるというのが精神分析学の基本的なセオリーだが、下手すると“心理学依存症”になりかねないこの問題を、映像センスで見事に描ききっているのが私には強烈に印象的だった。

 同様のテーマ設定を、今回の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の終盤近く、爆音の演奏シーンから感じている。

 原因とは? 理由とは? 特定の何かに帰属を求めようとするならば“レミング病”のせいだということにした方が話は早い。しかし、大地と音響との共振の中で「生きる希望を見出す」という寓話を通して示されているのは一体何だろうか? 原因→結果という単線的な因果関係の中に無理やりに自分をあてはめるのではなく、その一切をひっくるめた大きな広がりの中に自分のありかを感じ取ること、それが個別の意味づけを超えたところで“生きる”自覚につながるという“気付き”の瞬間ではないのか。

 青山は、この映画を通して絶望を感ずるか、希望を抱くのか、それは観る人次第だ、と語る。“気付き”のあり方もまた人次第。言葉や論理とは違った表現の可能性を映像で示してくれた点でとても魅力的な作品であった。

【データ】
監督:青山真治
プロデューサー:仙頭武則
製作:TOKYO FM、バップ、ランブルフィッシュ
2005年/カラー/107分

(2006年2月、テアトル新宿にて)

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コメント

『エリ、エリ…』も『ユリイカ』も私はまだ観たことがない…。
o(;△;)o

投稿: みつぼ | 2006年12月14日 (木) 09時48分

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