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2006年12月24日 (日)

“司法権の独立”が意味したもの②(戦前期日本の司法と政治②)

(承前)

【“司法権の独立”が意味したもの】

 以上の経過をまとめると、日糖事件で政党、シーメンス事件で軍部、大浦事件で山県系官僚閥が打撃を受け、平沼をリーダーとする検察権は独自の存在感を認知された。つまり、政治的な捜査活動を通して“司法権の独立”を力ずくで勝ち取ったとも言える。こうした検察の容赦ない動きは各方面で脅威として受け止められた。

 原敬は検察を政治システム面で牽制するために陪審制の導入を目指し、他方で平沼グループを人的に自らの陣営に取り込もうと働きかけた。その結果、司法省内で平沼に次ぐポジションにあった鈴木喜三郎の政友会入りが実現した。これは、明治憲法体制において行政から独立した存在であった軍部を政党政治の枠組みに取り込むため陸軍から田中義一を政友会に迎え入れたのと同じ構図である。つまり、“統帥権の独立”と同じ問題構造を“司法権の独立”もはらんでいたことを原は鋭敏に察知していたのである。

 また、検察の過酷な捜査活動はしばしば深刻な人権蹂躙を伴った。大逆事件が冤罪であったことは現在では周知の事実である。この点も意識して原は陪審制の実現に向けて力を入れた。これは大正デモクラシーという時代風潮の中、国民の司法参加として政友会のイメージアップにもつながった。

 平沼たち検察の活動を軸に据えて振り返ると、大逆事件の位置付けも微妙に変わってくるのではなかろうか。大逆事件については、国家権力が社会主義者・無政府主義者を狙い撃ちした事件として特筆大書されるのが通例である。しかし、実際には政府関係者の足並みはそろっていなかった。検察の動向を時系列的に整理すると、検察の自己主張として政党、軍部、山県閥と各方面にわたって捜査活動が展開される中で大逆事件もまた同一地平に並べることができる。鵜沢総明、花井卓蔵、磯部四郎など政友会系の法曹家が弁護を引き受け、原敬が大逆事件の成り行きに危惧を抱いていたことも考え合わせると、国家による左翼への弾圧という側面ばかりでなく、検察活動自体がはらむ問題として捉え返す視点も必要であろう。

 こうした検察権力の問題を、理論的・思想的にはどのように考えるべきだろうか。平沼たちが“司法権の独立”を目指して積極的な捜査活動を展開する直前の明治40年に刑法が改正されていた。この改正刑法に影響を与えた新派刑法理論に注目したい。

 新派刑法理論の代表者・牧野英一は罪刑法定主義を否定し、“社会の必要”に応じて司法家は判断すべきだと主張していた。法律というタガを外した上で司法家が判断するとなれば、その恣意的な暴走は一体誰が食い止めるのか? “司法権の独立”が昭和に入って“検察ファッショ”と呼ばれる事態を惹き起こしたことの背景をもう一度洗いなおす必要がある。

 なお、牧野英一については、精神障害と犯罪というテーマで思想史家の芹沢一也が興味深い論考を発表しているので、別の機会に紹介したい(『〈法〉から解放される権力』新曜社、2001年。『狂気と犯罪』講談社、2005年)。

【取り上げた本について】
三谷太一郎『政治制度としての陪審制──近代日本の司法権と政治』東京大学出版会、2001年。旧版は『近代日本の司法権と政党──陪審制成立の政治史』塙書房、1980年。著者は成蹊大学法学部教授、東京大学名誉教授。主要著書として『二つの戦後』(筑摩書房、1988年)、『新版 大正デモクラシー論』(東京大学出版会、1995年)、『増補 日本政党政治の形成』(東京大学出版会、1995年)、『近代日本の戦争と政治』(岩波書店、1997年)などがある。

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